ムカデ、地獄、輪切り

 藤見川大橋のたもとには、むかし、大きな松が一本のっそりと生えていたという。

「なんでもおれのひいじいさんがまだ若い時分の話だっていうんだから、大昔ですよ」

 蓬川はそんな具合に話し始めた。


 その頃、一本松の辺りには奇妙な噂があったという。

 夜がふけて辺りが真っ暗になると、松の根元がぼうっと光る。なんでも幽霊がそこに立つのだという。

 当時庭師をしていた蓬川のひいじいさんという人は、剛毅な人物であったらしい。

「おれが幽霊をとっつかまえてやるって言ってね、鉈を一丁持って」

 藤見川大橋のたもとへと、ひとり繰り出したのだという。

 夜はとっぷりと更け、現代では考えられないような深い闇が立ち込めている。その中を鉈を持った男が、提灯をひとつぶら下げて歩いていった。

「そんで、ようやく橋が見えてきたってときにね」

 突然ぽつぽつと小雨が降り始めた。

 男は提灯をかばいながら、一本松へと駆け出した。根元で雨宿りをしようと考えたのだ。幸い、さほど雨に打たれないうちに、彼は枝葉の影に隠れることができた。

 辺りにしとしとと湿気が満ちてゆく。

 雨など降ると思っていなかったから、傘の準備などあるはずもない。

「まいったなぁ」

 思わず独り言をつぶやくと、「ほんに」と何かがこたえた。

 男が振り返ると、提灯の照らす先に、真っ白な女がひとり立っていた。

 着ている着物ばかりでなく、長く垂らした髪の毛から肌まで、べっとりと塗ったように白い。

 幽鬼のように瘦せ細った顔が、こちらを見てにっと笑った。

「ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち」

 何かを擦り合わせるような錆びた音が、女の口元から鳴り始めた。

 地獄の底から響くような音だったという。

 男はとっさに鉈を抜くと、女の頭をめがけて斬りつけた。勇敢であったというよりは、恐怖に耐えかねたらしい。鉈は思いのほかあっけなく女の頭を切り飛ばした。

 ぎちぎち、という音が止んだ。

 気づくと、両膝がひどく震えていた。

 女が立っていたはずの場所には、どこから持ち込まれたのか、頭部を輪切りにされた案山子が立っていた。


「そんなことがあったから、ひいじいさん、その後も一本松のことは何かと気になってたらしいんですね」

 後日、一本松は切り倒されることになった。老木のため傷みが激しく、このまま捨て置いては危険と判断されたらしい。そしてその伐採作業を請け負ったのが、ひいじいさんの親方であった。

 当然、ひいじいさんもその現場へと赴くことになる。

「で、その松を切り倒した瞬間、親方がうわぁー! ってすごい声を上げたらしいんですよ」

 一尺ほどもある巨大なムカデが、松の根元から這い出したのだという。

 周囲が騒然となる中、ムカデは川の中へと消えていった。

「ムカデも年をくったら人を化かすんだって、ひいじいさんはしつこく言ってましたけどね」

 どうだか、と蓬川は笑って締めくくった。

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