ミトコンドリア、エチオピア、餞
大叔母はホラ話の好きなひとだった。
十年前の三月、就職のために実家を離れる私に「これは餞別よ」と言ってくれた素焼きのポットは、今でも手元にある。細長い首をもった見慣れない形のもので、表面を素朴な幾何学模様が飾っていた。
「なにこれ?」
「魔法のランプよ」
「うそでしょ。第一これポットとか急須の類じゃない?」
大叔母は笑った。「ほんとはあたしにも何だかわからないんだけど、ミカが好きだろうと思って買ったのよ。一輪挿しにでもしたらどう?」
「花なんか飾る習慣ないよ」
かくの如きひとである。
私が物心つくころから大叔母はこんな具合で、幼い私は実際、いつもエキゾチックな模様のシャツだのターバンだのを身に着け、風変りなお香の香りを漂わせている大叔母のことを「本物の魔法使い」だと思い込んでいた時期がある。やれ恐竜を見たことがあるだの、ミトコンドリア・イブはあたしのご近所さんだっただの、モーセに海を割ってもらって近道したことがあるだのと、彼女のホラはやりたい放題だった。ただ、あまりに荒唐無稽な嘘ばかり吐くので、騙される気遣いだけはなかった。
そんな不老不死の魔法使いも年をとって、今はもうこの世のひとではない。最後に会ったのは例のポットをもらったとき――つまり上京する私と、海外に二年間の出向を命じられた兄ふたりの壮行会だった。彼女は私たちにそれぞれ陽気な餞の言葉を送ったあと、私には謎のポットを、兄には国籍不明のお面を贈った。
これを一体どうしろというのか……と思いながら、十年の時が経っても、私は謎のポットを手放せずにいる。結果的に大叔母の形見になってしまったということもあるけれど、ここぞという日の朝にポットを撫でると、不思議と物事がいい方向に運ぶのだ。もっともこれは私の気のせいかもしれない。でも大事な面談で思いがけない高評価をもらったり、意中の男性とのデートが上手くいったり(彼とは後に結婚した)、地道に成功体験を積み重ねてしまうと、非常に捨てにくいものだ。
ちなみにこのポット、コーヒーマニアの知人によって「ジャバナ」というものであることが判明した。エチオピア・コーヒーを淹れるためのものらしい。それを聞いたとき、「なにが魔法のランプで一輪挿しなのよ」と私は笑った。笑いながら、大叔母がすでに亡くなっていたことを寂しく思った。彼女に「これジャバナっていうらしいよ」と教えてやれないことが、心底残念だった。
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