干し芋、ロックンロール、大アルカナ『世界』

 父方の祖父が亡くなったとき、祖母は七十三歳だった。昔からやたらとアクティブな人ではあったけれど、

「おじいちゃんのとこに行くまでまだまだあるから、とりあえずもうちょっと都会に住むわ」

 と言って、それまで住んでいた家をさっさと売り払い、××市のまあまあ閑静な住宅街に中古の一軒家を買った(それも即金で)ときには、さすがに親戚一同開いた口がふさがらなかった。

「あたしの遺産は期待しないでちょうだい」

 と言い放ち、自由すぎる余生を謳歌し始めた祖母は、当時大学受験の真っ最中だった私の目にはうるさいくらいに眩しく見えたものだ。

 そんなやりたい放題の祖母にもしばらくして天敵が現れた。烏である。

 破天荒な反面マメでもあった祖母は、新居の軒下に干し網を吊るして、野菜だの果物だのの乾物を手ずから作っていた。ところがそれを烏が狙い始めたのだ。なんと、干し網のジッパーを器用に開けて中のものを持っていってしまうという。

 大学に無事入学し、キャンパスと祖母の家が存外近いと知った私は、当時たびたび祖母宅に足を運んでいた。謹製の干物をやられた祖母の怒りといったらもう、半端なものではなかった。

「あいつ安納芋を! あたしの安納芋を持っていったのよ!」

 ダイニングテーブルを叩く祖母の後ろには、掃き出し窓とささやかな縁側が見える。そこに張り出したパーゴラから何体もの烏の模型が逆さ吊りになって、景観を台無しにしている。

 とっておきの干し芋を盗まれた祖母は「犯人をとっつかまえてあそこに並べてやる」と息巻いていたが、如何せん無茶な話でもあった。烏避けにも引っかからず、干し網を壊さずに開け、よりによって一番高い芋をさらっていった賢い相手が、おいそれと罠にかかるとは思えなかった。

「こないだなんか、わざわざあたしの目の前で盗っていったのよ」

「いや、わざわざではないんじゃない?」

「待てって言ったのに全然待たないのよ」

「そりゃ待たないでしょうね」

「猟銃の免許ってあたしにもとれるかしら」

「ちょっとちょっとやめてよマジで」

 冗談よ、と言ってカラカラ笑う祖母はしかしギリギリ戦中生まれの戦後育ち、産湯の代わりにロックンロールに浸かって育ったと豪語するような人だから(微妙に時代が合わないと思うのだが……)、このまま泣き寝入りするようにはとても見えなかった。実際、台所の隅にはエアガンのカタログが積まれていたりして、私や私の両親たちをヒヤヒヤさせた。

「もう軒下に野菜干すのやめたら?」

「いやよ。あたしが鳥畜生に負けたみたいじゃないの。ロックじゃないわ」

 勝負の行方を占う、と言ってマルセイユで入手したタロットをテーブルにぱたぱたとふせ始め、ぱっと引いた一枚が『世界』だったとき、祖母は豪快に高笑いをした。

「これは私の復讐がまさに成就するという予言よ!」

「当たるかなぁ」

「余計なこと言うもんじゃないわよ。時間を止めてあいつを捕まえてやる、『世界ザ・ワールド』!」

「おばあちゃんジョジョ知ってるの?」

 というわけで威勢だけはやたらとよかったが、祖母が突如としてスタンド能力に目覚めるようなことはもちろんなく、復讐はなかなか成就しなかった。

「とにかくおばあちゃんが危険なことだけしないように見張っててよ」

 母に命じられた私は、家事を免除される代わりに頻繁に祖母の家に通った。そのせいか、当時の祖母はなんだか楽しそうでもあった。


 ところが次の年の冬、インフルエンザで倒れた私がおよそ二週間ぶりに祖母の家を訪ねると、軒下にぶら下がっていた大量の烏の模型がなくなっていた。

 驚いて祖母に詳細を尋ねると、「取引をしたのよ」という答えが返ってきた。

「あたしが乾物の一部を提供する代わりに、悪さをしないってことになったの」

「ほんとぉ?」

「本当よぉ。ほら見てごらん」

 祖母が掃き出し窓の外を指さした。

 私は庭木の一本に、大きな烏が止まっているのを見つけた。気のせいか、相手もこちらをじっと見つめているように見える。

「約束さえしちゃえば大人しいもんよ」

「ほんとにぃ?」

「本当よ。生ごみだって荒らされなくなったんだから」

 真偽はわからないがとにかく祖母は満足げだったし、家の中からはエアガンのカタログが消えていた。ある意味これもグッドエンディング、タロットの予言は案外当たったのかもしれない。


 祖母はその家で十五年の月日を過ごした。亡くなる寸前までピンピンしていたらしいが、ある日リビングで倒れているのを近所の人に発見されたらしい。

 その頃、私はとっくに結婚して遠方に引っ越していたので、以前のように祖母の様子を頻繁に観察する人はいなかった。だから独居老人であった祖母の死は、本来ならばもっと発見が遅れたはずである。

「おばあちゃん家のパーゴラに、烏が何羽も群がってたらしいわよ。それでご近所さんが気にして、家の中を覗いたんだって」

 親戚一同が噂しあう中、青空に一本高々と白い煙を上げて、祖母は天に昇っていった。

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