8/15 八月、夕暮れ、花緑青
17:00 まだ日が差す夕暮れ時、ユズハは家を出た。
夕暮れ時にも関わらずまだまだ暑さは残り、外にいるだけで汗ばみそうになる。
さっきまでの夕立の影響で、ムシムシとした熱気がアスファルトから伝わってくる。太陽が照りつけ、頭がジリジリと焼ける。 日暮が鳴いている。
今日は初めてカヲルの家に向かう、今まではあまり家に招く事に乗り気では無かったが、来ていいよ、とようやく許可を貰うことが出来た。
この日のことをずっと楽しみにしていた。
カヲルの家には徒歩10分程、歩いて行ける距離にある。
八月も半分に差し掛かっている、就職活動も順調に来ていた。少しだけほっとしていた。
なるべく早く決めたいと思っていた。少しでも長く二人で時間を過ごせるように。
昨日は二次面接があった、手応えもある、きっと大丈夫だ。
ちょうど暑さに耐えられなくなってきた時のこと、数メートル先に自動販売機が見えた。
硬貨を入れる、150円と書いてあるボタンを勢いよく押した。
ガチャン、という音と共に飲み物が落ちてくる。
ユズハは自動販売機でソーダを買った、もう喉が乾いて我慢の限界に達していた。
炭酸が喉を通っていく、冷えきった飲み物が染みる。
清涼感が暑さを忘れさせてくれる。
「プハー!!、美味しすぎる...」
「部活帰りにみんなで飲みながら帰った事思い出すなあ」
この道は学生時代登下校で使っていて、部活動が終わる夕方にたまに友達とソーダを買うことがあった、自転車を停め、河原で休憩しながら。
甘さと酸味が思い出を蘇らせる、脳内で思い出が広がっていく。あの頃は何も辛いことなど無かった、楽しい時間だけが続いていた。
あの時思い描いていた、世界は現実とは程遠いものだったと後々気づくことになる。
あの頃の少女達は成長し、それぞれの人生を歩んでいく。おかしなことは何も無い、だがそれが怖かった。 変化が、今が変わっていく事がユズハは怖かった。
当たり前が、当たり前ではなくなってしまうことが。
今はもう離ればなれになってしまった人もいる、過ごした思い出が美しい。
大人になっていくことがどういうことか考える、忘れてしまう事が大人になるということなんだろうか。
思い描いた夢も、大人になるほど時効になってしまう。
時の流れは無限ではない。
「もう私わかんないよ...」
流した涙が先程の夕立のように伝っていた。
「もう一度、あの夏に戻って」
そんな思いが渦巻いていた。
夏という季節が好きだった。哀愁と漂う暑い空気が好きだった。
涙を拭う、少女は夏に思い出を見る。
家に帰る小学生の声が聞こえてくる夏の夕暮れだった。
ーーーーーーー
「は〜そろそろお家着くなあ」
カヲルの家の前に着いた、着いたら部屋入ってきていいよ、と連絡があったのですぐに家の中に入った。
中は最近できたばかりのような家で、シンプルな白い壁とソファーが特徴的だった。
2階に上がる、カヲルの部屋があった。
コンコン
「カヲルー!、来たよー!」
「おっ、やっほ〜いらっしゃい」
「すっご〜い!!なにこれ!!」
部屋には大きなPCとスピーカー、更には多くの楽器が並んでいる。
ギター ベース シンセサイザー アコースティックギター 篠笛やカホンまである。
「仕事で使うやつだから乱暴に触るなよ〜」
「は〜い」
「この楽器使って作曲とかしてるんでしょ?」
「そうだよ〜いっぱい使ってるんだ」
「こんなにいっぱいよく買えるねえ」
「前は今よりもだいぶ収入あったからな」
「こんなに部屋に楽器あったらかっこいい....」
「カヲルは凄いね、一人で色んな楽器を使って音楽を作ってる。」
「色々弾けるから、楽しいぞ」
「ね、気分転換にもなるし」
「そうだな」
「ユズハの家には、どんな楽器があるんだ?」
「家にはアコギとピアノあるよ!」
「グランドピアノか」
「俺も欲しいなグランドピアノ」
そう言いながらシンセサイザーの鍵盤をひとつ押す、シンセサイザー特有のふわっとした音が部屋に響く。
「家にあると思ってた」
「実家にはあるんだけどね」
「カヲルはピアノ弾ける?」
「弾けるよ、全然上手くないけどね」
「なんか弾いてみてよ」
シンセサイザーの設定をピアノ音に変え、カヲルが弾き始める、不思議な暗い雰囲気のクラシックメロディが流れ出す。
「なんで月光なん笑」
不意を突かれ、思わず笑みがこぼれる。
もっと有名なポップスでも弾くものだと思っていた。
「なんだよ 笑」
「一発目で月光ってなんか笑笑」
「私はピアノ習ってたからわかるけど笑」
「はは笑」
ピアノソナタ第14番、世間では月光という愛称で呼ばれている曲。 ヴェートーベンのが作ったもの。
ユズハも幼少期に自分が弾いた時の事を思い出した。
「この曲好きなんだよな、なんか」
「えーなんでよ」
「メロディが、個人的にすごく好き」
「私クラシックとかほとんど知らない」
「クラシックなあ俺もそんな知らんけど」
「クラシックはいいぞ」
「難しそうだもんーー」
「そんなことないんだけどな」
カヲルの部屋には他にも写真や芸術作品が飾ってある、どれも初めて見るものばかり。
「この写真は、どこ?」
「あーこれか、これはなえっと、マンチェスターに行った時の写真」
「まんちぇすたー...」
「イングランドだよ」
「ご飯美味しくない国?」
「それイギリス」
「ワッフル?」
「ベルギーだそれは」
「食べ物ばっかりなんだよ、覚え方特殊か」
やや呆れた表情をするカヲル。
「イングランドの主要都市だよ、空が綺麗だった」
「なんでイングランドなんかに行ったの?」
「旅行も兼ねて作品を作りに行ったんだ」
「懐かしいなあ」
引き出しから何枚かの写真を出して見せてくれた。
「新しい作品を作りにイングランドに行って、その時撮った写真。」
「何人かで行ったんだ」
風景、街並み、食べ物など様々な写真が広がっていた。
「大変だったんだよ〜色々とな」
「何があったの?」
「荷物が届かねえとか、雨ばっかりとか、なかなか作業進まねえとかさ」
「みんなで頑張って仕上げたよ」
「お疲れ様です、、」
「住む世界全然違う、、」
「なればいいんだよ」
「簡単に言うなよ〜」
「音楽家になりたいのか」
「うん、なりたい」
「アドバイスください!!先生!」
目がキラキラと輝いている、とても純粋な目だ。
「なんで音楽家になりたい?」
「なんで、かあ」
「音楽が好きだから」
少し驚いた様子で、お?、という顔をする、その後で少しだけ笑う。
「音楽で人を喜ばせたい、とか言うと思った」
「んーそれはないかな」
「人の為に音楽作りたくない」
「それでいいよ、創作は自分のためにするものだ」
「主観だけを信じて、自分が気持ちよくなる事だけを考えろ」
「俺から言える事はそれくらいだ」
「ありがとう、なんかほっとした」
「ねえ、これなに?」
窓辺に小さな瓶に入った青い液体、瓶が2本ある。
中の液体が少しだけ揺れている、照らされた液体が輝いて見えた。
「片方は花緑青、もう片方は
「人口塗料だよ」
「なんで人口塗料が部屋にあるんですか?」
小さな空間にこれほどの物があるとは思わなかった。 中には鍵がかかってある引き出しもある、中身がとても気になるが言わないことにした。
「イングランドに行った時に貰ったんだよ、すごく綺麗で」
「なんだかもうわからなくなってきました私は」
ついていけない、というような言い方で話す。
話し続ける2人の横で、人口塗料は揺れ続ける。 照らす光で色が淡く変化しているように見える。
夜の帳が下りて来る、街を染めて暗くなる。
夕立の水滴が、葉を伝って落ちた。
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