異母兄弟②

 先日、来客の対応をした応接室の奥がハロルドの根城だ。リタをはじめとした十名程度の構成員がこの部屋を使って仕事をしている。


 きちんとファイリングされた書類がぎっしりと棚に詰め込まれているが、各々のデスクには大量の未消化の書類が積み上がっていた。一番の新米であるリタの机にも既にその山が形成されつつある。


(うーん……)


 デスクで書類を眺めながらリタは眉根を寄せた。


「どうかしましたか?」


 ハロルドに問いかけられたリタはスケッチブックを開く。


《小麦粉が粗悪品だという苦情が来ていて》


「ああ、レガリア本土からの輸入品ですね。取り扱っているのがハミルトン商会でしたか」

《代表は、この間ここに来ていた人でしょう?》


 ライバル商会に利益を奪われて事業に失敗し、ロレンツィ家に三百万貸してくれと泣きついてきた人物だ。パン屋にピッツェリアに菓子屋に、ロザーナ祭には欠かせない飲食店からの苦情が相次いでいるという報告だ。


「おや。これはひどい」

《真面目にやらないと借金を返せないはずなのに、どうしてこんなにずさんな管理なの?》


 自分が扱う品物の品質管理すらできないなんて。

 リタはちょっぴり呆れてしまう。そんなだからライバル業者にも出し抜かれてしまうのではないか。


「さあ。何か事情があるのかもしれませんね」

《事情?》

「気になるなら直接出向いてみては? ロザーナ祭の期間中、臨時で増える食品の流通に関してはあなたの仕事です。金が返せないとわかった時点で私が差し押さえに向かいますが、そこに至るまではあなたの仕事です」


 やや突き放すようなセリフにたじろぐ。ハロルドは苦笑した。


「何もあなた一人で向かえと言っているわけではありません。護衛として構成員を連れて行けばよいのです」

(護衛……)


 ぱっと思い浮かんだのがエミリオだ。彼なら気心も知れているし、力になってくれそうな気もする。

 だが、話を聞いていたらしい同僚たちは顔を見合わせていた。


「……俺が行きましょうか?」

「おや、どうしましたカルロ。残業が大嫌いなきみが率先して仕事を手伝いたいなどと、何か悪い物でも食べましたか?」

「や、だって、アルバート様の婚約者じゃないですか。あんまり働かせるのってよくないんじゃないですか」

「私が引き受けたのは新米構成員の教育であって、婚約者教育ではありませんから」

「うわ……ハロルドさんの鬼……」

「何か言いました?」


 ニッコリ凄んだハロルドに同僚は口を噤んでそそくさと逃げた。


 ハロルドの言うとおり、これはリタの仕事だ。

 そして、婚約者扱いではなく一人の新人として教育して欲しいと言ったのもリタ。

 リタは挑戦的な目でスケッチブックをハロルドに向けた。


《直接確認しに行ってきます》


「ええ、いってらっしゃい。お手並み拝見と言ったところですね」



 ◇



 カルディア島の夏は日が長く、夕方になってもじりじりとした陽光が照り付けていた。

 半袖のブラウスを着ているリタですら暑いと感じるのに、待ち合わせ場所の広場では上下黒づくめの男がポケットに手を入れて立っている。ネクタイは外しているし、スーツの生地は夏物に変わっているものの、エミリオの姿は明らかに周囲から浮いていた。


「よ、リタ」

《無理を言ってごめんなさい。時間を作ってくれてありがとう》

「いーって。見回りのついでだし」


 無精ひげだらけの顔でニカッと笑われる。


「……おまけも一緒だけどな」

「おまけってなんだよ!」


 一緒にいたテオフィロが噛みつく。エミリオ監視下の元で行動させられているらしく、着古されたシャツとサスペンダーで吊ったパンツ姿で同行している姿は「舎弟」といった雰囲気だ。


「ていうか、あんたが直々にその商会に出向くわけ? アルバートの婚約者なんだろ?」


 テオフィロは不思議そうなものを見る目でリタを見下ろす。


「ロレンツィ家って人手不足なわけ? あ、それとも、あんたがエミリオに命令して、その商会をぶっ潰したり締め上げたりすんの? 影の女帝的な?」


 そんなことしない。


《直接会って状況を確認するだけ。向こうもプレッシャーを感じてくれるかもしれないし》


 ロレンツィ家の人間が直々に顔を出しに来たら「真面目にやらなくては!」と多少なりとも考えるのではなかろうか。


「でもあんた喋れないじゃん」


 何気ないテオの一言にぐさっとくるが、リタは反論した。


《喋れなくても、わたしの仕事だから》

「……ふーん?」


 物言いたげなテオフィロから顔を反らす。

 カルディア島に来てしばらくたつが、未だにリタの声は出せないままだ。

 アルバートは気長にやっていけばいいよと言ってくれているが、リタには焦りがある。


 ――話したい、と思える相手がいるのはいいことだ。

 アルバートとも会話してみたい。マーサやエミリオと笑いあったらどんなに楽しいだろうとも思う。


 その一方で、気の利いた会話の出来ない自分には不安しかない。筆談は考えをまとめる時間があり、簡潔に済ませられるぶん、「失敗」はないのだ。


 早く話せるようになりたい。でも、リタの下手くそな立ち回りで失望されたら?


 弱気な心を隠すように、せめて仕事は一人前にこなせるようになりたいと気持ちばかりがぐ。


 テオフィロはリタとの会話に飽きたのか「あーっ、くそ暑ぃー!」と汗を拭った。ハミルトン商会まではずっと上り坂なのだ。


「アンタ、上着脱いだら? 暑くねえの?」


 テオフィロの言葉にエミリオはシニカルな笑みを浮かべた。


「馬鹿だな。上着がなきゃ隠すものも隠せないだろ」

「隠すものって? ……あっ!」

(武器ね)


 ロレンツィ家の構成員たちは夏でもジャケットを着用している者がほとんどだ。

 暑さよりも銃を携行できないほうが問題らしい。

 いくら市長からお目こぼしされているとはいえ、尻ポケットに無造作に突っ込むわけにもいかないのだ。


「なー、俺にも銃持たせてくれねぇの?」

「お前、射撃訓練したことあんのか?」

「ない。教えてくれよ」

「無理だな」

「ちぇー、けち」


 すげなく断られたテオフィロは肩を竦めている。


 そうこうしているうちにハミルトン商会に着いた。

 写真で見たとおりの古い倉庫だ。広さは百八十坪程度でトタン屋根には赤錆が浮いている。敷地の外から中を伺っていると大男に声をかけられた。


「……何か、用か?」

「!」


 従業員のようだが筋骨隆々で、男二人を従えたリタを不審そうに見ている。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る