5

 まだ重い瞼をゆっくりでも上げてみるとそこには見慣れない天井。一瞬、意味が分からなかった優也だが染みるように昨日の事を思い出した。


 そして横へ顔を向けるとそこには既に目を覚ました夏希の姿。彼女の姿を見ると同時に幸せの笑みが零れた。



「起きてたんだ?」

「今、起きたとこ」



 優也は夏希の方に寝返りを打ち彼女と向き合う。



「昨日のことちゃんと覚えてる?」

「えぇ。――いや、やっぱ忘れた。あたし何か言われたっけ?」



 それは彼女がよくやる意地悪い笑顔だった。

 だがそれすら愛おしく優也は夏希の頬に手を伸ばす。



「君のことが好きって言った」

「それだけ?」



 その言葉に顔を近付け軽いキスを一回。顔が離れると夏希は満足気な笑みを浮かべた。



「今日仕事は?」

「ある。だからそろそろ準備しないと」

「じゃあ俺が朝ご飯作るよ」

「へぇ。何作ってくれるの?」

「んー。パンケーキ」


「前科持ちだけど大丈夫?」

「帳消しになるぐらいのを作るよ」

「それじゃあお願いしようかな」

「お任せください」



 優也は自信たっぷりな表情と声で答えた。



「じゃあその間、君は準備してて」



 そしてベッドから出ようとした優也だったがそれを夏希が止めた。



「待って。その前にもう一回」


 今度は夏希から軽めのキスをすると二人はそれぞれのすべきことの為にベッドを出た。

 夏希は着替えたりメイクをしたりと出勤の準備をし、優也はキッチンに向かいパンケーキとのリベンジマッチを開始。まず素を作りそれをフライパンに流し込み焼いていく。



「匂いは良いけど焼き加減はどうかな?」



 準備を済ませた夏希は辺りを漂う匂いを嗅ぎながらキッチンと一体化した小さなカウンターに腰を下ろした。そして優也は簡単な盛り付けをするとパンケーキが二枚乗ったお皿を彼女の前に出す。



「お待たせしました。特製パンケーキです」

「黒くないのは上出来ね」

「味も美味しいよ」



 そう言いながらフォークとナイフを夏希に差し出す。



「期待してる」



 夏希はパンケーキを一口分に切り分けるとフォークで刺した。見た目はこんがり中はふんわりしたパンケーキには甘いハチミツがかかっており食欲をそそる甘い香りが広がる。


 そんな前回とは見違えたパンケーキを夏希は一口。目を瞑り評論家のようにしっかり味わう。その間、優也はどうゆう反応が返ってくるのかを緊張と期待の半々で待っていた。

 すると彼女の口が動くにつれ徐々に口角が上がり始める。そして食べ終えた夏希はすっかり笑みを浮かべたまま目を開けた。



「練習した?」

「まさか。それで? どう?」

「美味しい。とっても」

「よっし!」



 見事リベンジを果たした優也は力の籠ったガッツポーズをした。

 それを眺めながら夏希は二口目を食べる。



「だから言ったじゃん。普段はあーじゃないんだって」

「残ったお酒のせいね」

「これがその証明」

「はい、はい」



 夏希は茶化すようにわざとらしく軽くあしらった。優也はその返しを聞きながらカウンターに肘を立て身を乗り出す。そして特に何か言う訳でもなく夏希がパンケーキを食べる姿を見ていた。



「なに?」

「いや、ただ見てるだけ」



 正直なその返しに夏希は何か言いたげな表情はしていたがパンケーキを食べ続けた。

 そして一枚目を食べ終えたところで優也が彼女の顔へ手を伸ばす。



「ついてるよ」



 そう言って親指で彼女の口元についていたハチミツを拭う。



「ありが……」



 それに対してお礼を言おうとした夏希だったが優也の口がそれを遮った。ほんの一瞬の軽いキス。優也の顔と手はすぐに夏希から離れた。



「まだ食べてるんだけど?」

「続けてどうぞ」



 笑みを浮かべる夏希に優也はパンケーキを丁寧に手で指す。夏希は小さく笑うと二枚目を食べ始めた。



「今夜仕事終わったらご飯行こうよ」

「ごめん。今夜は友達と約束があるから」

「なら仕方ないね。友達は大事にしないと」

「そうね。でも明日ならいいわよ」

「おっけ明日ね。どこ行こうか?」


「あのバーはもういいの?」

「もういいって訳じゃなけどいつもあの場所っていうのもあれだし。あっ、そうだ。君が前言ってたお店行こうよ」

「オムライスの美味しいとこ?」

「そう。そこ」

「いいわよ。なら仕事終わりに合流しましょ」

「それじゃあそういうことで」



 それから夏希がパンケーキを食べ終えると二人で家を出て一緒にマンションの下まで降りた。



「じゃ、仕事頑張って」

「あなたもね」

「いってらっしゃい」



 夏希は優也の頬に手を伸ばし撫でるように軽く触れた。



「いってきます」



 そしてポンポンと優しく叩くと夏希の手は頬から離れ二人はそれぞれの仕事へ向かう。


 すっかり彼女に夢中になっていた優也は仕事をしている時も、帰り道も一人で夕食を食べている時も頭の中には必ず夏希の存在があった。寝ても覚めても相手の事を想う。それは恋する乙女だけでなく誰かを愛する者の宿命のようなものなのかもしれない。そして一分一秒でも多く彼女と一緒に居たいと願う優也にとって約束の日までの時間は数字以上に長く感じ待ち遠しかった。

 だが良くも悪くも彼の気持ちに左右されず時間は進む。



「お待たせしました」



 ウェイトレスが運んできた二人分のお皿には家庭で作るのは難しそうなオムライスが綺麗に盛り付けられていた。ふわとろの玉子に覆い尽くされたチキンライスと上からかけられた特製ソース。それは見た目だけで食欲をかきたててしまうのにも関わらず匂いも合わさりもはや我慢は拷問。



「この時点で既に美味しそう」

「味はあたしが保証するわよ」

「それは安心だね」



 そして急かす腹を抑え込みしっかりと両手を合わせてからスプーンでそのオムライスを掬う。ウェディングベールのようにふわとろ玉子を被ったチキンライスと挨拶を交わした後スプーンは口へ運ばれた。

 そしてスプーンからオムライスが舌上へ移った瞬間、美味しいを確信でき噛めば噛むほど幸せが広がった。玉子にソースにチキンライス。その全てのバランスは素晴らしくまるで最高のオーケストラが奏でる演奏のように完璧なハーモニーだった。



「やっぱり君のセンスは最高だね」

「でしょ」



 少し興奮気味の優也に夏希は自信満々にそして嬉しそうに返す。それから二人は会話も楽しみつつ絶品オムライスも楽しんだ。愛する相手に楽しい会話それに美味しい料理。三拍子揃った食事は満足以外の何もでもなくお店を出た二人も満足に満たされていた。



「めちゃくちゃ良かった」

「そうでしょ」

「僕こういうお店とか全然知らないから助かるよ」

「あたしもそこまで沢山知ってる訳じゃないんだけどね」

「でも今夜も君のおかげで楽しい時間が過ごせた。ありがとう」

「あたしも。楽しかった」



 二人は流れに身を任せるように互いを抱きしめ合った。



「これからどうする?」

「そうね。――うちで飲まない?」

「賛成。少し飲み足りないし」

「それじゃあ行きましょ」



 そして身を寄せ合ったまま夏希の家へ向かい歩き始めた。家に着いた二人はお酒やおつまみの準備をしてソファに腰を下ろす。


 優也は片手にグラスを持ちもう片方の手を夏希の肩に回し抱き寄せていた。その状態で乾杯。互いにひと口ずつ飲むと先程のお店の話題から話が始まった。あれも美味しそうだったとか雰囲気も良かっただとか色々と話は弾む。それから話題は色々と変わっていき気が付けば二杯目を飲み終えていた。



「あんまり飲み過ぎたら明日の仕事に響きそうだからここら辺で」



 夏希はそう言いながら空になったグラスをテーブルに置く。



「次はいつ会える?」

「もう決めておきたいの? 寂しがり屋さんね」

「できることならずっと一緒にいたいから」



 その言葉に夏希は嬉しそうな笑みを浮かべ愛おしそうな目で優也の事を見つめその頬に触れた。



「あたしもよ。――でもそうね。明日は遅くまで仕事がかかりそうだし、その次は遊びに行く約束してるから……。週末とかになっちゃうかも」



 もう一度予定を頭で確認しているのか少し黙る夏希。



「土曜日かな。でもその日は休みだから何時でもいいわよ」

「土曜か。ちょっと長いけど、しょうがないか」



 何度か頷きながら自分に言い聞かせた優也は最後の一口を飲み干しグラスをテーブルに置いた。



「それじゃあデートしよう」

「一緒に過ごすんだからデートでしょ?」

「そういうことじゃなくてどっか遊びに行ってデートしよう」

「いいよ。それじゃどこに行く?」

「それはまだ分からないけど。行きたいとこある?」

「んー。――まぁでもゆっくり考えればいいんじゃない?」

「そうだね。じゃあそろそろ帰るよ」

「うん。またね」



 そして最後にお別れのキス。



「またね」

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