13

「八木」

「はい?」

「急で悪いんだけどこれやってもらっていい? 最優先でよろしく」

「分かりました」

「全然できるところまででいいから」

「はい」

「じゃあよろしく」



 その仕事を帆花に任せた優也は他の仕事に取り組んだ。

 そして数ある仕事をある程度終わらせた優也は体を大きく伸ばして少しでも疲れを逃がす。



「優也。オレ先に上がるけどあんま無理すんなよー」

「お疲れ」



 同僚の真守のその一言に大体の時間を知ることが出来た優也だったが時計へ目をやった。その後に立ち上がると帆花のデスクへ。



「途中でももう上がっていいよ」

「もうちょっとだけ待ってください」



 彼女の言葉にその場で少しだけ待つ優也。



「はい。出来ました!」

「終わったの?」

「はい。確認よろしくお願いします」



 そう言って座ったままの帆花が差し出したのは優也が頼んだ仕事だけでなく元々の彼女の仕事もプラスされたものだった。



「もしかして全部終わらせた?」

「はい! 頑張りました!」



 とりあえずその場で簡単に確認をする優也だったが、特にミスなどはなく今のところは完璧だった。



「大丈夫そうかな。まぁまた明日朝一で確認するけど多分大丈夫だと思うよ」

「よしっ!」



 帆花は小さくガッツポーズし嬉しそうに笑みを浮かべた。



「にしてもさすがに全部出来るとは思わなかったな。出来ても頼んだやつだけだと思ってた」

「頑張りました」

「成長したね」



 教えている後輩の成長は自分の事のように嬉しく優也は帆花の頭を軽く撫でる。



「えへへ。ありがとうございます。先輩の教え方がいいからですね」



 頭を撫でられると少し照れながらも嬉しそうに笑う帆花。



「ほんとに? 結構、説明が訳分からないって言われたけどな」

「でも最後はちゃんと分かりましたしそれに一番はやっぱり先輩の背中を見て沢山学べたんで」

「そんなに器用なタイプじゃないでしょ?」

「あー! 私の事バカにしてますね!」



 笑みを浮かべていたかと思えば今度は不機嫌そうな表情を浮かべる帆花。



「そんなことないけど。まぁ出来る奴だってことはちゃんと証明したからね。すごいよ」

「そんな。私なんてまだまだですよ」



 すると帆花の表情は照れ笑いへと戻った。



「あっ! 先輩。良かったら今から飲みに行きませんか?」

「んー。どうするかな」

「えぇー、可愛い後輩と飲みに行くのが嫌なんですか?」



 わざとらしく不機嫌そうな振りを見せながらそう言った帆花だったが急にハッとした表情をした。



「あの! 今の可愛いは別に容姿が可愛いって意味じゃなくてですね。人として、っていうのも違うか。とにかく男女両方に使えるようなそんな意味合いでの言葉で点」



 声を上げた帆花は自分で自分の事を可愛いと言っている訳ではないということを必死に説明し始めた。

 そのような事は特に考えてなかった優也は彼女のその必死さに思わず笑ってしまう。



「大丈夫。伝わったから」

「本当ですか?」

「伝わった。伝わった」

「ならいいですけど」

「でも……」



 笑いの収まった優也は帆花を見下ろすと再び彼女の頭に手を伸ばす。



「どっちの意味でも可愛いと思うよ。だからそんなに否定しなくてもいいって」



 頭を撫でられ優也と目が合ったまま聞いていた帆花は言葉の後、さっと顔を逸らした。

 その行動に優也は思わず彼女の頭から手を引く。



「ごめん。――今のってセクハラにならないよね?」



 それに対して帆花は何か返していたようだがその言葉は小さすぎて聞き取れなかった。



「え? 小さすぎて聞こえなかったんだけど?」



 すると優也の方へ帆花はまた若干赤みを帯びている顔を戻した。



「だからセクハラにしないので今日、飲みに言って下さい」

「そんなこと言われたら行くしかないか……。じゃあちょっと片付けて来るからその間に準備しといて」



 そして優也は簡単にデスクを片付け帆花と一緒に飲みにへと向かった。

 居酒屋に着くと少し混んでいたが運よく席が空き個室へと案内される。



「かんぱぁ~い!」

「はい乾杯」

「先輩。今日もお疲れ様でした」

「そっちもお疲れ様。今日はあんまり飲み過ぎるないように」

「はい。気を付けます」



 それから料理を食べながら飲んで色々と話をした。



「でも本当に先輩が先輩みたいな優しい人で良かったです」

「僕は人に厳しくするほど優れた人間じゃないから」

「そんなことないですよ! 仕事だってできるし説明はたまにアレですけど……。けどちゃんと分かるまで付き合ってくれて本当にすごいと思います」


「ありがとう。でも仕事なんてこれだけやってたら出来て当然の出来だし、教えるのだって僕がもっと上手かったらもっと早く理解させてあげられるから。そういうことだよ」

「でもこの前ミスした時も私を庇ってくれたし」

「僕は君の教育係だから連帯責任ってやつ。もし教育係じゃなかったらあそこまでしてなかったかもしれない。僕は君が思う程いい奴じゃないんだよ」

「でも! でも……」


 言葉を詰まらせたように黙った帆花は持っていたお酒に一度視線を落とした。

 そして顔を上げると真っすと優也を見つめる。



「でも私は先輩が先輩で良かったです」



 言葉の後、帆花はまるで花が咲くような可憐で優しい笑顔を見せた。その笑顔に優也は、特別な鼓動ひとつを感じた。同時に胸が締め付けられるようなそれは以前にも感じた事のある懐かしい感覚。

 それに気を取られてしまった優也は固まったまま見惚れるように彼女を見つめていた。



「先輩?」



 だが帆花の声に優也は我に返る。



「ん?」

「いや、なんかぼーっとしてたので。大丈夫ですか?」

「うん。大丈夫。――僕も君が後輩で良かったよ。誰かに教えるとか初めてだったけどちゃんと向き合ってくれたからなんだかんだ教えることができたし、俺自身色々と成長した気がする。ありがとう」



 優也の心からのお礼に帆花は喜色満面とした。


「まだまだ分からない事だらけですがこれからもよろしくお願いします」

「こちらこそ全然ダメな先輩ですけどこれからもよろしくお願いします」



 互いに頭を下げ最後に目が合うと、どこか変な気まずさに二人は静かに笑い合った。そしてまだ残る笑みを浮かべながら優也はビールを注ごうと瓶に手を伸ばす。

 するとそれを帆花の声が止めた。



「あっ! ちょっと待ってください」

「何? 急に大きな声上げて」

「私が入れてあげます」

「いいよ。わざわざ」

「いーんです。普段お世話になってる先輩への感謝を込めて」



 ビール瓶を手に取った帆花は立ち上がり優也の隣までやってきて跪座した。

 そして両手でビール瓶を持つと優也のグラスを待った。



「それにお酌の練習です」

「なら先輩として見ておかないと。って言っても僕もよく知らないんだけど」



 そう言いつつも優也はグラスを差し出した。帆花はゆっくり丁寧にグラスにビールを注いでいく。



「おっ! 結構良くないですか?」



 それは程よく泡がある美味しそうなビール。



「見た目はいい感じ。上手いね」

「さっ。飲んでみてください」



 言われるがまま優也は一口。冷えたビールとのど越しが最高で思わず何度か頷く。



「美味い!」

「これで接待も完璧ですね」

「これだけじゃないと思うけどな。でもまぁ大丈夫でしょ」



 満足そうな笑みを浮かべていた帆花はテーブルにビール瓶を置くと自分の席に戻る為に立ち上がろうとする。だがアルコールの所為かは分からないがその際、バランスを崩し少し飛び込むように優也の方へ倒れた。


 突然倒れてきた彼女を優也は咄嗟に受け止める。胸に抱かれるように受け止められた帆花は優也を見上げた。見下ろす目と見上げる目。二つの視線は至近距離で交わり見つめ合う。



「バランス崩しちゃってごめんなさい。えへへ」



 すぐに帆花は照れの混じった笑みを見せたが、優也は固まったように動かない。



「先輩?」



 そう問いかけるもずっと帆花を見下ろしたまま。不思議そうな表情を浮かべながらも帆花は優也から離れようとした。だがそれを背中に回った手が止め再び、今度は抱き寄せられる。少し吃驚とした顔の帆花は優也を見上げた。



「先輩? どうしたんですか?」



 だがこれにも返答は無く抱きしめたまま。

 すると優也の顔がゆっくりと帆花へ近づき始めた。



「せん……ぱい?」



 戸惑うようにそう呟く帆花だったが離れようとも顔を逸らそうともせずただ優也の顔を見つめている。それは怖くて動けないというような雰囲気ではなくどうなるか知ってて動かないといったような感じだった。


 そして段々と二人の距離が縮まっていき息を感じられるまで近づいたその時。優也は我に返ったように顔を逸らした。



「ごめん。僕……。ほんとにごめん」



 そして優也が手も離すと帆花は凭れるような体勢から体を起こして、正座になり酔いの所為ではなさそうな赤色に染めた顔を俯かせた。



「いえ……。私は、その……。全然大丈夫、です」



 小さな声と共に髪を耳にかけたりと落ち着かない様子の帆花。



「今日はもう、帰るよ」

「――はい。付き合ってくれてありがとうございました」



 そしてスッキリしない雰囲気のまま、少なくとも優也は気まずさを感じながら逃げるように解散。

 そのまま二人はそれぞれの家へ帰った。

 翌日。優也はまだ少し気まずく思っていたが帆花にその様子は全く無くいつも通り接して来た。

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