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 そして約束の日。朝から時間を決めるやり取りをしていた二人は、昼になる頃には大まかな時間を決め終え後は待つだけ。

 優也が昨夜のとは違うバイトを終えた頃には既に日は沈み約束の時間が近づいていた。だがまだ時間があった優也は一度家に戻りお風呂に入り身支度を済ませる。鼻歌を歌いながら普段は適当な髪を少し丁寧に整えると時間を確認した。


「そろそろか」


 一人でそう呟き家を出てあのバーへ向かった。ドアを開け中に入ると彼女が来ていないかざっと見渡したがどこにもその姿は見当たらない。もう一度時間を確認するとまだほんの少しだけ早いことに気が付き約束の時間まで待つことにした。

 それから適当なテーブル席に座り彼女を待つ。ビールだけを頼みただひたすら時間の経過を待ち何度もスマホを見た。

 そして何度目か分からない時間の確認をする為にスマホを見ると時刻は約束の時間を指していた。

 だが彼女は中々現れず次にスマホを見る頃、時間は約束を既に通り過ぎている。若干の不安に駆られはしたが、今の彼に出来ることはビールを飲みながらただ待つことだけ。

 するとスマホを置きビールを一口飲んだところで店のドアが開く。約束の時間を迎えてから店のドアが開く度に期待と共に視線を向けていた優也は今回もまだ輝く期待を胸にドアを見た。

 だが入って来たのは見知らぬ男。その姿にガッカリしながら視線をビールへと戻す。

 もしかしたら来ないのかもしれない。

 そんな悲観的な考えが頭を過ったその時、


「あっ! 居た居た!」


 聞き覚えのある声が聞こえ入り口の方へ顔を向けると夏希が手を上げながら近づいて来ていた。


「ごめんね。遅れちゃって。ちょっとだけ仕事が長引いちゃって」


 夏希は謝りながらコートを脱ぎ席に座った。


「いや、全然大丈夫。あと一時間は待ってられたから」


 今では先程までの不安はすっかり消え安堵と嬉しさで満たされた優也は冗談を言うぐらいの余裕を取り戻していた。


「ほんとに? それじゃあ急いで来なければ良かった」

「機嫌の保証できないけど」

「なら今度から気を付けないと」

「ちなみに君の場合は遅れたらどうなる? 参考までに聞いておきたくて」

「そうね……。遅れてみれば分かるわよ」


 言葉と共に意味深な笑みを浮かべて見せる夏希。


「なるほど。君との約束には遅れない方が良さそうだ」

「それが賢明ね」

「さて何飲む?」


 彼女から飲むものを聞いた優也は適当な料理と一緒にそれを注文。そして少し話をしている間に彼らのテーブルには二人分のお酒と先に頼んでいた料理が出揃った。


「それじゃあ、何だろう……。――仕事お疲れ様」


 グラスを持った優也だったが何に乾杯していいかパッと思い浮かばず結局平凡な言葉での乾杯になってしまった。


「今日も頑張った社会人に乾杯」


 最終的にこの世知辛い社会で今日も頑張った全ての人へという壮大な対象への乾杯になったが、何に乾杯するかは優也にとって関係なくただ彼女とまたこうやって飲めることを嬉しく思っていた。だが表情として表に出たのはそんな想いはほんの一角だけで、二人のグラスは心地好い音を立てた。

 お酒から始まった飲みの席は今夜も会話が弾んでいたが、前回とは違って話題は蛇希ではなくお互いの事。ラリーをするように質問を投げ合った。


「じゃあ仕事は何してるの?」

「IT関係の会社で働いてる。あなたは?」

「俺は……。その……」

「なに? 人には言えない仕事? 例えば秘密情報機関のエージェントとか」

「ジェームズボンドとか?」

「そうね。もしくは殺し屋」

「あー。ウィック?」

「あとはバーコードの人」


 特徴だけを言った夏希に対して優也は頷きながら名前を言わずとも分かるというジェスチャーを見せる。


「じゃあ俺はライバル会社に雇われたって? 君はそれほど優秀ってこと? 殺さないといけないほど」

「そういうことになるわね」


 別にバカにしている訳ではないが優也は思わず笑ってしまった。


「何で笑う訳? あたしが優秀だったら変?」

「いや。いや、そういうわけじゃないよ。ごめん」


 言葉の後に出し切るように少し笑うがまだ笑みは浮かんだまま。


「でももしそうなら最初の日にそのチャンスはいくらでもあったと思うけど?」

「まぁそうね。じゃあその可能性はないってことで。それでほんとは何やってるの?」

「――フリーター」


 そこには自信の無さが声の小ささとして現れていた。


「何かやりたいことがあるとか?」

「いや。逆にやりたいことがない」

「それじゃあ見つかるといいわね。やりたい事」

「そうだね」

「じゃあそうね」


 優也とは違い特に表情を変える事の無かった夏希は、切り替えるように手を一度叩くと次の質問に移った。


「休みの日は何してるの?」

「休みか……。映画観たり音楽聴いたりマンガ読んだりゲームしたりとか……そんな感じ」

「家の中が好きなのね」

「でも全然外も好きだよ。散歩したり景色を眺めに行ったりするし。そういう君は?」

「あたしは家にいる時は本読んだり音楽聴いたりとかかな。あと買い物するのも好きだし、というより色々な物を見て回るのが好きかな」

「本って小説とか?」

「そうね。あとは学術本とかをたまに」

「なるほど。さっきの優秀は本当ってわけだ」

「やっと分かってもらえたみたいね」

「僕が雇われた殺し屋じゃなくてよかったね」

「命拾いした」

「じゃあ次。えーっと。好きな食べのは?」

「卵料理。玉子焼きとかオムライスとかそういうの。あなたは?」

「んー。カツかな」

……


 それからも時折脱線しながらも質問ラリーは続き一通り互いに聞き終えた。

 すると会話が一段落し少し落ち着いたところで優也が突然、笑いを零した。


「なに? 急にどうしたの?」

「いや。なぜか君とは前から知り合いだった気がするけど、実際は二日前に会ったばっかりだし、こんなに楽しく話せるのに内容は初めましてみたいな質問でさ」

「何か変って?」

「ちょっとだけ」

「前は蛇希の話しかしてないからね。でもそれだけでこんなに仲良くなれた」

「そうだね。じゃあ」


 優也はグラスを持ち上げた。


「蛇希に」

「そうね。蛇希に」


 それに夏希が答えると本日二度目の乾杯が喧騒に紛れ響く。

 するとまるで彼らの会話を聞いていたかのように店内のBGMが二人の良く知る曲に変わった。


「あれ? これって」

「wink。蛇希が客演の曲だ」

「これ好きな曲。夜に聴くのがピッタリだし」

「おしゃれだからね」


 二人は少しの間黙り店内の音に混じったBGMに耳を傾けていた。お酒を飲みながら声は出さず歌詞を口ずさむ。

 そしてwinkを聴きながら優也が夏希の方を見ると、同じタイミングで彼を見た彼女と目が合った。優也が笑みを浮かべればそれに応えるように彼女も笑みを浮かべる。

 するといつの間にか優也の耳には他の客の声や店内に響く音が消えwinkだけが流れていた。その音に浸かりながら目の前の夏希を見つめる。彼の今の世界にはwinkと自分と夏希だけしか存在していなかった。

 そして彼女を見つめたまま吸い寄せられるように手が動き出す。テーブルを這うようにゆっくり伸びていった優也の手はテーブルに置かれた彼女の手に真っすぐ向かい――触れた。

 だが指先が触れた瞬間、景色も音も元通りになり優也はハッと我に返った。と同時に引っ込む手。


「ごめん。いや、その……何て言うんだろう」

「いいの。いいのよ。――大丈夫」


 無意識の行動で自分自身焦りを感じていた優也は言葉を上手く扱えず、夏希も少し動揺したのかどこか戸惑っている様子。

 そんな二人の間に流れ始めた気まずさを含んだ沈黙。それを持て余した二人は喉が渇くより先にお酒を飲んだ。

 だがすぐに耐えかねた優也はその空気を変えようとと試みる。


「あのさ(ねぇ)」


 それは彼女も同じなのか同時に飛んだ声がぶつかり合った。偶然にも被った声に二人は思わず笑みを零す。だがそのおかげで少し空気が和らいだ。


「どうぞ」


 まだどっちから話すかは宙ぶらりんだったが先に優也が譲った。


「いや、あたしはただ明日も仕事だからそろそろって思って。そっちは?」

「同じことを言おうと思ってた」

「そう、気が合うのね」

「そうだね」

「じゃあそろそろ」


 そして立ち上がった二人は支払いを済ませ店を出た。


「それじゃあ……。仕事頑張って」

「あなたも」

「――じゃ」

「またね」


 どこかぎこちない感じではあったが別れの挨拶を済ませた二人はそれぞれの帰路についた。

 家へ帰った優也は電気もつけずに真っすぐベッドに向かい倒れるように寝転がった。そして彼女との時間を思い出し改めて楽しかったと一人、笑みを浮かべる。

 するとスマホが優也を呼んだ。ポケットから取り出し画面を見るとそこには夏希からのメッセージが表示されている。


『今日はありがとう。楽しかったわ』


 それに対しすぐに返信を返す。


『こっちこそ楽しかった』

『良かったらまた飲みに行きましょ』

『もちろん』

『じゃあまた連絡する』

『分かった』

『おやすみ』

『おやすみ』


 簡単なやり取りをした優也は横に寝返りを打ちながらスマホを置いた。

 するとふとあの日の朝の事を思い出す。朝起きて横を見てみればそこには彼女が寝ていた。スヤスヤと気持ちよさそうに眠る夏希が。

 だが今はそこにあるのは少し狭いが一人分のスペースだけ。

 そしてもう一度寝返りを打ち仰向きになった優也はそのまま酔いと共に眠りへと落ちていった。

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