脚立、アフターバーナー、シャチ
カンタローはうちの犬である。雑種だが柴犬とポメラニアンを足して2で割ったようなやつで、贔屓目かもしれないがかわいい。愛想がいいからご近所のアイドル的存在になっており、飼い主のぼくは知らなくても犬のカンタローは知ってるという人も少なからずいるようだが、まぁいい。
さてこのカンタロー、仔犬の頃から飼っていてぼくにとっては弟みたいな存在なわけだが、家に来てから十年間、一度もオナラをするのを見たことがなかった。とはいえカンタローは元気なのでさほど気にしていなかったのだが、これが実は相当溜め込んでいたらしい。今朝、散歩のためにハーネスをつけてカンタローと外に出た途端、カンタローがオナラをした。それも物凄いやつを一発こいた。
で、飛んだ。リードを持っていたぼくも巻き添えである。
「ああああぁぁぁ!!?」
上空二メートル付近に舞い上がったぼくとカンタローを見て、庭でバイクの整備をしていた兄が悲鳴をあげ、こちらに駆け寄って来ようとして転んだ。小さめのガソリンタンクが手を離れて宙を飛び、あろうことかこちらに向かってくるのがスローモーションで見えた。開けっ放しの口から飛び出したガソリンがカンタローの屁に接触、その瞬間、カンタローの屁は燃えた。
まさかのアフターバーナー。爆発的推進力を得たカンタローは、ぼくをぶら下げたままさらに上空へと舞い上がった。
ぼくはリードを離すまいと躍起になった。肝心のカンタローはもふもふの毛を靡かせ、シニア犬だというのに空気抵抗もなんのその、一旦舞い上がったあとは事もなげに短い脚でチャカチャカと空気をかいて、なんと空を走り出した。待て! カンタロー! 待て!
ぼくは無我夢中でカンタローにぶら下がった。地面ははるか下、高度はたった今八階建てのマンションを超えた。景色が綺麗だなぁなどと言ってはいられない。
死ぬ。
いくらカンタローだって無尽蔵に屁は蓄えていまい。カンタローのガス切れがぼくたちの命運尽きるときである。せめてゆっくり着地してくれればいいが……と思っているうちに海が見えてきた。
港を飛び越え、灯台とすれ違い、水族館の建物が近づいてくる。大きなプールでショーをやっているのが見えた。
あのプールに着水すれば……! ぼくは心の中でガッツポーズを決めた。コース的にもおそらくドンピシャである。運良くガスが少なくなってきたのか、カンタローの高度も落ちてきた。このまま行けば助かる! そう確信したぼくの腹を、突然なにか巨大な白黒のものがズドンと突いた。
シャチだった。そいつはプールに降ってきたぼくたちを、鼻先で空中にかち上げたのである。
「げえっ」
変な声と共に、ぼくの尻からブウウウゥンという音がした。屁だった。まさかの二段階、追加の推進力。ぼくたちはふたたび宙に舞い上がった。いや、これは死んだな。ちょっと実も出たし社会的にも死んだな……しかし幸いにもぼくにアフターバーナーはついておらず、しばし浮遊したあと、カンタローは水族館のバルコニーの植え込みに突っ込んでそこそこの軟着陸を果たした。
「いたいた!」
階段の方から、脚立を抱えた父と大きなタモを持った母が走って姿を現した。
かくしてぼくとカンタローは無事に家に帰ることができた。カンタローはまた空を飛びたいような顔をするが、どうやら体内のガスを使い切ってしまったらしく、全然飛べないようだ。ぼくとしてはガス欠のままでどうぞという気持ちである。ケツだけに。
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