第2話 狡猾な猿

 クリーム色で多数のポケットがついた上着、それとセットの長ズボン。猛毒の植物や虫に触れたらアウトなので、暑い日でも長ズボンだ。それと黄色い頭部の部分が少し尖ったヘルメット。一番大事なのは、リュックだ。パンパンに詰め込んだ焦げ茶色のリュック。これをなくしてしまったら、相当な痛手だ。


 おそらく、彼らが欲しいのは、私の生命線でもあるこのリュックだろう。


 タクシー運転手と別れを告げ、密林に足を入れた私を、さっそく出迎えてくれたものがいた。

 時刻は昼過ぎごろ。天気が良くタクシーに乗っているときはかなり日差しが強かった。しかし、ジャングルに入ると一気に雰囲気が変わった。


 のびのびと育っている樹木たちは、太陽を隠してしまうほどに成長している。大砲を打たれてもびくともしないようながっちりとした木には、それ相応の立派な葉がついている。その巨大な葉が日差しを遮っているのだ。さらに、周辺にある同じ種類の木々と握手をしているかのように、葉を重ね合わせている。これによって、木漏れ日もかなり少なく、夜かと思うほど薄暗い。


 一応懐中電灯は持ってきてはいる。もう少し太陽が沈んでくれば、明かりもおのずと必要になってくるだろう。だが今は、歩く上ではなんの問題もない明るさだ。必要以上に光を使えば、電気を食うのもあるし、他の動物に気付かれる可能性がある。


 と経験に基づいて思考を巡らせていたのだが、どうやら遅かったようだ。

 あいつらはいつも、私の邪魔をしてくる。


「また、君たちか」


 思わず声に出してしまった。独り言は耳のいい動物には聞こえてしまうため、極力避けている。しかし、もう見つかってしまってはそういった対策も無意味だ。


「キキ?」


 まるで会話をしているかのように、木に登っているそいつは鳴いてきた。

 ワンダーモンキー。通称 尾猿。体は私の膝にも達しないぐらい小柄だ。では何故、そんな獣に毎度邪魔をされてきたのか。


 その答えは、彼らの尻尾にある。まず、その長さに目を惹かれる。自らの体よりも長く、尻尾は細長い。そして、それらをまるで手足のように意志を持って扱うことができるのだ。


 それだけでも、木登りのスピードは速いし、身動きを封じるのは難易度がかなり高い。だが、彼らの尻尾の恐ろしさはもう一つある、それは本数だ。基本的にワンダーモンキーの尻尾は二本も生えている。中には三本以上もある個体もいるらしい。進化元は、テナガザルと一説には言われている。手ではなく、尻尾を増やすというのは面白い発想である。


 手足と尾が合計六本。それに加えて、猿特有の運動能力と俊敏さ。そんな奴らにちょっかいを出されれば、人間一人であしらうのは一苦労だ。


「キキキ」


 様子を伺っている私を見て、尾猿は首を傾げた。彼もまた、こちらを警戒しているのだ。本当に彼らは、中に人間が入ってるかのような行動をよくする。


 どうしたものか。


 尾猿たちはリュックに食料が入っていることが理解できている。鼻がいいわけではない。ここら辺では見慣れない私という異物。狩場を持っていない私が、手ぶらでやってくるわけはない。頭のいい彼らには、本能的にそれがわかってしまうのだろう。おそらく、人類と会ったことのない尾猿に出くわしても、毎回彼らはリュックを狙ってくる。


 一目散に逃げたいところだが、ここは彼らの独壇場。尻尾を使ったテクニカルな木渡りで、すぐに追いつかれる。そもそも、ここの植物はかなり成長しており、私の膝まで草木で覆いつくされているので、ただ走っても速度を出すことはできない。


 私はただ待った。ありえないことだが、彼が飽きてどこかへ行ってしまうことを願って。

 しかし、その瞬間は訪れた。

 にらめっこ状態だったが、尾猿が頬を膨らませて私から目を反らした。次に、帰るかのようなそぶりを見せた。


 よし。と私が安堵した瞬間、後ろから何者かに引っ張られた。

 すぐさま首だけ後ろに向けると、ちらっとその姿が確認できた。


 それはまたもや尾猿だった。同じ黒毛で二本の尻尾だが、先ほどとは違う個体だ。つまり、最初から二匹で私を狙っていたのだ。私が目の前の尾猿に注目して、気がそれるこの瞬間を狙っていたのだ。


 後ろにいる尾猿は、口角を上げて黄色い歯をのぞかせながら、両手と両尾でリュックを掴んでいる。尻尾はリュックのベルトに、上手く巻きつけている。力はそれほどではないが、四本の腕でつかまれては、一瞬でみぐるみをはがされてしまう。


 本当に彼らは狡猾で優秀だ。何度もこの手に引っ掛かってきた。

 面白いことに、どこへ行っても同じ種類の動物たちの習性は変わらない。だから、尾猿たちは毎度この手で、私を襲ってくる。


 そんな彼らに対して、私は事前に対策をとっていた。絶対にリュックを狙ってくるという、信頼を込めて。


「ショック」


 ある程度の声量で私は声を放った。

 リュックをとられそうだから、ショックだという意味じゃない。これは、リュックに対して言った言葉だ。


 音声認識。自然を破壊しかねないテクノロジー。あまり多用はしたくはないが、リュックをとられては生きてはいけない。

 私の声に反応すると、今にも持ってかれそうなリュックが微かに光りだした。


 爆発したかのような電気が弾ける音とともに、電撃が尾猿を襲う。威力としては人間でいうところの、スタンガンほどだ。長時間触れない限り命に別状のあるものではない。ちなみにだが、私の着ている調査服は耐電性能が完備されているので、全く痛みはない。


 申し訳ない。と心で呟きながら、尾猿が一目散に逃げていくのを目で追った。自然界にいてはまず経験しない痛みだ。何が起きたのかよくわからないまま、逃げているのだろう。


 リュックに手を伸ばした尾猿の確認を終えると、木に登っていた尾猿の方を振り返る。しかし、天高く聳え立つ大木の枝には、すでに小さな尾長猿の姿は見えなかった。二人で協力してリュックを狙っていたため、失敗したとわかるとこちらも逃げたのだろう。


 これが肉食か凶暴な獣だった場合は、電気ショックの痛みに耐えて、あきらめずにこちらを襲ってきた可能性がある。そもそもリュックではなく、私本体を狙ってくるはずだ。


 しかし、そうなると、私も命は惜しいので決死の抵抗をせざる終えない。絶対に使いたくはないし、今まで使ったこともないが、念のために拳銃は所持している。それを発砲してしまえば、自然界に影響が出てしまう。生きる目的以外で命を奪うという行為は、生命として一番してはいけないことだ。


 その点、尾猿はすんなり逃げてくれるのでとても助かる。逃げるということは憶病にも見えるが、無謀な争いをしないというのは、生物として優秀なことだ。


 尾猿、そして他に動物がいないか周辺をくまなく注視する。先ほどの電気ショックは見た目に反して、音量を抑えられているが、それでも静かな森林には多少響いてしまう。なので、それを感じ取った狩人たちが襲ってくる可能性は大いにある。もしかしたらすでに囲まれているかもしれない。だから、常に周りに気を配ることは、非常に大切なことなのだ。


 運がいいことに獣の気配はしなかった。これ以上むやみに音を出さぬよう、息を殺してゆっくりとしゃがんだ。ジャングルの雑草は、しゃがみ込んだ私の体をすっぽりと隠してくれる。私はそのままの態勢で、近くにある樹木を目指す。

  何故かというと、いざというときに木の後ろに回り姿を隠すことも出来るし、登ることだってできる。獣の通り道である草むらにぼーと隠れているより、物陰に隠れるほうが生存率を上げる。


 必要最低限の呼吸をして、数分間その場に待機をする。動物が近くにいないかどうか確認するまでの待機だったが、思いがけない出会いが待っていた。

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