導き

あずきに嫉妬

第1話

「僕を導いて」


戦場とは何か。

私にとって、その答えは未だに見つからぬものである。


私は貧しい家の長女として生まれた。

5人の弟と、3人の妹を持つ姉として、早くから家を背負った。

母親と父親は毎日猫の額ほどの土地を耕し、わずかに収穫できる作物で幼い私達を養った。小さい頃の思い出と言えば、狭いあばら家の中、子供達皆で内職をしていたことくらいである。それでも、私は充分幸せだったし、貧しい生活からも、ささやかな喜びを味わえた。

しかし、国は戦争を始めてしまった。

戦火は瞬く間に村に襲いかかり、母や、父や、まだ幼い弟や妹達を帰らぬ人にしてしまった。唯一、遠くの市に出かけて、生活用品の買い足しをしていた私だけが、生き残ってしまったのである。

市でおばさん相手に何十分も掛けて値切った甲斐があって、いつもより少しだけ安く買えた品々を持って、村へ帰った私の目に映ったのは、青かったはずの空を真っ赤に染め上げ、粉塵を撒き散らす焔と、黒焦げになった大地と、見慣れたはずの人々の無惨に倒れている姿だけだった。私は何が起きたか全く判断がつかず、呆然と立ち尽くすよりほかはなかったし、自分に何かが出来るとも思えなかった。家に帰ると、粗末な柵に寄りかかるようにして眠る末の弟が目についた。可愛らしい顔には血と混ざった土がこびりついて、三日前に綻んだところを縫い直してもらったばかりの服はボロボロになっていた。まだ小さい体は、真ん中からぱっくりわれて、中から桃色の腸や胃なんかがはみ出ていた。裂かれた皮膚の縁は薄汚れて、作り物みたいに薄っぺらに見えた。

家に踏み込むのに、私には一生分の勇気を要した。ほぼドアは全開だったし、家の中の様子もある程度見えてしまっていたからだ。母親を庇うように倒れている父親も、その下で眼をきつく閉じて父親の服を掴んだまま息絶えた母親も、死ぬ時まで逃げ惑っていたであろう妹達の崩れようも、怯えながら生を喪ったであろう弟達の強ばった体も、全部、理解を拒否する私の脳に容赦ない「像」として受容されていた。

それから、私はどうしていたのか、あまりハッキリと覚えてはいない。親や弟妹達を葬る気力もなかったし、アレを変えれるとも、変えようとも思わなかった。そのままにしておいた方が、自分にとっても、家族全員にとっても、一番の選択肢のように思えたのである。

ただ、気づいた時には難民たちの波の一部になり、貧民街をあてもなくブラブラさまよっていた。そこにいると、なぜかとても落ち着いた気分になれた。みな同じような経験をして、同じように気だるく、頽廃的であった。皆、誰かにへつらうことなく、一様に疲れた顔をして、羽根をもがれた虫のように歩き回っては、道端に座り込んだ。

少しでも姿色がある女は体を売り、頭がきれる男は盗みを働いた。醜女はパン一切れのために股を開いたし、スープ一口のために男達は尊厳を捨てた。何もかもが狂ったような世の中を、何もかもを狂わされた人々は這いずり回った。

私はと言えば、どっちつかず、としか言い様がなかった。体を売ろうと決心出来るほど肝も据わってなかったし、意味の無い良心は盗みを働くことを許してくれなかった。

私は、市の隅っこで身を置くことを覚えた。

朝市の後は、人が一気に減る、その時を狙えば、野菜の傷んだ切れ端や、誰も欲しがらない豚や牛の骨のカスや、少しカビたパンなんかが拾えたりするのだ。

私はそれらを大切に拾い上げ、こっそり煮て食べ、何とか空腹を凌いだ。

そして、ある日、私は幸運にも、拾われたのだ。

物凄い勢いの雨の日だった。

大粒の滴は人を打ちのめすような激しさで、痛みと寒さを人々にもたらした。皮膚の表面から伝わる痛みの感覚は、やがて冷たさに侵され、かじかんだ手は紫色に醜く変色した。

私は一人、街角で震えて、自分をきつく抱き締めた。死の訪れを迎えるときは、静寂が似合うと思ったからだ。霞みゆく視界に、何かが割り込んだと気づくには、随分時間がかかったと思う。上等な革靴であった。この薄汚い街にまだこんな上等階級の人がやってくるのかと、一瞬自分の目を疑ったが、いくら目を凝らしても、泥濘のなかでしっかりと美しく、その靴はつややかに光った。

目線をすこし動かして相手の顔を見ようとしたが、どうも焦点が収まらないようで、ぼんやりとした輪郭しか取れなかった。相手は誰かと話していたようだったが、やがて身を縮ませている私に気がつくと、覗き込むように体を屈めた。

その後の記憶はない。


私が再び目を開けた時には、暗い檻の中にいた。しばらく状況を飲み込めずに私は困惑したが、やがて目がだんだんあたりの暗さに慣れ、頭もすっきりしてくると、どうやら自分は何人かの同世代の少年少女と一緒に檻の中に閉じ込められていることがわかった。意識を失っている間に着替えを誰かがしてくれたらしく、粗末だが丈夫そうな服を着せられていた。周りは起きてる人とまだ意識が回復してない人で半々くらいだった。少しでも状況把握に繋がれたら、と思い、私は一番近くに座っている女の子の様子を伺った。私と同じくらいの歳か、それよりもうちょっと幼そうな子だったが、顔は疲れきっていて、目には光が宿っていない。私は無意識に眉根にしわを寄せた。さっと見回す限り、ほとんどの人が生気のない顔をしていたし、座ってる位置もバラバラだ。なんだか、互いに警戒し合うというレベルではなく、不穏な空気が張り詰めているように感じた。

そうしているうちにも、目を覚ます人は増えて、いつの間にか全員が起きている状況になった。何かが起こりそうな予感がした。


パッ、という音とともに、目の前がいきなり眩しくなった。誰かが電気をつけたらしい。目を刺すような強光に耐えきれず、私は何度か瞬きをした。目の縁から生理的な涙が滲む。やっとのことでその明るさに慣れると、どうやら私を閉じこめたこの檻は大広間のような場所に置かれていることがわかった。そして檻の前に立つ人は、まさしく私が倒れる時に見た人だった。

深層心理であの靴を履いているのだから大人だろうと思い込んでいたが、目の前の彼はまだまだ少年としか呼べないほど若かった。ひょっとしたら、私よりも年下かと思うほどであった。

顔立ちは端正を超えて、どこか魅惑的な色気すらチラつく美しさがあった。彼の横でひかえている二人の大男に比べ、どこか儚い雰囲気があったが、それでも彼の矜恃や自尊は大層なものだろうと思われた。

少年の踵のある靴は冷たい無機質なフローリングを鳴らした。一歩一歩近づいてくる様子には、獲物を狙う猫のように残忍で、冷酷で、高貴で、たまらなく人の心を揺さぶる優雅さがあった。

「生き残ったら、勝ちだよ」

少年の声色は澄んでいながら、どこか気だるげな笑いがあるように、私には思われた。

二人の大男が少年の指示を得ると、二十丁くらいあるだろうか、ナイフの束を檻越しに配っていった。私も一丁手にすると、ずしりとしたその手応えに思わず生唾を飲んだ。もちろん家で包丁を持って台所に立つことが多かったが、それとは比べ物にならないほど、鋭く光るナイフは危険に見えた。何も残されていない私はもう、何も怖くない。私は手に力を込めて、動いた。


深呼吸をひとつしてから、ドアをノックした。

「入って」

その一言を聞いて、私は重いドアを押し、中へ進んだ。本棚が両側にずっしりと構えられ、間に黒塗りのデスクが置かれている。その後ろで足を組んで座る彼は、トランプタワーを作るのに真剣だった。

「例の件についてですが、今季の予算の方と照らし合わせた結果……」

資料を捲りながら報告をしようとしたが、彼からの反応はない。どうやら報告よりも、トランプタワーを作る方が、今の彼にとっては大事らしい。

「……」

私は黙ったまま彼の動きを注視した。

「あっ!?!!!」

「あ、」

手元が狂ったのか、最後の1枚となるはずのカードが段からズレて、トランプタワーは崩れ落ちた。彼はしばらく悔しそうにカードを睨んで、はぁと大きくため息をついてから、私の方に向き直った。目には不満が書いてある。諦めて私は資料を読み上げずにそのまま手渡した。

彼は資料をパラパラとめくって、興味なさげに机上に放り投げた。

「……少しくらいは真面目に読んだらどうですか?」

「……読んだよ。」

不貞腐れた彼は、初めて会った時からは既に十歳も成長しているはずなのに、どうやら中身はあれから大して変わっていないらしい。

それに対して、この十年で私はだいぶ変わった、と思う。身を包むキッチリしたスーツ、脚を包むストッキングは一寸の隙もなく、絨毯に乗ったヒールは艶やかに光っている。

「仮にも今は戦中ですよ?」

思わず口から出てしまった言葉に、ハッとしてしまう。いくらなんでもこれは度を越えている。取り繕おうとしたが、一転した彼の表情でとどまった。口角が微かに上がっているが、目の奥に冷たさを宿した彼は、私を見つめていた。

「それくらいのことも分からないほど、僕は子供じゃないよ。」

いつにも増して冷たく部屋に響いた彼の声に、私は半ば無自覚に顔を強ばらせたまま、彼から目を逸らせずにいた。実際はただの何秒間の出来事だろうが、私には無限に続く先の見えない悪夢のように思われた。

そんな私の様子が悦に入ったようで、彼は急に笑いだした。

「だからさ、君が、僕を導いて?」

真っ直ぐに目で私を捉えて、彼は優しく微笑んだ。


「……はい。」


たぶん私には、始めから、それを答えるより、他の選択肢は与えられていなかった。

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導き あずきに嫉妬 @mika1261

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