ツナ缶、鮭、悪魔

 ある朝、起きたら頭部が鮭になっていた。

 上司に連絡したら、『熱は? 平熱? じゃあ出社できるね』と言われてしまった。仕方がないので俺は普通に朝食をとり、スーツを着て家を出た。

 電車に乗って会社に着くまでの間に大騒ぎになったらどうしようかと心配したが、道行く人々は思った以上に俺に無関心だった。これが多様性の時代というものだろうか、などと考えながら、俺は通いなれたオフィスに到着した。

 困ったことに、この日を境に俺の営業成績はガタ落ちした。元々俺はツナ缶を作っている会社の営業マンである。考えてみてほしい。もしも鮭がツナ缶を売りに来たら、あなたはどう思うだろうか? 「鮭のくせにツナの何がわかるんだ?」と思うのではなかろうか。それとは別に「正面顔が恐いから担当を変えてくれ」というクレームが相次ぎ、俺は会社をクビになった。

 途方に暮れていた俺はしかし、すぐに再就職に成功した。転職先は鮭フレークを作っている会社である。この新天地で鮭フレークを売りまくってやろう。俺は奮起した。

 しかし、俺の営業成績はまったく伸びなかった。考えてみてほしい。もしも鮭が鮭フレークを売りに来たら、あなたはどう思うだろうか? 人間が人肉の瓶詰を売りに来たかのようなグロテスクさを覚えるのではなかろうか。「鮭の目の前で鮭フレークの試食ができるか」「あと正面顔が恐い」というクレームが相次ぎ、俺はすっかり意気消沈してしまった。

 しかし、俺を採用した社長は決して俺をクビにしようとはしなかった。それどころか、鮭化が進んだ挙句大きな鮭に手足が生えた怪物になり下がった俺を、社長秘書に転属させてくれたのだ。やはりこの会社に来てよかった。俺は本気でそう思った。

 しかし、それもまた過ちだった。ある日社長室でふたりきりになった時、社長は突然俺をソファーに押し倒し、鮭の体型に合わせて作った特注の服を強引に脱がせ始めたのだ。

「あっ! そんな、いけません社長!」

 突然のBL展開に驚きつつも恥じらう俺に、社長は恐ろしい願いを口にした。「頼む! 君の体で鮭フレークを作らせてくれ!」

 俺はびちびちと必死で抵抗した。全力で社長を突き飛ばすと、社長室から走って飛び出した。社長は悪魔にとり憑かれたかのように恐ろしい、そして恍惚とした表情で、サーモンバット(鮭の頭を叩いて活け締めする道具)を振り回しながら追ってくる。いつの間にか他の社員たちも各々のオフィスから飛び出し、手に手にサーモンバットだのナイフだのを持って走ってきた。やはり皆悪魔にとり憑かれたかのような顔をしており、俺はあらためて社員たちの鮭フレークに対する愛を感じながら、しかし加工されてはたまらないのでなおも逃げた。

 鮭の体は走りにくい。ヒイヒイ言いながら俺がたどり着いたのは、大きな河川だった。そういえば、ちょうど鮭の遡上の時期である。俺は身にまとわりついていた服を脱ぎ捨て、川へと飛び込んだ。

 川は俺を、まるで昔からそうすることが決まっていたかのような優しさで包み込んだ。俺は追手をぐいぐいと引き離し、川上へ向かって泳いだ。これまで生きてきて、こんなに気持ちのよかったことはなかった。

 鮭は川をさかのぼり、繁殖活動を終えると死ぬという。それで死ぬのならば一向に構わなかった。ただ死んだのち、社長たちに鮭フレークにされるのは嫌だなと思った。いつの間にか残っていた人間の手足も消え、完全な鮭の姿となった俺は、冷たい水の中をどこまでも泳いでいった。

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