ヴァイオリン、寄付、尿路結石

 坂崎くんは某大学のオーケストラのOBである。

「うちのオケ、年に二回演奏会をやるんですよね。俺は観客として行くつもりだったけど、当日に受付やる予定だった奴が、その日の朝に尿路結石で病院に運ばれちゃって」

 急遽ピンチヒッターとして、坂崎くんが受付を手伝うことになった。

「受付って何人か必要なんですよね。俺はチケットのモギリじゃなくて、差し入れや花束なんかの受付をやってたんですよ」

 開演前の混雑が過ぎ去ると、スタッフも隙を見て客席に行ったり、トイレに行ったりするようになった。とはいえ、途中で入ってくるお客さんがいないとも限らない。だから誰か一人は必ず受付に残るよう、皆が気を配っていたはずだという。

 ところが、いつのまにかプレゼント受付の長机に、記名のない品物が置かれていた。

 見るからに異様だった。花束やお菓子の包みが目立つ中、隅にそっと放置されていたそれは、ヴァイオリンケースだったという。黒い表面にはいくつも傷があり、一見してかなり使い込んだものだとわかった。「寄付します」と書かれた無地のカードが添えられている。ケースを開けると、ケースと同じくらい使用感にあふれたヴァイオリンが入っていた。打楽器担当の坂崎くんにはよくわからなかったが、ヴァイオリンパートだったOBによれば、おそらく練習用の安物だろうという。

「参ったなぁ、誰だよこんなの置いてったの」

 誰も送り主の姿を見ていない。

 確かにヴァイオリン、決して使わないわけではない。だがヴァイオリンパートの部員の多くは自分の楽器を持っているし、第一使い古しの安物を贈られても困る。

 とはいえ捨てるわけにもいかない。万が一送り主が難癖をつけてこないとも限らないし、それ以前に皆、楽器を粗末にできないのだ。

 演奏会の後で部長や顧問とも相談し、そのヴァイオリンはとりあえずオーケストラ部の倉庫に置いておくことになった。


「で、ここから先は俺は直接見てなくて、現役から聞いた話なんですけど」


「倉庫から変な匂いしない?」

 現役部員の間でそんな話が聞かれるようになったのは、演奏会の翌日からだったという。

 飲食厳禁の倉庫内には腐りそうなものなど見当たらない。皆が首を傾げつつ、「次の練習前に都合のつく部員で掃除をしよう」ということになったらしい。

「その日は部活がなくて、でも熱心なやつは毎日のように練習しますから」

 その日もトランペットパートの部員が、遅くまで残っていたという。

 午後九時が過ぎ、音楽棟が閉まる時間が近づいてきた。部員も練習を切り上げ、練習室の片付けにかかる。その後は楽器を倉庫にしまって、鍵をかけないとならない。

 トランペットの部員が倉庫の扉を開けると、真っ暗な中からむっと異臭が漂ってきた。彼はとっさに手で鼻を押さえ、電気のスイッチを入れた。

 一メートルほど手前に人が立っていた。

 長く伸びた髪は脂で固まり、顔を覆い隠している。顔立ちどころか、男か女かすらもわからない。標準の三倍近く肥満したその人物は、呆然と立ち尽くす部員の前で近くの棚を指さし、テレビのスイッチを切ったかのように突然ぱっと消えたという。

 数秒のち、我に返った部員は楽器を背負ったまま倉庫を飛び出し、学内の事務室に駆け込んだ。


「事務員さんと確認しに行ったときには誰もいなかったそうです。防犯カメラにも、そいつが泡食って走ってるとこしか映ってなくて」

 謎の人物が指さした棚には、くだんの古いヴァイオリンが仕舞われていた。試しにケースを開けてみると、脂じみた指紋がべたべたついていた。コンサート当日に確認した際には、間違いなく見られなかったものだった。

 近所の寺に持ち込んで供養してもらった後は、倉庫から異臭がすることがなくなった。

「というわけで一応解決はしたんですけど、お祓いの料金は結局みんながカンパしたんですよね……納得いかないんだよな」

 くだんのヴァイオリンの出所は、今も不明のままだという。

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