2章:本条優也
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そして夏希に別れを告げてから約一年後。自分の仕事が一区切りついた優也は会社の屋上で缶コーヒーを片手に少し休憩をしていた。
「おつかれ」
すると煙草を片手に持った和文が柵にもたれる優也の隣に並んだ。
「お疲れ様です」
「ここで吸ってもいいか?」
「はい。大丈夫です」
優也から許可を貰った和文は咥えた煙草に火を点けゆっくりと白い煙を吐き出す。その隣で優也は缶コーヒーを一口。
「そういやお前さんここに来て随分と長いんじゃないか? 二年か? いやもっと長かったか?」
「二年ぐらいです」
返事を聞きながら和文は煙草を吸う。そして頷きながら吐いた。
「そうか。ならどうだ? そろそろ正社員にならないか?」
「えっ……。いいんですか?」
「まだ分からんが俺から話してみよう。なぁにこんだけ働いてるなら大丈夫だろ」
「ありがとうございます」
ここは色々やってきた優也が一番続けた職場。その理由として折角仕事を覚えたからということもあったが人も含めとても居心地のいい職場だったということも大きな要因だった。
そんな職場の正社員になれることは嬉しく同時に少しホッとした気持ちにもなった優也は無意識に笑みを浮かべながら缶コーヒーを飲む。
「だが特に今までと変わりはないだろうし今まで通り頑張れ」
「はい。――それじゃあ僕、他の人のを手伝ってくるので。お先に失礼します」
「別に上がってもいいんだぞ?」
「いえ。やりたいので」
「あんまり無理すんなよ」
「はい。では失礼します」
そして先に戻った優也は他の人の仕事を手伝ってから家へと帰った。誰も居ない部屋に帰ると途中コンビニで買った弁当や何やらが入った袋をテーブルに置き椅子に腰かける。
一日の疲れと共に息を吐くとポケットからスマホを取り出し蛇希のMVを流し始めた。それを見ながら弁当を袋から出し夕食を食べ始める。あっという間に食べ終えるとお風呂に入り酒を飲みながら何かをつまんで適当に過ごし寝る。それが今の優也のルーティン。
そして適当に時間を過ごしていた優也はお酒を片手に暗い部屋の中、ベッドに座りただぼーっとしながら蛇希を聴いていた。すると曲は変りwinkが流れ始める。そのメロディーや歌声を聴いているとふとあの日の事を思い出した。それはまだ付き合い始める前、あのバーで夏希と互いの事について質問し合ったあの日。優也は同時にその時の気持ちも思い出す。
「あの時はまだハッキリと分かってなかったけどもう好きだったんだよな」
あの日、無意識のうちに触れた夏希の手。優也は彼女の手に伸ばし触れた方の手に視線を落とす。それから何度も彼女に触れた手。今でも思い出そうと思えばその肌の感触を温もりを思い出せる。
だがそれを思い出したところで今はただ虚しいだけ。手から視線を上げた優也は残りのお酒を一気に飲み干しこれ以上何かを思い出す前に夢の世界へと向かった。
それから数日後。優也は和文の言っていた通り晴れて正社員となることができた。正社員になっても特にやることは変らなかったがそれ以来、時折休みの日にしていた日雇いは止めた。だが今まで通り考えることを拒むように働き。ただひたすら働いた。
そして家に帰れば何をするわけでもなく夕食を食べお酒を飲みながら蛇希を聴く。いつの間にかルーティンと化した行動を毎日飽きもせず続けた。というよりそこに感情はなくただ時間を消費しているだけ。だが蛇希だけは違いそれだけが優也の唯一の楽しみだった。
そんな正社員になろうとも代わり映えのしない日常を送り続け、気が付けばまた一年が過ぎていた。そしてこの日もいつも通り仕事をしていた優也を和文が呼ぶ。
「おい本条」
その声に振り返ると和文と見慣れない女性社員が一人。
「こいつは今日から働くことになった新人だ」
「八木 帆花です! よろしくお願いいたします!」
短い髪でスーツに身を包んだ小柄な女性。優也にとっての第一印象は元気のある子だった。
「……よろしく。お願いします」
「でだ。こいつの教育係はお前さんがやってくれ」
「え? 僕ですか?」
「お前さんも一応長いからな。頼んだぞ」
それだけ言い和文はその場を後にした。
取り残された優也と彼の初めての後輩である帆花。彼女は緊張気味に少し引きつった笑みを浮かべながらそこに立ち尽くし優也の言葉を待っているようだった。
「えーっと。じゃあそういうことらしいから。これからよろしく」
「はい! よろしくお願いします!」
彼女は今の優也には明るすぎて、希望に満ちていて少し気圧されそうなほどに元気だった。
「じゃあ……。どうしよっかなぁ」
それから先輩初心者の優也は仕事が分からない後輩帆花に色々と手探りで教え始める。彼女は少しドジなところはあったが常に全力で人懐っこい笑みでよく笑う人だった。
そんな帆花に仕事を教えることは優也にとっても楽しく彼は先輩として彼女はいち社員として共に成長していった。
「先輩。さっき言われたの終わったんですけど確認お願いしていいですか?」
「思ったより早いね。どれどれ。うん。うん。――いいじゃん」
「ホントですか!」
「うん。問題ない。やるねぇ」
「えへへ。先輩のおかげですね」
何事にも全力で取り組んでいるからか帆花はよく喜び、よく落ち込んだ。その感情は大きく表に出てまるで内側の全てを曝け出しているようなそんな人。
「八木!」
「はい。なんでしょうか?」
「ここ。ミスってるよ。ちゃんと確認した?」
「すみません。すぐに直してきます」
だが同時に先輩初心者だった優也も毎回教える立場という訳でもなかった。
「それからこうして、こうする。分かった?」
「先輩」
「ん? どこか分からなかった?」
「――全部分かんないです」
「え? 全部?」
帆花は真剣な眼差しで優也を見ながら力強く頷いた。
「マジか。今のってそんなに説明下手だった?」
「はい。全く分からなかったです」
正直にそう言い切られ優也は若干落ち込み思わず顔に手をやり俯く。
「もっと噛み砕いて説明した方が良いと思います」
「なるほど。助言ありがとう。じゃあそれを参考にもう一回説明するよ」
帆花の助言を聞き入れ優也はもう一度、次は出来る限り噛み砕いて説明をした。
「どう? 分かった?」
「さすが先輩! とっても分かり易かったです!」
「なるほど。難しいことはこうやって説明すればいいのか。勉強になったありがとう」
「いえ、そんな……。ありがとうなんて。えへへ」
優也からのお礼に帆花は面映ゆそうに笑った。
「じゃあこれよろしく」
「はい!」
先輩という役割は優也の生活に新たな刺激をもたらした。仕事を教える時にどう教えたらいいのか、どう褒めどう叱りどう教育していけばいいのか、部下とどう接していけばいいのか。
分からないことだらけだった優也は家に帰ってから適当に過ごしていた時間を使い色々と調べ勉強をするようになった。
その時のBGMは相変わらず蛇希のままだったがやることがあるというのは優也に色々な事を忘れさせた。
「先輩!」
そんなある日、仕事を終え帰ろうとした優也を帆花が呼び止めた。
「どうした?」
「もしよかったら飲みに行きませんか?」
どの道このまま家に帰ってもやるべき事が無かった優也はその誘いに二つ返事で答えた。
「いいよ」
「それじゃあ行きましょ!」
そして仕事が終わっても相変わらず元気な帆花に連れられた優也は居酒屋へ。テーブルを挟んで座った二人はお酒とそれぞれ食べたい物を注文。
そして先に運ばれてきたお酒が乾杯の音を鳴らすと飲み会が始まった。それから遅れてやってきた料理を食べながら二人は色々な話をしそれなりに楽しい時間を過ごす。
「そういえば先輩ってどうしてこの会社を選んだんですか?」
「選んだっていうか。元々バイトでやっててそこから正社員になったから最初は別に適当かな」
「そうだったんですね。でもバイトをそれだけ続けられるってすごいなぁ」
感心するように呟きながら帆花はグラスのお酒を飲み干した。
「次は何飲もうかなぁ。あっ! 先輩も何か頼みますか?」
「飲み過ぎじゃない?」
「え? そうですか? でもこういう先輩と一緒に仕事帰りに飲むっていうのに憧れてたんで楽しくてちょっと進んじゃってるかもしれないです」
そう言いながら帆花はいつものように人懐っこい笑みを浮かべた。そんな彼女の笑顔に優也も自然と笑みを浮かべる。
「大丈夫ならいいけど」
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