愛ってそんなもん

佐武ろく

1章:君を想う

1

 十一月の冷たい空気が身に染みる夜。雲ひとつない星空の下を一人、歩いていた本条優也は道沿いにある『POM』と看板のかかったバーへ入って行った。

 お客で賑わう店内を真っすぐ進んでカウンター席へと向かい、ビールと適当なつまみを注文しながら席に腰を下ろす。そしてコートを脱いでいる間に出されたビールをゴクリといい音を立て、一口目を楽しんだ。少し刺激的なマッサージのように心地好いのど越しの余韻まで丁寧に味わった後にもう一口呑みポケットから徐にスマホを取り出す。

 そのスマホから伸びたイヤホンは絡み、それを解き片耳だけに付けると画面を何度か操作し、手帳型スマホケースをスタンドにして目の前へ置いた。そして優也は画面に流れる映像と片耳から聞こえる音を楽しみ始めた。もちろんビール、おつまみと共に。


           * * * * *


 マフラーとコートで寒さを軽減させた女性は心地よいリズムでヒールの音を鳴らしながらお店のドアを開けた。そのお店には『POM』と書かれた看板がかかっていた。

 喧騒で溢れる店内を真っすぐ進んだ女性は、空いていた男の隣にコートを脱いでから座った。そしてバッグやコートを足元のBOXに入れるとまずビールを注文。飲み物が出て来るまでの間、少し店内を見回しビールが出て来ると最初の一口目を口へ。

 そして仕事終わりの何ものにも代えがたい最高なその一口目を楽しみ二口目もいこうかと思ったその時、ふと目に入った隣の人のスマホ画面。手帳型スマホケースをスタンドにし横向きで置かれたそのスマホでは、とあるアーティストのMVが流れていた。

 気が付けば女性はビールを片手にそのMVを少しぼーっとしながら眺めていた。


           * * * * *


 お酒を飲み、片耳から流れる音楽を聞きながらお気に入りのMVを観ていると何やら視線を感じ優也は横を向いた。隣には長い黒髪の見知らぬ女性が座っており、ビールを持ったまま自分のスマホで流れるMVを見ている。

 優也は少しの間、覗き込むようにスマホを見る女性を見ていた。

 するとその視線に気が付いた女性の視線が優也の方へ向く。二人の目が合うと女性は面映ゆそうで少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「ごめんなさい。知ってる人だったから。つい……。ごめんなさい」


 二度謝った女性は前を向き直そうとした。


「――蛇希だき好きなの?」


 だが優也のその言葉にもう一度彼の方を見遣る。


「えぇ。毎日聴いてる」

「僕も好きなんだよね。良かったら聴く?」


 そう尋ねながらイヤホンのもう片方を差し出す優也。それを見ると今度は笑みを浮かべながら女性はそのイヤホンを受け取った。


「ありがとう」


 初めは少し不審に思う気持ちもあったが、好きが同じ人と出会うのが嫌なはずは無かった。少なくとも今の優也は嬉しさの方が大きい。

 そんな蛇希というアーティストが好きという共通点だけしかない、それしか知らない見ず知らずの女性とイヤホンを分け合った優也はお酒を飲みながらいくつかのMVを一緒に観賞した。

 ほんの少し前まで互いの事はおろか存在すら知らなかった者同士。だが共通の好きは二人をあっという間に親しくさせ、何杯目かのお酒が出されてもその話題で盛り上がり続けていた。


「でもあたしはドレッドの方が好きだな」

「分かるよ。分かる。ドレッドの方が印象強いし何より似合い過ぎてるから。だけど、だからこそやっぱこういうのも似合うなって思うんだよね。あと僕、sheep saturday結構好きだからそれもあるのかも」

「確かにあれもドレッドじゃなかったもんね。あたしあれの冒頭好きなのよね」

「屋上で始まるところ?」

「そうそう」

「分かる! 分かる! あとさっき話してた曲の蛇希が出て来て横に並ぶとことかよくない?」

「それ! あたしも最初見た時いいなぁーって思って巻き戻した」

 ....


 楽しい話をしているとお酒も進み、それで更に話が盛り上がる。酔いと蛇希の話ですっかり気持ちよくなった二人は再びイヤホンを分け合いMVを観ていた。

 すると女性は視線をスマホに向けたままお箸を手に取ると自然な手運びで優也の料理を一口。それに気が付いた優也は目の前にあったお皿を彼女の方へそっと滑らせた。それで彼女も気が付いたのだろうハッとした表情を浮かべた。


「あっ! ごめんなさい。夢中になっちゃってて、つい。何も考えて無くて」

「いいよ。好きなだけ食べて」

「ありがあと。それじゃあ、お返しにあたしのも……」


 女性はそう言いながら自分の前にあるお皿から料理を一つ取ると下に手を添えながら抵抗なく優也の口へ運んだ。優也はその彼女からもらった料理を味わいながら頷くように顔を動かし飲み込む。


「どうやら君は料理を選ぶセンスもいいみたいだ」

「それはありがとうございます。でもあなたもいいわよ」

「それはありがとうございます」


 少しふざけて見せた彼女を真似るように優也が返すと二人は同時に吹き出すように笑い合った。

 そして改めるように軽い乾杯を交わしお酒を飲む。初めて会ったのにも関わらずお酒と蛇希で一気に距離が縮まった二人はアルコールで覚束ない足取りのままお店を出るとタクシーを捕まえ優也の家へと向かった。あまりいいとは言えない部屋に入り電気を付けると程よく片付いた空間が姿を現す。


「んー。意外と綺麗だけど、意外と狭いわね」

「独り身はこれぐらいで十分だよ」


 すると女性は一歩踏み出そうとするも覚束ない足取りの所為で自分の足に引っかかり前へ倒れそうになった。だが前に立っていた優也がそんな彼女をしっかりと受け止めた。抱きしめられるような体勢になった女性は上を向き優也と顔を見合わせる。


「――ありがとう」


 その言葉を最後に静まり返る部屋。二人は沈黙による妙な空気が流れる中、見つめ合い、そして引き寄せられるように顔を近付ける。無言のままただ相手の目を見つめ徐々に近づく顔。それと同時に優也の手は女性の背に、女性の手は優也の顔へ伸びていく。

 そして相手の呼吸が感じられる程に、鼻が触れてしまいそうな程に距離が近づくとそのまま言葉は交わさず唇を重ね合った。一度目は優しくそして軽く。二度目は少し長めに。それから燃え上がる炎のように情熱的なキスを交わしながら部屋を移動すると、二人で寝るには少し狭いベッドへと倒れた。

 まだお酒の残る体でいつもより少しダルさのある朝を迎えた優也。昨日の記憶はほとんどなく、ただ眠くて左腕が重い。寝ぼけ眼を擦りながら理由の分からない重さに左腕へ目をやった。

 そんな優也の目に映ったのは自分の腕枕で眠る昨日バーで出会った女性の姿。

 その瞬間、眠気のほとんどが一瞬にして吹き飛ぶ。訳が分からず混乱に落ちた頭のまま自分が服を着ていないことに感覚で気が付くと、被っている物を捲り目視でも確認。

 そして自身に向けた視線をもう一度彼女へ向けた。その頃にはある程度状況を理解することは出来ていたがまだ戸惑いは隠せない。

 すると女性の方も目覚め、眠気に抵抗しながらも目を開け始める。

 そして女性は優也と目が合うと無言のまま一瞬、驚愕に満ちた表情を見せた。だが優也同様にある程度の状況をすぐに理解したのだろう、取り乱したりはせず何とも言えない顔で優也を見ていた。


「あーっと……。おはよう」


 そんな女性に対して何を言っていいか分からずとりあえず朝の挨拶をした。


「おは……よう」


 一応といった感じではあるが女性の方もそれに返す。


「とりあえず確認するけど。昨日POMってバーで会ったよね? 僕ら」

「そうね。それは覚えてる」

「それで、その……。蛇希のことで盛り上がって話をしてたのは覚えてるんだけど途中からは……覚えて無くて」

「あたしも同じよ。――あとここって……」

「僕の家」

「そうよね。あたしの家じゃないもの」

「――それと変な質問して悪いけど、今、服って着てる?」


 女性はその質問に納得したような表情を浮かべると顔を横に振った。


「もしかしてあなたも……」


 その問いかけに対して優也はゆっくり頷いて見せた。これで一つベッドの中で二人共一糸纏わぬ姿ということがハッキリした。


「おけ。とりあえず僕らも大人だから冷静にいこう」

「そうね」

「つまり僕らは昨日POMで出会って」

「蛇希のことで盛り上がって」

「その後にここに来た。そしててn」

「̪ヤった(ヤったのね)」


 同時に互いを指差しながら記憶にない昨夜のことを口にする。


「マジかよ(ほんとに?)」


 その直後またシンクロしながらそれぞれ顔を反対側に向け感情のままに少し大きく叫ぶ二人。

 だけどすぐに再び顔を見合わせた。


「あー、でも何となく隣の部屋でキスしたのを覚えてるかも」

「あたしも。ちょっと思い出した」


 状況を受け入れる時間のように少し黙った二人だったが、その沈黙を先に優也が破る。


「おけ。今日仕事は?」

「休み。あなたは?」

「大丈夫。――とりあえずお互い服を着るってのはどう?」

「いい考えね。あたしはこっちを向くわ」

「じゃあ僕はこっち」


 そして互いに背を向け合った二人は床に脱ぎ捨てられた服を着始めた。

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