氷河期世代のバラッド
神代 哲
単話
「ハァ……」
高校の同窓会の招待状を眺めながら、私は大きなため息を付く。
毎年暮れに送られて来るが、その都度仕事を理由に欠席してきた。
「そろそろ行かないと不味いかな?」
断っておくが私は決してクラスメイトの事が嫌いで欠席して来た訳では無いし、ましてや虐められていた訳でも無い。自慢じゃ無いが学生の頃は友達も多く、後輩からも慕われていた。
そんな私が旧友との再会を躊躇するには訳がある。
私は嘘を吐いたのだ。否、今も尚、嘘を吐き続けている。現在進行形だ。
それは遡る事、高校を卒業してから四年後四度目の同窓会での事だ。
当時私は面接を受けた企業全てに落ち、就職浪人が確定。しかし、本当の事が言えず、思わず大手出版社に内定が決まったと言ってしまったのだ。
「山下さんスゲー!」
「由美子おめでとう!!」
就職氷河期真っ只中だったあの頃はクラスメイト達も当然苦戦しており、そんな中での私の報告。大手企業の内定を勝ち獲った猛者が現れれば、それはもはや英雄同然で、皆から惜しみ無い称賛を浴びた。
私は皆の讚美の声に酔いしれつつも、深い罪悪感を抱く事になる。
それ以来、クラスメイトとは会えず終いだ。
そう言った経緯により毎年開かれる同窓会を欠席し続けて来たのだが、歳を重ねる毎に、また拒み続ける事により何れ勘づかれてしまうのでは、と恐れを抱く様になる。そして限界を感じた私は意を決して同窓会への参加を決めたのだが…
「あれ?アレレレレ?」
同窓会への参加を決めた私は着て行く服を選ぶ為クローゼットを開けて見たのだが、服は全てバーゲン品。そう言えば大学の卒業以来バーゲン以外で服を買った記憶が無い事に気付いてしまう。旧知の仲に会いに行くのだから特段オシャレをする必要は無いのだが、自称大企業勤めの私がこれでは流石にカッコが付かない。もう少しマシな服は無いかと洗いざらい探して見たがやはり見付からず途方に暮れた。
「シフト増やすか……」
私は今、某有名ハンバーガーショップで働いている。
就職先が決まらないままズルズルとバイト生活を送っていたら勤務態度が評価され、そのまま準社員に昇格したのだ。準社員と言ってもバイトと大して変わらない給料で、正社員にも中々して貰えそうに無い。それでもここの職場の雰囲気も仕事自体も嫌いじゃ無いから、今の所辞めようとは余り思わない。
私はふと、昔のトラウマを思い出す。
バイト生活の長い私だが、今のファーストフード店で働く前、一度だけ正社員で働いていた事がある。
大学卒業後半年程過ぎた頃、希望の出版社どころかデスクワークの仕事すらまともに見付からない日々が続く中、いよいよ親からも心配され始めた私はもう正社員なら何でも良いと下請けの町工場へと就職した。
大卒と言う事で現場を任されたが作業者と変わらない給料の名ばかりの責任者。機械を動かす為に始業前から準備し終業後に片付け、そして生産管理。それらの時間は全てサービス残業。それに加え……
「オバサン、こんな事も出来ないの?」
幾つも変わらない歳下の高卒上司にいつもこんな調子で馬鹿にされる日々。しかもそんな不遜な態度を周囲は咎める所か、同じ様に嘲笑の目で見ていた。
そんな環境に耐えられず、私は一年も保たずに辞めてしまったのだ。
「無理し過ぎじゃ無いですか?オバサン」
トラウマを思い出し手が止まっていた私を心配する大学生アルバイトの村山君。彼も私の事をオバサン呼ばわりするが、あながち悪い気がしない。それは単に私が文字通りオバサンに成ったからだけでなく、節々から敬意と気遣いを感じられるからだ。
彼を含め、ここの職場には良い人達が集っており、あの頃から人間不信に陥っていた私の心はあれから随分と救われた。
そんな居心地の良い職場で忙しくも穏やかな日々を過ごす中、事件は起きた。高校時代のクラスメイトが来店して来たのだ。
三年の時に一緒だった吉田君。吉田君とは殆ど喋った事が無く、余り印象に残っていなかったけど昔の面影を残していたので一目見て気付いた。
私は一瞬焦ったが、学生時代殆ど交流が無かった事から相手は気付かないと踏み、平静を装い接客したのだが……
「いらっしゃいませ」
「山下?」
「違います」
「イヤ、お前、それ」
名前を呼ばれ条件反射で否定したのが、そもそもの間違い。吉田君は私の胸の名札を指差し動かぬ証拠を突きつける。同性の人違いの風を装えばまだ言い逃れが出来たかも知れなかったが、後の祭りである。
私はひきつった笑顔のまま後ずさりし、厨房に逃げ込む。その後は何かを察した村山君が彼の接客をし事なきを得たのだが、もう作り笑顔をする余裕すら無くした私はそのまま気分が悪いと言って早退する事にした。
「もうオシマイだ……」
肩を落とし、逃げる様に勝手口から帰る私。
「オイ」
意気消沈している私の背中を突き飛ばすかの様に呼び止める声。振り向くとそこには吉田君が居た。
永い沈黙。実際にはそれ程永く無かったのかも知れないが、私には永遠とも思える程永い沈黙が訪れる。
「お茶でも飲むか?」
その沈黙をいとも容易く、あっさりと破る吉田君。
拒否する権利の無い私は声が出せないまま小さく頷き、彼に連れられ近くの喫茶店へと向かって行った。これから始まるであろう、尋問に戦々恐々としながら。
ステンドグラスの傘を被った白熱灯が優しく温かい光を灯す小さな喫茶店。店内には静かな曲調の洋楽が響き渡り、まるで時間が止まっているかの様だ。
店のゆったりとした穏やかな雰囲気とは裏腹に、私は胸を締め付けられる様な想いで彼の後から席に着く。
彼はコーヒーを頼んだっきり一言も喋らず、ヨレヨレの煙草を口に咥えて火をつけた。天井を向き煙をフーッと吹く姿は、高校の頃真面目だった彼からは想像の付かない姿だったが随分と様に成っている。
「ご免なさい」
彼からの無言の圧力に耐えられず、私は先に切り出した。しかし、切り出した瞬間、空気が凍りついたのが解る。
「あ?」
学生の頃から余り感情を表に出す事が無かった吉田君。この時も一見普段と同じ表情に見えたが、私には全身から黒いオーラが出ている様に見え、たった一音で怒りが滲み出ているのが感じられる。
又しても沈黙。この沈黙が恐怖心を更に増幅させ、私は堪らずもう一度謝罪の言葉を繰り返した。
「ご免なさい」
「だから何?」
一言一句が彼の怒りの沸点に近づいている。言葉を詰まらせた私は彼の言葉を反芻するが、怒りの感情以外は読み取る事が出来ず、結局は真実を打ち明ける事でしかこの場から逃れる術が無い事を悟る。
「私ね、今あそこで働いているんだ」
「ふーん」
「気付いたと思うけど、実は大手出版社に就職が決まったと言うのは嘘だったの…」
「…………」
「一度だけ就職したんだけど……小さな町工場で、結局は直ぐに辞めちゃって…」
しどろもどろに成りながらも懸命に説明する私に対して、吉田君は何も言わずに黙って聞いて居た。だけど、彼の怒りが収まる様子は無く、寧ろ更に沸点に近付いている様に思える。
「今の所、ファーストフード店でずっとアルバイトをしていて、やっと準社員に成れたの。まだ正社員にはしてくれないみたい」
我ながら何て薄っぺらい人生なんだろうと思う。全てを語るのに、ものの五分と掛からなかったのだから。
こんな下らない人生を送って来た私を吉田君は笑うのだろうか?それともやはり、嘘を吐いていた事を激しく怒るのだろうか?下を向いていた私は改めて彼の顔を覗き込む。
彼の表情は以前変わらない。変わらないが彼から滲み出るオーラは更に大きく成り、気付けば私を含め、店内全てを包み込んでいた。
まもなく沸点に到達する模様。
「ご免なさい」
「何で?」
「……だからご免なさい、嘘を吐いてご免なさい」
私は誠心誠意謝る。それしか私には出来る事が無かったから。
「何で?」
彼は再び質問する。否、これはもはや質問では無い、恫喝だ。
「ご免なさい、本当にご免なさい」
私はひたすら謝り続ける。
「だから何で?」
無表情を貫いていた吉田君の声が徐々に荒ぶっていく。
「ご免なさい。本当にご免なさい」
彼の怒りを静める事が出来ない私は、情け無さと申し訳ない気持ちで一杯に成り、ボロボロと涙を溢す。
吉田君は大きなため息を付いた後、狭い店内が震える程の大きな声で怒鳴り散らした。
「何でお前が謝るんだよ!」
罪悪感で押し潰されそうに成っていた私は、彼の言葉を直ぐには受け止める事が出来なかった。
「だから何でお前が謝んなきゃいけねぇんだよ!!」
「え?」
この時に成ってようやく私は、彼の怒りの矛先が自分に向けられていない事を理解する。
「俺達は騙された方じゃねぇか!」
怒声から一変、泣きそうな声で彼は言う。
彼の怒りの矛先。私や彼を騙したのは一体誰なのか、この時の私にはまだ解らなかった。
「俺達は親や教師に頑張って勉強して良い大学に入れば幸せに成れると吹き込まれ、それを馬鹿正直に信じて頑張って来た。そしたらどう成った?」
この時、漸く気付く。イヤ、本当は疾うの昔に気付いていたのかも知れない。でも、その事実を受け止める事が出来なくて、気付か無いフリをしていただけなのかも知れない。
彼は続ける。
「必死に成って大学に入ったが、俺達が卒業する頃にはまともな就職先が無い。何とか見つけても、バイトと大して変わらない給料で、責任だけを押し付けるブラック企業。学生時代に遊んでいた高卒上司にアゴで使われ、昇進どころか昇給すらされない…」
「気付けば周りは結婚し、子供も作り幸せな家庭を築いている…」
「真面目に頑張って来た結果がこの様だ。」
自傷気味に嗤いながら吉田君は言った。
そして、再び怒りを露にする。
「俺達は騙されたんだよ。親や教師、世間と言うヤツに!!」
「ソイツらが何の罪の意識も感じずのうのうと生きているのに、何でお前が罪人みたいにコソコソしたり、謝んなきゃいけねえんだよ!!」
ボロボロと流れていた涙が止まる。彼の一喝で私の抱えていた罪悪感は洗いざらい消し飛んだ。
怒号が止み、再び穏やかな店内に戻る。
「すまない。只の八つ当たりだ……」
全てを吐き出した彼は我に返り、申し訳無さそうに謝る。
そして、優しく、寂しそうに微笑みながら、こう言った。
「良いじゃねぇか、嘘でも。夢が有って…」
私の頬を再び涙が伝う。
「ありがとう。ありがとう。ありがとう…………」
繰り返していた謝罪の言葉が感謝の言葉に替わり、店内のバラードと共鳴した。
氷河期世代のバラッド~fine
氷河期世代のバラッド 神代 哲 @tetsuojudai
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