第8話 財務官の呼び出し①
新婚旅行まで残り二週間となったある日の昼下がり。
私に会いたいと申し出てきたのは長年勤務している財務官アベルだった。
「これから昼食だというのにどういうつもりなのでしょうね」
にっこりと微笑みながらも表情を苛立ちを隠さないのは私の補佐官を務めてくれているイザベルだった。
イザベル・グラソン。
高いところで一つに纏められた長い青髪と銀縁眼鏡の奥にある切長の菫色の瞳が特徴的な端正な顔立ちをした美人。年齢は二十二歳。
元々は騎士団所属だったが二年前の結婚を機に辞職。その後、内政官の職に就いた奇特な存在。ただ外務大臣を務める父親に似たのか実務能力、交渉能力も高い。私の補佐官に選ばれた理由はそれだ。
元魔法騎士ということもあって専属護衛も務めてくれている。優秀過ぎる人物を私の補佐官に置いて良いのか分からなかったが本人曰く「剣を振り回せるなら嬉しい限りです」と笑顔で引き受けてくれた。
どうやら騎士に未練があったらしい。
私のことを皇妃として認めてくれているだけじゃなく慕ってくれているので良好な関係を築けている。
「アリア様、相手にしなくて良いと思いますよ」
イザベルは温厚な性格……に見せかけた冷酷人間とされている。ただ冷酷無慈悲となるのは敵対する人間のみ。本能的に分かるのか彼女が敵だと認識した人間は碌でもないことをやらかすと決まっているそうだ。
付いた渾名が『内政の番犬』らしい。
呼ぶと嫌がるので絶対に呼ばないけど。
「ラファル伯爵の話は適当に流すだけで良いですよ」
イザベルが嫌っているということはアベルは碌でもない人間なのだろう。思い込みで話すのは良くないので話は聞くつもりだ。
今日はレオンスと昼食の約束をしていない。彼は公務の一環で外に出ているのだ。
「わざわざ陛下が居ない時に来るあたり怪し過ぎますよ」
「それもそうね」
「陛下に報告しますか?」
「会って話を聞いてからね」
執務室を出て向かうのは庭園にある四阿。開けた場所を選択したのはあらぬ噂を防ぐ為だ。
「お父様」
庭園に続く入り口の手前で会ったのは父だった。
皇帝不在の皇城だ。今一番頼れる存在である宰相は多くの官僚達に取り囲まれている。
彼らは私の顔を見るなり頭を下げてどこかに行ってしまった。気を遣ってくれたのだろう。
「お邪魔してしまって申し訳ありません」
「どうせくだらない案件だ、気にしなくて良い。それよりも庭園に用事か?」
「はい、私に会いたい人が居るみたいです」
わざとらしく笑ってみせると「誰かな?」と悪魔のような微笑みで返される。
「財務官のラファル伯爵です」
「一介の財務官が皇妃様に会いたいとは面白い話だね」
「どうやら挨拶をしたいみたいですよ」
「そうか。私もついて行こうかな」
「お父様が居たらラファル伯爵も緊張してしまいますよ」
父が居たら相手は襤褸を出さない。分かっているくせにわざと言ってくる父にくすりと笑う。
軽く頭を撫でて「何かあったらすぐに呼びなさい」と言ってくれる目は鋭くて冷たいものになっている。
ただそれは私に向けられたものじゃなくてこれから会う人物に向けられたもの。レオンスもそうだけど私の周りの人は本当に私に甘過ぎる。
一人でも戦うことは出来るのに。現にアルディ王国に居た頃は一人で多くのことを対処していた。
甘やかしてもらえない状況で育ったのだから弱い人間じゃない。だから甘やかされると駄目になってしまいそうで不安だ。
「アリア、私は君の臣下でもあるが父親なのだ。たまには頼りなさい」
「……意外と鋭いですね」
思わず本音を言ってしまった。慌てて口を塞ぐが父には笑われてしまう。
「娘の気持ちくらい察せられる」
「お父様…」
母の尻に敷かれている場面ばかり見ていたせいで忘れかけていたけど優秀な宰相閣下だった。
尊敬とちょっとした罪悪感を感じる。
「それでは困ったことがあったら相談しますね」
「いつでも待っている。特にあの色情魔と何かあったらすぐに頼りなさい」
「し、色情魔?」
「陛下の事だよ」
色情魔は否定出来ないがレオンスも父には言われたくないと思う。それに彼の性欲が強いのは魔力のせいでもある。
それはともかく父に言われるのは嫌だ。
助けを求めるようにイザベルを見ると咳払いをした後に「閣下、そろそろ行かれた方がよろしいかと」と言ってくれた。
ウラリーと並ぶくらい頼れる存在だ。
「それもそうだね。また今度」
「ええ」
手を振って父を見送ると溜め息を吐いた。
「ベル、助かったわ」
「お気になさらずに。それでは行きましょうか」
「そうね」
改めて庭園の方に向かって歩き出した。
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