好きと好きの
亜月 氷空
好きと好きの
「で? ねね、その彼とどうなったの?」
「んー、なんかー、美玲が好きだって言うからおっけーしたけどぉ、いまいちかなーって」
「ええー! いい人そうだったのにー!」
「やっぱモテる人は違うかぁ……」
「美玲ちゃん美人だもんね。告られたの何人目だっけ? あーいいなあ、羨ましい!」
昼休み、恋バナに花を咲かせる女子高生たち。もはや見慣れた光景だが、相変わらずくだらないな、と心の中で呆れる。誰が誰と付き合って、誰と誰が別れたかなんて、自分の好きな人でない限りは全く自分に関係ないだろう。しかし、それでも輪の中に入っていなければならないのが彼女らに溶け込む上での鉄則で。私は今日も愛想笑いを決め込んでいた。
「ねえ、乃蒼ちゃんは? 好きな人、いないの?」
私のほうを見ながら、さも興味津々といった様子で話しかけられる。
「ええー、いないよー」
「えーほんとに?」
「乃蒼ちゃんってそういう話全然ないよね。でも、乃蒼ちゃんの事好きなやつは絶対いると思う!」
「ね、乃蒼ちゃんかわいいもん」
あはは、そんなことないよーなんて、笑って返す。私は決して可愛くはないと思うが、私の好きな人は、誰にも内緒。だって、
「あ、ねえ見て観月くん!」
「え、うそどこ?」
「はー、やっぱかっこいいよねえ……」
窓から見える校庭の一角で華麗にバスケのシュートを決めていたのは、同じクラスの観月碧。顔よし頭よし運動神経よし、さらに性格もよしと三拍子ならぬ四拍子揃った所謂「学園の王子様」的存在だ。言わずもがな驚くほどにモテるが、今まで告白した誰もが撃沈しているという強者であり、まあ、誰にもなびかない学校のアイドルを想像してもらえれば、大方それが彼の特徴である。
そして私は、ご多聞に漏れず彼に好意を抱いていた。が、しかし、だからと言って彼に告白したり彼と付き合ったりしたいかというと、そうでもない。
「でもぉ、碧は美玲が落とすんだもん!」
つまりは、こういう訳である。一応は同じグループの、しかもリーダー格の人物と恋路で対立はしたくない。
いやいや、さっき新しい彼がどうのと言っていたばかりなのではと思うも、言ってもどうせ「美玲は恋多き乙女だからぁ」とかなんとかよくわからないことを返されるに決まっているので、余計なことは言わずに黙っておく。彼女に嫌われてもこのクラスで生きていけるほど、私は強くない。
きっと私が彼に抱いているこの感情も、アイドルに対する憧れと同じようなものなのだろう。自分というものがしっかりと出来ている彼に憧れているのだ。
だから、今の関係が一番。そう思っていたのに。
「……ぅえ?」
間抜けな声が漏れる。今私の目の前にいるのは、例の観月碧。そこまではいい。脳内で、先ほど目の前の彼から発された言葉を反芻する。
『好きなんだ。付き合ってくれないかな』
さすがに聞き違いだろう。そう思いたくても、目の前には少し顔を赤らめながら照れたようにこちらを見る彼がいて、それが現実だと突きつけられる。
「どう、かな。俺、ずっと前からいいなーと思ってて」
また照れて頬をかく。そんな挙動の一つ一つでさえも絵になるようで、しかし私は状況を咀嚼するのに精一杯だった。
観月碧が? 学校の王子が? 私を、好き? ……ずっと前から? 誰にもなびかなかったのに?
―――嫌だ。
自分の中で、驚くほどすんなり解答が出た。そして一度出てしまうと、その思いは止まらなくなって。
嫌だ、なんで、気持ち悪い、やめてよ。吐き気がして、口元を抑える。
私は彼が好き、彼も私が好き、でもそんな彼は嫌い……?
感情に戸惑いながらも吐き気が止まらず、私は「ごめん」とだけ言い残して、走り去るとトイレへ駆け込んだ。
しばらくして落ち着いてから、そっと外へ出る。彼には申し訳ないことをしてしまった。さすがにもう帰ったよね、と先ほどの場所へ行くと、案の定そこに彼はいなかった。仕方なくそのまま帰路に就く。
明日にでもきちんと謝らなければ。途中で逃げてしまったことと、告白の返事もきちんとはできていない。
それにしても、私はなぜ彼の告白がこんなにも嫌だったのか。私は彼が、好きだったはずなのに。自分の感情を理解できず、戸惑いを隠せない。不安になって、スマホを開き適当なワードで検索をかける。
すると、他にもこんな感情を抱いたことのある人はいるらしく、ある言葉が引っ掛かった。
「蛙化現象」。グリム童話の「蛙の王様」からとった名前で、原作は、泉に鞠を落としたお姫様が友達になることを条件に蛙に取って来て貰ったものの、付きまとう蛙が気持ち悪くて思わず壁に叩きつけたら呪いが解けて王子様になった、といったもの。この話とは逆に王子様が蛙になってしまったように感じるから、「蛙化現象」というらしい。
主な原因は、強い自己否定感。自分に自信がないから、憧れだった彼が自分を好きになることで「こんな私を彼が好きになるわけがない」と彼の価値が下がったり、彼の気持ちに不信感を抱いたりして、好意を素直に受け取れず気持ち悪く感じるらしい。
自分の魅力を認めることや自信を持つことで改善するらしいが、そんなことを言われても急に変わるのは無理な話だ。申し訳ないが、やっぱり彼の告白は丁重にお断りしよう。こんな私に付き合わせるわけにはいかない。そうしたら、またあの息苦しくも平和な日々が戻ってくるだろう。この感情の改善は、ゆっくりとしていけばいい。
なんてものは、甘すぎる話で。
翌朝、登校して教室に入る。ざわついていた教室内が、私が入ってきた途端に静かになった。彼はまだ来ていない。各地からひそひそと話す声が聞こえる。
……この感じを、私は知ってる。高校上がってからは無かったのに。脂汗が滲み、トラウマのように脳内に張り付いた小中学校での思い出が蘇る。なんとか拭い去ろうとするが、耐えきれなくなって教室から飛び出した。
とりあえず人のいない場所を探して、適当なところに腰を下ろして息を落ち着かせる。
小中と、私はいじめを受けていた。理由はさほど大したものではなかったと思う。ただ少し周りに劣るから、少し空気が読めないから。そんなようなものだった。そしてその時も、先ほどのような状況を体験した。
高校ではそんなことになるまいと、少し遠いところを選んだ。苦手な一軍グループに属して、愛想笑いを浮かべて、精一杯空気を読んで、逆らわないようにした。その努力も結局は無駄で、やっぱり私はいじめられる人間なのだろうか。
おそらく今回の原因は、昨日のことだろう。それ以外に思い当たらない。誰かがあの様子を見ていたのか。……まあ見られていて当然といえば当然だろう。あの彼が告白なんてしていたら、学校中の女子たちが卒倒する。そして、告白された女子はその瞬間、そのすべての女子たちを敵に回すことになるのだ。彼を責める気はないが、そのあたりの自覚が薄いのではないだろうか。
授業には出ようと教室に戻る。またひそひそと聞こえるが、なんとか耐える。休み時間のたびに教室を出て、始まる直前に戻ってくることでギリギリ生き延びていた。
そして放課後。耐えきった自分を心の中で褒め、帰ろうとすると、後ろから肩をたたかれた。
「ねえ、乃蒼?」
聞き違えるはずがない、美玲の声。ああやっぱり、彼女が主導か。
「乃蒼ってば。ねえ、碧のこと、どうして黙ってたの? 美玲、怒ってるんだよ? 言ってくれれば、協力してあげたのに」
振り向くのが怖くて固まっていると、彼女はそれに構わず話し始めた。
協力? 協力って、なんの? 観月くんの気持ちを私から美玲に移させること?
「聞いてんのかよおい」
「……っ」
急にドスのきいた声で言われ、髪を引っ張られる。
「碧がお前を好きだったことも、お前が碧を振ったことも、許せねえんだよ」
やっぱり、いじめられる理由なんて理不尽でできているのだ。私が告白された時点で、イエスと言ってもノーと言ってもこうなっていたのだろう。
「ねえ、こんなとこで、なにやってるの?」
美玲のさらに後ろから聞こえてきたのは、私が最も顔を合わせたくなかった人物の声だった。
「……っ、碧くん、や、これは……っ」
「乃蒼ちゃん、来て」
彼が私の手を引っ張って歩き出す。美玲もさすがに彼には逆らおうとしないようで、それ以上追いかけてくることはなかった。
「ね、まって、観月くん」
しばらく歩いて、人が少なくなってきたところで声をかける。
「まってってば。あの、そろそろ離して?」
「あ、ご、ごめん」
慌てたようにぱっと手を離される。「ええと、その……」なんて口ごもっていて、大方きまりが悪いのだろうと思い、こちらから口を開く。
「昨日は途中で逃げてしまってごめんなさい。気持ちはとても嬉しいんだけど、応えることはできないです。……本当にごめんなさい」
深々と頭を下げて謝る。少しは誠意が伝わっただろうか。
なかなか次の言葉をよこさない彼を窺っていると、しばらくしてから重そうな口を開けた。
「……そっか。わかった、こちらこそごめんね、ありがとう。……誰か、他に好きな人とかいるの?」
私は一瞬迷ったが、彼の誠実さを信じてみることにした。
「ううん、私は、観月くんが好きだった。……好きだったんだけど、告白されたらなぜか気持ちが受け付けなくて……。自分に自信がなくて、両想いが怖いみたい。だから、観月くんは悪くないの」
事実よりもだいぶ軽めに言ったが、本当はその気持ち悪さは自分でも信じられないほどだ。実際、今も少し彼の好意の目線に嫌悪感を抱いているのが分かる。
「じゃあ、さ。その症状、改善できるように手伝うよ。どうかな?」
思いがけない言葉に、一瞬戸惑う。もし改善できるならありがたいが、あの強烈な吐き気とクラスでの状況を考えても、とても今彼に協力は頼めない。
「えっ、いや……。ほら、悪いし」
「違うな、むしろ手伝わせて? 好きな子に好きだったって言われて、諦められるほど大人じゃないんだ、ごめんね」
爽やかで優しい微笑みと純粋な好意。誰もが落ちるであろうそれに、全身に鳥肌が立った。さすがに自分が自分で嫌になる。
「ありがたいんだけど、遠慮させてもらうよ。じゃあね」
一刻も早くこの場から、彼から離れたくて、足早に立ち去る。他にどこに行く気にもならず、さらに強くなった自己嫌悪感を抱えて家に帰った。
翌日から、私は一人になった。いじめはどんどんエスカレートし、殴る、蹴る、ものを失くされる、水をかけられるなどは日常茶飯事。勉強はしなければと学校には通っていたものの、それも少しずつ苦痛になって、部屋から出ない日や保健室に登校する日が続いた。
心配して連絡をくれる友達もいなくて、申し訳のなさから両親とも顔を合わせられなくて、昔から大事にしているくまのぬいぐるみを抱いて虚無の日々を過ごす。せめて状況は打開しなければ。そう思うも、体力と気力がついてこなかった。
そうやってどのくらいが経っただろうか。ある日、どうやってかは知らないがうちの住所を知った観月くんが家を訪ねてきた。インターホンに映る顔には驚いたが、生憎家には誰もいないし、来てもらったのに追い返すのも申し訳なくてドアを開ける。
「観月くん……? どうしたの?」
長く日光に当たらずひどいであろう顔で出迎える。彼は少し驚いた顔をした後、私に紙袋を差し出してきた。
「これ。お詫びというか、お見舞い、持ってきたんだ」
中を覗くと、少し前に駅前にできたらしいケーキ屋の箱が見える。
「ありがとう。中、入る? うち今誰もいないから」
「お邪魔します……」
そう言ったので部屋に通すと、入った途端にいきなり頭を深々と下げてきた。
「ごめん! 本当に、ごめん」
「ちょ、顔上げてよ。何が?」
さすがに少し慌てて頭を上げてもらう。
「君が学校に来なくなったこと、俺が告白したせいだって。君のことが好きなのは変わらないけど、君に会えないほうが嫌だから、君に迷惑をかけているならもう関わらない。でもせめて、きちんと謝っておきたくて」
そう話す目には悲しみの色がありありと浮かんでいて、ああ、やっぱりいい人なんだな、と改めて思い知らされる。相変わらず嫌悪感は拭えないが、これはモテるわけだし、私もこの誠実さで好きになったんだった。でも、
「ありがとう。謝ってくれたことは嬉しいし、もう観月くんを悪く思ってはないよ。でも、今更あなたが私に関わらなくなったところで、私が学校に行けるようになるわけじゃない。もう、疲れちゃったんだよね」
「そ、んな……」
薄く笑って言った私とは対照的に絶望したような表情を見せていて、思わず笑い声が零れる。
「ふふ、変な顔。安心して、私は死なないから」
安心したのもつかの間、意味が分からないといった顔をする彼を置いて、私は言葉を続けた。
「あのさ、私気付いちゃったんだよね」
「……なに、が?」
「みんな、生きてるから私に構うの。生きてるから私を好きになるし、生きてるから私をいじめる。だったら、みんな生きていなければいいんじゃないかな、って。この子みたいに」
ベッドの上に置いてあったくまのぬいぐるみを抱きかかえる。この外に出なかった期間で気付いたことが、これだった。
「ねえ、観月くん。私のことを好きじゃないあなたは、好きだよ」
怯えた表情を浮かべる彼に、そっと近づく。
「ねえ、また私に、好きにならせてくれる?」
好きと好きの 亜月 氷空 @azuki-sora
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