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 それから隣の部屋に移動した優也は二人分の珈琲を淹れた。



「あたしお腹すいちゃったんだけど何かもらってもいい?」



 テーブルを挟んで向かい合う椅子に腰を下ろした優也は家に何があったかを思い出す。



「何もないけど……。あー、確かパンケーキ作るやつならあったような」

「毎朝パンケーキ食べてるの?」

「いや、そういうわけじゃないけど。でも美味いよね?」

「それは否定しない。ちなみにあたし、パンケーキ焼くのすっごく上手いの知ってた?」

「全く知らなかった」

「それじゃあキッチン借りるわね」



 女性はコーヒーカップを持つと後ろのキッチンに立った。そしてパンケーキを作り始める。そんな彼女の後ろ姿を見ながら珈琲を一口飲んだ優也はあることに気が付いた。



「それとこのタイミングでこんなこと訊くのアレなんだけど」

「なに?」

「えーっと。君の名前ってなんだっけ?」



 その質問に女性は優也の方を振り返った。一夜を共にしておきながら相手の名前も覚えてないとは怒られても仕方ない。その備えを心の中で秘かに行っていたがそれは無駄な心配に終わった。



「そう言えばあたしもあなたの名前知らない」

「というか僕達って名乗ったっけ?」

「さぁ? それすら覚えてないけど……」



 すると女性はフライ返しを片手に優也へと近づいた。



「今、名乗れば問題ないでしょ。あたしは小南夏希」

「本条優也」

「初めまして、じゃないけどよろしく」



 そう言いながら夏希は手を差し出しそれを優也は握り返した。握手を交わすとすぐにキッチンへ戻った夏希はそれから少しして見事な焼き加減のパンケーキを作り上げた。その目の前に出されたこんがり焼けたパンケーキを早速、一口サイズに切り口へ運ぶ。



「確かに美味うまいし上手うまい」

「なに上手いこと言ってるの?」



 夏希はこの返しはどうだと言わんばかりの表情を見せる。顔を上げた優也はそのドヤ顔とも取れる表情の夏希と少し視線を交わすと思わず吹き出した。


 だがそれは彼女も同じで二人してフォークを片手に笑い声を上げた。優也自身しょうもないことは分かっていたが自然と笑いが零れ、同じように笑う彼女を見てるだけで楽しかった。



「これはきっと昨日の酒が残って悪さしてるんだ」

「そうね。そういうことにしときましょ」



 そう言ってまだ酒と共に残る謎の笑いを堪えながらパンケーキを食べ進めるが、美味しいことも相俟ってあっという間に食べ切った。だが一枚だけでは大人の小腹は満たせないらしい。



「もう一枚ぐらい食べたいかな」

「あたしも。――それじゃあ次はあなたが作ってよ」



 夏希はフォークを力無く優也に向けながらそう言った。


「いいよ。さぁーて、じゃあ格の違いってやつを見せてあげるとするか」

「おっ! ハードル上げるねぇ。期待しよっと」



 そして意気揚々と立ち上がった優也はキッチンに立ちまだ熱を帯びるフライパンにパンケーキの素を注ぎ込んだ。


「んー。もしかしてさっきの上手いはお世辞だった? ほんとは焼き加減が足りなかったんじゃない?」



 そう少し意地悪く言う夏希の前にあったのは、食べ物かと疑いたくなる程に真っ黒に焦げたパンケーキ――の形をしたやつ。白いお皿も相俟ってかそれはより一層異物感を醸し出していた。



「そ、そうなんだよ。実はこれぐらいちゃんと焼けてないと嫌なんだよね」



 優也はそう言いながら黒く丸いそれを少し切り恐る恐る口に運ぶ。だがその黒いやつが口に入った瞬間、優也の体は拒否反応を起こしすぐにそれを吐き出した。



「うぇ! にっ、まっず!」



 噛むことはおろか口に入っただけで吐き出したそれを片手に流し台へすぐさま向かった。優也は唾を吐き水で口を洗う。その後ろで夏希は声を出して笑っていた。



「そんなに?」

「なんか焦げの塊食べてる気分」

「うぅ~。それはまずそう。あたしは遠慮しようかな」

「それが賢明だね」



 最後に珈琲で口の中をリセットした優也は黒い物体が乗ったお皿を流し台の隅に置き夏希の向かいに腰を下ろす。



「やっぱりパンケーキは君の方が上手いらしい。それとこれは誓って言うけどいつもはあんなに焦げないから」

「はいはい。それじゃ不器用さんの為にあたしが美味しいパンケーキを焼いてあげましょう」



 流すようにそう言った夏希は立ち上がり追加のパンケーキを焼く為、キッチンに立つ。そして最初を再現するように見事なパンケーキを焼いた夏希はそれぞれの前にそのパンケーキが乗ったお皿を置いた。



「ん~。君はパンケーキ屋さんをやるべきだと思うんだけど?」

「まぁあなたよりはお客を呼べるかもね」

「あれの後に言われたら言い返せないよ。でもいつかリベンジしてみせる」

「挑戦はいつでも受け付けるわよ」



 そしてペロリと2枚目も食べ終わった2人はもう1杯の珈琲で一息ついた。



「そうだ折角だし連絡交換しない?」

「いいけどもう昨日交換してるかも」

「その可能性もあるけど、まずはスマホを見てみようか」



 二人はズボンのポケットからスマホを取り出した。手帳型のスマホケースを開き画面を付ける。そしてロック画面を開こうとするがなぜか開かない。もう一度試すがやはり開かなかった。



「あれ? 開かない」



 どうやらそれは夏希も同じらしい。


「僕も。なんで? もしかして昨日酔っぱらってなんか変えた?」



 そう呟きながらもう一度試すがダメ。



「ちょっと待って。それ……」



 すると夏希が優也の持つスマホを指差した。それを見ると疑問符を頭上に浮かべながらもとりあえずスマホケースを閉じて確認するとそれは見覚えのない手帳型ケースだった。



「これ僕のじゃない。だとしたらもしかして……」



 優也の頭にはバーで他の客のを間違えて持ってきてしまったのではないかという可能性が思い浮かぶ。だが現実はもっと心配する必要のない理由だった。



「それあたしの」

「え? じゃあ君の持ってるのは」



 その言葉に夏希は手に持っていたスマホを見せる。それは優也の物だった。



「それ僕のだ」

「何であなたがあたしが持ってるの?」

「いや、さぁ? ――というかこれ僕のズボンだよな?」



 少し慌てながら自分の穿いているズボンを確認するがそれは確かに自分のだった。



「まぁ記憶の無いところで間違ったのかもね」

「ないとは言えない。にしてもこの待ち受け」



 優也は手に持つ彼女のスマホをつけ待ち受けを再度確認した。それは夏希も同じ。



「だからあたしもすぐには気が付かなったのかも」



 そして二人は互いのスマホを受け取り自分の待ち受けを確認するように見る。



「まさか同じ待ち受けなんてね」

「蛇希で被るのは分かるけど、まさか同じ画像だんて」


 二人が同時に見せ合ったスマホの待ち受け画面は全く同じものだった。それはマイクを握るドレットヘアの蛇希。それからまだしていなかった連絡先を交換した。



「でも不思議ね。何だか昨日会ったばっかりとは思えない」

「昨日会ったにしては色々あったから」

「ほんとね」



 少しだけ沈黙を挟んだ後、夏希が続けた。



「ねぇ。良かったら今夜もあのバーに行かない?」

「もしかしてそれって遠回しに誘っ」

「それはない」



 優也の言葉を夏希の言葉が喰い遮った。



「それは分かってる。――でも今夜はちょっと無理かな」

「そう残念ね」



 そう言うと夏希は残りの珈琲を飲み干し立ち上がった。



「それじゃああたし、そろそろ帰るわね。あんまり長居しても悪いし」

「それは全然大丈夫だけど……うん、分かった」



 そして自分の荷物を持った夏美を玄関まで見送る優也。



「まぁ何て言うんだろう。覚えてる限りでは楽しかったよ」

「覚えてる限りだけ?」



 夏希はわざとらしく首を傾げ意地悪をするように尋ねる。



「いや……。そう言う意味じゃないけど。覚えてないから何とも言えないというか。でも君は素敵な女性だからきっとずっと楽しかったと思うよ。うん」



 すると彼女は堪えきれないというように笑い出した。



「冗談よ。でもあたしも楽しかった。――それじゃあ行くわね」

「気を付けて」



 どこかもどかしいような雰囲気のまま夏希はドアを開けるとそのまま外へ出て行った。少しずつ遠ざかる足音。

 すると優也は閉まり切ったドアを開け階段へ続く通路を見た。


「夏希! ……さん」


 付け足すようにさん付けをした呼び声に夏希は足を止め振り返った。



「今夜は無理だけど明日は。明日の夜またあのバーでどう?」

「――明日の夜ね。いいわよ。また連絡する」



 その言葉を残し夏希は行ってしまった。

 そしてその後ろ姿を見送った優也は家へ戻るとドアに背を預け彼女のことを思い出した。それから先程した約束を思い返すと自然と笑みが零れた。



「明日の夜か」



 笑みを浮かべたまま呟いた優也はそれからの時間を適当に過ごし夜のバイトへと向かった。

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