新米構成員、あるいは恋人③


 車は門をくぐり、敷地内へと入ってくる。舗装された道の脇で整列していた構成員たちの反応は様々だった。

 アルバートと同世代、あるいは若い者たちはやや緊張気味に頭を下げ、年嵩の者たちは口笛を吹いたり、手を叩いたり、「お久しぶりです、先代!」と笑顔で声を上げる。まるで英雄の凱旋だ。


 低速で走っていた車は屋敷の前で止まり、回り込んだ運転手が恭しく後部座席のドアを開けた。凄みのある視線が真っ先にリタを捉える。


(この人が、アルバートのおじいさま)


 深緑のスーツを着た男は若々しい動作で車を降りると、頭に帽子を乗せた。


「久しぶり――ってほどでもねえな。出迎えご苦労、アルバート」

「どういたしまして。彼女が僕の婚約者のリタです。既に耳に入っているかと思いますが、血の掟を交わしたロレンツィ家の一員でもあります」


 リタは頭を下げた。

 精一杯の敬意に、皺の刻まれた手が差し出される。


「……ようこそ、リタさん。ロレンツィ家へ」


 若い頃はさぞ色男だったに違いない目元を緩ませてグレゴリオは笑った。


 包容力。豪胆さ。

 言葉の端々から伝わってくる雰囲気は「この人についていきたい」と思わせる魅力がある。いわゆる男が惚れる男というやつだ。構成員たちに慕われているのもわかる気がした。


「しかし、思ったよりも細っこいな。ちゃんと食べているのか? 良ければ俺の行きつけのステーキ屋に連れて行ってやろう。どうだね?」


(え)


「お気遣いなく。ステーキ屋でしたら僕が連れていきます」

「俺はリタさんに話しかけてるんだが。なんだ、ずいぶんと惚れ込んでいるようじゃないか」

「当たり前です。婚約者なんですから」


 元々縁談避けの相手として買われたリタだ。

 こういった仲良しアピールは既に慣れている。孫の婚約者にちょっかいをかける祖父と、それをあしらう孫の茶番劇に付き合わされているのだと思ったが……、とろりと甘いダークグリーンの瞳に見つめられていて驚いてしまう。


 まるで本当にアルバートがリタの事を、好き、みたいな……。


 落ち着かなくなったリタはつい視線を泳がせてしまう。門の側に植えてある大きな木が揺れたような気がして――今日は風もないのに?

「やべっ」と声が聞こえたかと思うと、ガサガサ、ドシン、と木から人が落ちてきた。


 構成員たちもぱっと門の方を振り返る。

 木から落ちたのは若い男だ。何を思ったのか、彼はこちらに向かって走ってくる。


「こうなりゃ自棄だ……。グレゴリオ・ロレンツィ……っ!」


「グレゴリオ様、アルバート様。お下がりください!」


 構成員たちは一斉に懐に手を入れる。


 リタの前には視線を遮るようにアルバートが立ちふさがった。グレゴリオは微動だにしない。


「てめぇ! 誰の許可を得てこの敷地に――えっ?」

「殺されてぇのか……、っておい、嘘だろ……」


 なぜか、構成員たちは戸惑ったような声を上げる。


(どうして?)


 ごく普通の若者だ。赤茶げた髪をツンツンと跳ねさせた、勝気そうな鳶色の瞳の青年。

 コットンシャツに薄汚れたズボンの労働者風の侵入者は撃たれることなくグレゴリオの前まで辿り着き――地べたにひれ伏した。


「お会いできて光栄です! おじいさま!」

「……誰だね、きみは」


 グレゴリオの静かな問いに、青年は口元に笑みを浮かべて立ち上がった。


「テオフィロ、とお呼びください。――俺こそが、あなたの息子ベルナルドの血を引く、ロレンツィ家の正統な後継者です」


(えっ⁉)


 アルバートの顔を見ると、彼はショックを受けたような顔をしていた。

 構成員たちも取り出した武器を向けられずにいる。それほどまでに似ているのだろう。アルバートの父、ベルナルドに。


(アルバートは父親と血の繋がりがないんじゃないかと悩んでいたけれど……、みんなが一目見てわかるほどそっくりなんだ)


 誰も何も言えない中、後ろから襟首を捕まれた青年は「ぐえっ」と呻き声を上げてひっくり返った。引き倒したのはエミリオだ。


「正当な後継者? 勝手にロレンツィ家のボスの名を騙るなんざ、いい度胸してんじゃねえか小僧」

「痛って……、何しやがる!」


 そこにグレゴリオも追随した。


「俺の孫は一人しかしねえ」

「っ……」


 グレゴリオに拒否された青年が肩を揺らす。

 けれど、すぐに自らの主張を口にした。


「あなたも俺を見て『似ている』と思ったんじゃありませんか? 俺は嘘を言っているわけじゃない。あなたが認めなくたって、俺はあなたの血を引いた孫なんです」


「だったらどうして今さら出て来たんだ?」


 アルバートが冷たい声音で応じた。

 青年とアルバートの視線がぶつかる。ダークグリーンの瞳が昏く細められた。


「きみが正統な跡継ぎだって? それできみは、僕にとって代わってロレンツィファミリーのボスになれるとでも思ったのかな?」


「……俺にも、ロレンツィ家の跡取りたる資格があると思っただけだ。ここに来る前、あんたの母親と会ったぜ。あの女はあっさり認めたよ。あんたがベルナルド様の血を、」


 ガチン、とセイフティレバーを起こしたエミリオが銃口を突き付けた。


「ロレンツィ家を侮辱してんのか?」


 ……エミリオが。

 味方で良かった。


 緊迫した場面だというのにリタはそう思った。


 突然現れたアルバートの父親そっくりの青年の姿に揺れる構成員たちの中、エミリオだけがブレずにアルバートの側に立ってくれている。


「おじい……、グレゴリオ、様」

「俺ぁもう隠居したジジイだ。ロレンツィ家に関するほぼすべての裁量はアルバートに任せてるんでな」

「そんな!」


 グレゴリオにも見放された青年はがっくりとうなだれた。


「ま、どうしても仲間に入りたいってんならアルバートに頭を下げるのが筋ってもんだろ」

「いりませんよ。どうしてもと懇願するのなら話は別だけどね」


 調子を取り戻したアルバートが冷ややかに言い、青年は引き下がるかのように思えた。

 ……が、引き下がらなかった。


「わかった。『仲間に入れてください』」

「は? ふざけているの?」

「ふざけてねえよ。本気で言ってる。冗談言うためにロレンツィ家に乗り込むわけないだろ」


 それなりの覚悟を持ってグレゴリオに会いに来たらしい青年は挑発的に構成員たちに視線を送った。


「……あんたらに、俺の方がふさわしいって認めさせてやるよ」

「なっ……」


 この生意気な態度は、動揺していた構成員たちの額にも青筋を立てさせた。

 アルバートの出生の真偽がどうであれ、自分たちが忠誠を誓っている組織を軽んじられれば腹が立つだろう。「っとくか?」とエミリオが凄みをきかせて睨んだ。脅しの意味をじゅうぶんに込めて。

 しかし、グレゴリオは愉快そうに笑い声を上げた。


「ははっ。じゃあ、ロザーナ祭の期間中雇ってやればどうだ? アルバート」


(えっ⁉)


 グレゴリオの提案にアルバートは眉間に皺を刻んだ。


「隠居したジジイはロレンツィ家のことには口を出さないんじゃなかったんですか?」

「独り言だ。猫の手も欲しいくらい忙しい時期だろ?」

「余計な仕事を増やさないでください」


「ありがとうございます! グレゴリオ様っ!」


 嫌そうなアルバートの反論を遮り、青年は大喜びでグレゴリオに縋る。

 シニカルな微笑みを浮かべた海千山千の老爺はやんわりとその手を拒絶した。


「勘違いするなよ。お前さんを迎え入れるかどうかを決めるのはアルバートで、従う相手もアルバートだ」


 グレゴリオがこの青年を拒絶しないことに不満だったリタだが、アルバートがボスであることに絶対の信頼があるかのような口ぶりだったために成り行きを見守る。

 青年も自分が血の繋がっているはずの祖父に好意的に受け入れられたわけではないと察したらしい。それでも意志は翻らなかった。


「……わかりました。グレゴリオ様がそう言うのであれば、アルバートの下で働きます」

「なれなれしく呼び捨てにしないでくれる? 不愉快なんだけど」


 アルバートも冷淡な口調だが拒絶はしていない。

 空気を読んでか読まずか青年は声を張り上げる。


「はぁ⁉ お前の方が年下だろ? 心の狭いボスだな」

「不満なら今すぐ出て行きなよ」

「出て行かねーよ! ロザーナ祭の間はロレンツィ家に出入りしていいってことなんだろ? だったら仲良くしようぜ」

「冗談。僕はきみの面倒なんか見るつもりはないよ。言葉遣いから躾け直すのは大変だな、エミリオ?」

「俺かよ」


 世話役を押し付けられたエミリオは面倒くさそうにがしがしと頭を掻く。


 青年の視線がリタを捉えた。

 アルバートの背に隠れるように立っている黄金瞳の少女と言えば、知らない者はいないのだ。


「あんたがアルバートの婚約者?」


 怖いもの知らずらしい青年は馴れ馴れしくリタにも近寄ってくる。

 アルバートはサッとリタの肩を抱いた。


「近寄らないで。……行こう、リタ」


 さっさと屋敷の中に戻るアルバートの横顔をそっと盗み見る。


(追い返してしまえばよかったのに)


 そんな風に思うリタは心が狭いのだろうか。


(だってあの人、血の掟を交わしてすらないのに)


 ……『仲間』じゃないと仕事をさせてくれないんじゃなかったのか。

 やっとのことで構成員たちの信頼に足る人物だと迎え入れられたリタはもやもやとしてしまった。




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