新米構成員、あるいは恋人②

 ◇◇◇


「それでは、三百万お貸しします。期日までにお返しくださいね」


 ハロルドの口調は丁寧なものなのに、どうしてこんなに強い圧力を感じるのだろう。

 高級家具に囲まれた応接室の中、向かいに座っている「金を貸してもらう側」の客人の男も、――「貸す側」にちんまりと座っているリタまでもがごくりと唾を呑んでしまった。

 客人は落ち着かない様子で視線を彷徨わせる。


「か、貸していただけるんですか? 三百万……」


「ええ。……やめますか? 銀行からの融資を打ち切られたとおっしゃっていましたが、我々の助けが必要ないのでしたら、こちらとしても別に問題は――」


「いえっ! ありがとうございます! 必ず、必ずお返ししますから……」


「では、署名と捺印を」


 ハロルドのアイコンタクトを受けたリタはハッとして借用書を男に向かって差し出した。


 受け取った男はリタの瞳を気にするそぶりを見せる。しかし、ハロルドが怖いのか、はたまた別のが怖いのか……、何も言わずに書類に視線を落とした。


 スーツを着た強面の男たちが闊歩するロレンツィ家の邸内で、ふわふわ跳ねる栗色の髪を一つに結び、飾り気のないブラウスとスカート姿の少女は明らかに異質に見えることだろう。一方で、代々カルディア島を守ってきたロレンツィ家のボス・アルバートが黄金瞳の少女を「助けて」「保護」し、「婚約した」という話はセレーノの街中に認知されている。


 その「ボスの女」がなぜ金貸し業務の場に?

 ……という質問は、ついに客人の口からは発せられることはなかった。


 構成員の一人に促され、おどおどと部屋を出ていく。部屋の中にはリタとハロルド、ハロルドの補佐役の男が残された。


「さて、リタ嬢」


 アイスブルーの目を細めたハロルドの指が、テーブルに載った書類をとんとんと叩く。


「なぜ、彼に三百万の借金をさせたかわかりますか?」


 教師のようにハロルドが問題を出す。まさにリタにとっては授業の一環なのだ。


 ロレンツィ家は慈善事業ではない。

 だというのに、数回面談しただけの男にポンと三百万を貸してしまった。リタは頭を捻る。


(さっきの人の仕事は、小麦粉の仲卸業)


 レガリア共和国本土から船で届く既製品の小麦粉を倉庫に保管し、売るのが仕事だ。小麦粉は食卓に欠かせない品であるため、常に安定した供給が求められる。

 さきほどの男の他にも業者はいくつかあり、ライバル会社に負けた男は助けを求めてロレンツィ家に借金を頼みにきた。地道にコツコツ返済すれば返せない額ではない。


《貸したお金に利子をつけて、ロレンツィ家に利益が出るようにしている?》

「はずれです。まあ、そういう金の稼ぎ方もありますが、実のところ我々は彼に返済能力は期待していません」


 むむ、とリタは心の中で唸る。


(じゃあ……。えっと……)


 若い構成員たちが『効果的な脅し文句』について喋っているのを聞いてしまったことがある。品のない真似はやめろと年嵩の構成員に窘められていたが。


(あの人は男だから、……ぞ、臓器を売り払って返せとか、そういうこと……?)


 青くなったリタを見たハロルドは軽く咳払いした。


「何を考えているかあえて聞きませんが、違います」

(…………)


 マフィアの屋敷にいるせいか、すぐ物騒な方向に話を結んでしまうようになってしまっている。リタは頬を赤らめた。


 じゃあ、何のために金を貸すのだろう。

 わからないと首を振るとハロルドは答えをくれた。


「確実に破産に追い込むためですよ。ここ数か月の経営記録を見ましたが、あれでは早々に三百万を使い潰すでしょう」

《そんなことしたらロレンツィ家は三百万の損じゃない?》


 破産してしまったら借金が返せなくなってしまう。


「いいえ。ちゃんと利益はありますよ」


 ふっと微笑んだハロルドは、男が担保として渡してきた土地の権利書をつまんで微笑んだ。


「たった三百万であの男が所有している土地が手に入るなら安いものです。……もっとも、住居の方に資産的な価値はありませんが、小麦粉の保管場所として使っていると言う倉庫の方はなかなか良い物件です」


 書類にはたしかに住居や倉庫の情報が記載されているが……。


(そんなに良い物件かな?)


 写真には見るからに古そうな倉庫が映っている。立地もセレーノの街中からは離れているし、どのあたりに魅力を感じるのかさっぱりわからない。

 腑に堕ちない顔をしたリタに、ハロルドはさらに謎かけのような答えを返した。


「この島の古い物件には、ある特徴があるんですよ。手に入った暁には、ぜひ、あなたも一度探検してみるといいでしょう」


「――ハロルド様。そろそろ時間です」

「ああ、そうか。リタ嬢は三十分前に寄こせと言われていましたね」


 補佐の声にリタも慌てて時計を見た。ハロルドに頭を下げると、「では後ほど」と部屋を送り出される。


 急いでアルバートの部屋に向かうと屋敷全体がそわそわとしていた。皆がさりげなくジャケットを正し、窓の外では早くも門の側で並んでいる者もいる。


 ――ロザーナ祭の期間中、アルバートの祖父がこの屋敷に滞在する予定になっているのだ。グレゴリオ・ロレンツィ。言わずと知れたロレンツィ家の先々代ボスで、現在はセレーノにほど近い町で悠々と隠居暮らしをしているらしいが、未だ彼の威光は健在のようだ。


 十二時頃に到着らしく、手すきの構成員たちは敬意を払って出迎える。もちろんリタもアルバートの婚約者として彼の側にいないといけない。


(アルバートのおじいさま……。どんな人なんだろう?)


 前に港で会ったポルヴェのように厳しい目で見られるのだろうか。

 緊張気味にアルバートの部屋をノックすると、アルバートは普段と変わらない様子でリタを待っていた。「行こうか」。差し出された手は結んでいたリタの髪を解き、毛先をくるくると指で直される。


《着替えた方が良かった?》

「そのままでいいよ。髪は下ろしていたほうがかわいいなって僕が思っただけ」


 新米構成員でもある自分が張り切って着飾るのもどうかと思い、普段通りの格好だ。普段通りと言ってもアルバートの見立てた服なのだから品の良いものだし、マーサだって前掛け姿だ。

 グレゴリオは服装なんか気にしないからと聞いていたが、アルバートに肩を抱かれた自分の格好が適切かどうか自信がない。

 どきどきしながら屋敷の前で待っていると、小高い丘を自動車が上ってくるのが見えた。

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