14
それからも優也はいつの日からか代わり映えのしない、映画なら早送りしたくなる程に何もない日常を送り、いつの間にか帆花もほとんど手を借りず仕事が出来るようになり始めていた。
そしてその頃になると優也自身、夏希に対しての心の整理というより諦めのようなものが、ちょっとずつつき始めていた。夏希の事を忘れ始めたという訳ではなかったが、少しだけあの時の自分を許し始めてた。最愛の人を不甲斐なさで泣かし裏切った自分を。
それに家に一人でいる時、時折夏希のことを思い出しても悲しみや自分を責めるより彼女の幸せを、今現在彼女が幸せであることを願うようことが多くなっていた。あれだけ泣かせてしまった自分に代わって誰かが幸せにしてくれてたらと。じゃなくてもせめて笑っていてくれてたらと。
だが時折『誰か』という言葉が胸に引っかかった。誰か。自分ではない誰か。優也はその度に溜息を零した。
「先輩!」
「ん? どうした?」
「今日一杯どうですか?」
そう言いながら帆花は酒を飲むジェスチャーをする。
「随分とおっさんみたいな誘い方になったね」
「む! それはひどくないですか?」
「ごめん、ごめん」
少し笑いながら帆花の頭をポンポンと撫でるように叩く。
「代わりにちゃんと付き合ってもらいますからね。行かないと私の機嫌は直らないんで」
「それはズルじゃない?」
「いいじゃないですか行きましょう」
だが優也はすぐに返事はせずその場で少し考え始める。彼の頭に浮かんでいたのはあの時の事。それが優也を躊躇させていた。
だが彼の考える沈黙が帆花から笑みを消す。
「でも嫌なら別に。そこまで無理には」
少し悲し気で沈んだ表情を見せる帆花に優也は心の中で自分へ溜息をついた。
「別に嫌じゃないよ。いいよ。行こうか」
「本当ですか? 無理してないですか?」
「全然だから。ほら行くよ」
そして二人は会社を出た。
時間帯もあり人の多い通りを歩き居酒屋へ向かっている途中。優也は道路を挟んだ反対側の歩道を見て思わず足を止めた。まるで自分だけ時間が止まったように固まり瞠目したまま反対側を見続ける。
そんな彼の視線の先にあるバーガー屋の前を歩いていたのは、夏希。そして笑みを浮かべた彼女の横を歩いていたのはあの人だった。お見合いのあの人。
それは自分が望んだはずの結末。そうなるように、その為にあのようなことをしたのだから。夏希も幸せそうに笑い、全てが望み通り。
そのはずだった。だが実際それを目にすると、想像していた心情とは違い色々な感情が原型も分からぬほど混ざり合い複雑。嬉しくもどこか悲しい。あの日の自分にイラつき今の自分に腹が立つ。あの人がそこに居るべきだと思いつつも憎い程に悔しい。色々な感情は一瞬にして混沌とし、もう個々で認識することは出来なくなっていた。
ただ全てがどうでもよくなる程に気分は沈み泥沼に引きずり込まれていく。ちょっとやそっとの酒では酔えない強い酒でさえそう簡単に忘れさせてくれない纏わり絡みつく最低で最悪の気分。
「どうしたんですか? 先輩?」
そんな気分の沼に浸かってしまっていた優也を我に返らせたのは帆花の声。
「知り合いでも居たんですか?」
すっかり人混みに紛れ行ってしまった夏希の姿はもうそこにはなく優也の隣ではそんな彼女を探す帆花が反対側の歩道を見ていた。
「いや、見間違いだったみたい」
「なら行きましょうか」
「そうだね」
そして再び歩き始めた帆花に歩調を合わせ優也も居酒屋へ足を進める。
久しぶりに夏希を見た事で忘れかけていた彼女への気持ちが顔を覗かせ、それが喪失感も蘇らせた。しかも想像していたのは大きく違い、決して気持ちが良いとは言い難い感情が内側を満たし、そんな自分へ嫌悪感すら感じた。
その所為でこの日の優也は最初からいつもよりハイペースでお酒を流し込んでいく。初めて飲んだ時の帆花と同じぐらい、それ以上のペースでどんどんお酒を呑んではおかわり。今の優也はお酒が美味しくて飲んでいるというよりただ少しでも早く酔い、少しでも深くアルコールに沈みたい一心で次々と酒を口へ運んでいた。
「だ、大丈夫ですか? そんなに飲んで?」
いつもと違う優也に帆花は心配そうに尋ねる。
「これぐらい、なんてことないよ」
だがその言葉とは裏腹に優也の顔は赤く話し方は浮いているようにふわふわとしていた。そしてまた大きくグラスを傾ける。
「何か嫌な事でもありました?」
「えぇー? ……嫌な事? んー。別に」
酔いが回っても忘れた訳ではないが嫌な事だと認めたくない先程の映像からは目を逸らし自分と帆花に嘘をつく。
そして本当は喜ばしいはずだが嫌な事と言われてそれを思い出してしまった自分に対する嫌悪感を酒で奥底へと流し込んだ。
「今日もいつも通り起きて、出勤して、仕事して。そのまま帰るはずだったけど、可愛い後輩と飲めて、むしろ良い事しかないけどな」
そう言いながら浮かべた笑みは緩く表面上は幸せそうなものだった。
「先輩の顔ゆるゆるですよ? お酒はそれぐらいにした方が良いんじゃ?」
笑いながら帆花がそう言うも優也は「大丈夫」と言いながら更に酒を呑む。
「そう言えばこの前、今は彼女さんはいないって言ってましたけど前の彼女さんはどんな人だったんですか?」
「んーっと。……長い黒髪が似合ってて。料理が上手くて。仕事が出来て。笑顔が可愛くて、たまに意地悪とかしてきたり意外とかまってちゃんだったり。あとホラー映画が苦手だけど見たがるし、涙もろいからそういうシーンですぐ泣くし、朝はいつもブラックコーヒー飲んで結構お酒強かったり……」
指折り数えていく度に共に笑い合っていた頃の夏希を鮮明に思い出す。
それは懐かしく楽しい想い出ばかりだったが、今となっては寂しさがその後を追ってきていた。彼女との楽しかった日々を思い出す度に今はもう隣にはいないという現実を強く突きつけられる。
「大丈夫ですか?」
言葉を止め少しぼーっと記憶に浸かっていた優也を帆花の声が現実世界に連れ戻した。
「あぇ。ごめん。まぁ僕には勿体ないぐらい、素敵な人だったよ」
「先輩って髪が長い人がタイプなんですか?」
「んー。いや、別にどっちでもいいかな。特にこだわりはないよ」
「じゃあ私みたいな短い髪でもいいってことですか?」
「全然いいよ。それを理由に好きにならないとかはないかな」
「へぇ~」
それからも優也はまるで水でも飲むようにお酒を飲みお店を出る頃にはすっかり足元も覚束なくなっていた。その割にちゃんとお金は自分の財布から出しのは彼の根元にある真面目さが出たのかもしれない。
だがお店を出ると帆花の肩を借りる程には酔っていた。
「先輩。さすがに重い……」
「だから、一人で……歩けるって」
「無理ですよ。実際さっき壁に頭ぶつけてたんですもん」
「なら、あそこに座って……休もうか」
指を指したベンチに優也と帆花は並んで腰を下ろした。
「じゃあここでタクシー拾って帰りましょうか」
「んー」
両腕を腿に乗せ落ち込むように大きく俯く優也は音を出すだけの返事をした。
止まっていても揺れている感覚。それぐらい今の優也は酔っていた。
「大丈夫ですか? 何か飲み物買ってきましょうか?」
「大丈夫」
「早めに家へ帰った方がいいかもしれないですね」
「家か……。帰っても一人だしな」
まだ残る喪失感の所為か慣れたはずの一人の家がどこか寂しく感じ思わずそう呟いた。思ったことをそのまま言葉にしたのは酔いで口が緩くなったせいなのかもしれない。
「私も一人ですよ。あっ! もしかして先輩寂しいんですか?」
少し意地悪っぽく尋ねる帆花は浮かべた笑みも意地悪いものだった。
そんな帆花の言葉に優也は顔を上げ彼女を見る。
「寂しいかも」
予想外の返しだったのか帆花の表情が素に戻る。
すると優也は帆花を両手で抱きしめた。首に手を回し優しくでも少し寄り掛かるように抱きしめる。
「今夜だけは一人になりたくない」
「せん……ぱい?」
「このまま一緒にいてくれない? ――帆花」
「――それは、ズルいですよ」
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