15

 押されるようにベッドに倒れる帆花と彼女に覆いかぶさるように四つん這いで跨る優也。ジャケットだけを脱ぎほんのり赤い表情の帆花は真っすぐ優也の目と見つめ合う。


 その無人のように静まり返った部屋で優也の耳だけに届く程の大きさで聞こえた呼吸音。微かに開いた帆花の口から少し早いテンポで繰り返されるその呼吸は彼女の心臓が落ち着きなく動いていることを容易に想像させた。


 そして彼女の緊張を感じながら優也の顔は人生は短いという誰かが言った言葉を嘲笑うようにゆっくりと近づいていく。数センチの距離を時間をかけゆっくりと。


 だが文字通り目と鼻の先で優也の顔が止まる。話をするだけで息が相手に届いてしまうような距離で数秒二人は見つめ合った。



「……ごめん。――ごめん。やっぱり……」



 そう言って上げようとした顔を首に回った帆花の手が止めた。



「やっぱり私じゃダメですか?」

「そういう訳じゃないけど……」

「けど?」

「けどこんな風にはよくない。君に申し訳ないよ」

「私はいいですよ」

「――本当のことを言うと僕は、この前もさっきも君の事を見てた訳じゃないんだよ」

「構いません」



 帆花は優しい声と共にゆっくり首を振った。



「いや、それだけじゃない。見てないどころか君に重ねた彼女を見てたんだ。他の女の人を。何度も」

「構いません」



 その言葉にも同じように首を振って見せる帆花。



「――僕は君を好きな訳じゃないだよ?」

「構いません」



 それでもそう繰り返す帆花が分からなかった優也は真似をするように首を振った。



「何で……」

「私……実は先輩の事が好きなんですよね。いつからかは分からないですけど気が付いたら好きになっちゃってました」



 その言葉が優也の中に罪悪感や自己嫌悪感を更に生み出した。



「こんな僕のどこが」

「そんなことないですよ。仕事してる姿はカッコいいですしとっても優しくて、一緒にいて楽しいんです。それに顔も結構タイプなんですよね」



 最後は秘話でもするように小声で少し恥ずかしそうに話した。



「だから私はそれでも構いません。それに分かってました。先輩の目に私が映ってないことも」

「僕は君が思っているような男じゃない。そんな君の気持ちを利用して君の優しさに甘えて自分を優先した。僕は君が思っている以上にさい……」



 すると帆花は優也の口を自分の口で塞いだ。まるでその続きは聞きたくないというように。

 それは短くも長くもなかったが突然のことに優也は少しの間、時が止まったように感じていた。


 そして優也の中の時計が再び時を刻み始めると同時に帆花の顔は離れ再びベッドに戻る。


「ならこれぐらいしても許されますよね」

「許すも許さないも僕にそんな資格はないよ」

「それじゃあこのまま続きをしても許してくれるんですか?」

「それはダメだよ」


「先輩が私の事を好きじゃないからですか?」

「それ以上に君が僕を好きだから。こんな状態で中途半端には向き合えない」

「結構真面目ですよね先輩って」

「それは褒め言葉?」

「両方です」



 だが優也は首を振り否定した。



「ズルい奴だよ。十分。相手の為なんて言って逃げるし後輩の優しさを利用しようとするし。僕は十分ダメでズルい奴」

「まぁ確かにあそこで名前を呼ぶのはズルいですよね。いつもは八木とか君とかなのに」


「でもあれは何も考えてなかったというか……。いや、ごめん」

「本当にそう思ってます?」

「本当に申し訳ないって思ってる」

「ならこのまま最後までシてください」



 そう言いながら帆花は優也の顔を更に近づけた。



「だからそれは」

「私、先輩のこと好きなんですよ? なのに当の本人はまだ元カノさんに未練があるみたいで、このままじゃ叶わない恋じゃないですか。それになんかもう振られた気分ですし。なのに思わせぶりだけされるし」

「・・・」



 帆花がわざと意地悪く言っていることは彼女の浮かべていた笑みが語っていたが、優也は何も言うことが出来ずただ黙ったまま。



「だから今夜だけでいいんです。一夜だけ先輩も私のこと見てくれませんか? いえ、無理して見なくてもいいです。利用してくれてもいいので私にも先輩の未練を利用させてください」

「――本気で言ってる?」

「はい。それに先輩から誘ったのでちゃんと男らしく責任は取ってください」



 ほんの少し間を空けて優也は諦めるように笑った。



「君もズルいね」

「お互い様ですね。それとズルいついでに一つお願いしても良いですか?」

「いいよ」


「嘘でも、言葉だけでもいいので……」

「なに?」

「名前呼んで好きって言ってもらえますか?」



 優也は帆花の頭に手を伸ばし優しく撫でながら瞳に彼女を映した。



「好きだよ。帆花」



 その言葉が心からのものではないと分っていながらも帆花は照れながらも嬉しそうな笑顔を浮かべた。



「私も大好きです」



 そして二人の交わしたそのキスは激しく情熱的だったが、結局それは愛を演じてるに過ぎなかった。だがそれを承知で二人は偽りの愛に溺れた。


                * * * * *


 寝転がる優也とその腕枕で寝転がる帆花は互いの方を見ていた。



「先輩」

「ん?」

「今度の休み。映画に行きませんか?」



 その誘いに優也は言葉を詰まらせた。



「友達として先輩後輩としてです」



 優也が何を考えているのかを見透かすように帆花は付け足した。



「いいの?」

「私が辛くないかって訊いてます? なら大丈夫です。それとこれから変に距離を取ったりしないでくださいね。その方が嫌なのでいつも通り別に気にしないで接してください」

「――分かった」


「それともしその人の事を諦めきれたら……。デートに誘ってください」

「分かった」

「まぁ私がまだ先輩のこと好きだったオッケーしてあげます」

「あんまりちんたらしてたらこんなに素敵な女性を逃しちゃうわけだ」

「そういうことです」



 少し笑い合った後、帆花は静かに溜息をついた。



「先輩」

「なに?」

「私が眠るまで抱きしめてて下さい」

「いいよ」



 それを聞き入れた優也はそのまま帆花を優しく抱きしめた。



「――本当にごめん」



 腕の中の帆花を感じながら優也は湧き上がってきた罪悪感をそのまま口にした。



「人に何かしてもらったらごめんじゃなくてありがとうって言った方が良いって知らないんですか?」

「そうだね。ありがとう」

「私もありがとうございます」



 そして二人はそのまま静かに眠りについた。

 この夜二人を包み込んだそれは偽りだが嘘ではない。それは本物にも負けず劣らずの美しい愛だったのかもしれない。

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