合わせ鏡、釣り針、電子レンジ
運命の人ってどんな人かな、と思った。
素敵な人だといいな、と思った。
学生の頃からずっと一人暮らししている、壁が薄くて外階段がガンガン鳴り響く狭苦しいアパートの部屋でワンカップをすすりながら、三分前に三十二歳の誕生日を迎えたことに気付いたとき、そしてそれが「母親が自分の妹を産んだ年齢と一緒」だということに思い当たってしまったとき、あ~私の運命の人ってどんな人かにゃ~、なんてことをしみじみと考えたのだった。
およそ四年前、本気で結婚しようと思った相手と別れてから、もう全然ほんとに全っ然、浮いた話なんてひとつもなかった。いい感じになった相手すらいなかった。
もう四年も前だっていうのに、私が無精していたせいで、その別れた男の私物はまだこのアパートに残っている。もういっそここも引っ越しちゃおうかな、でも引っ越しってめちゃくちゃ大変だしな、なんて言ってる間にもう三十二歳、アラサーはアラサーでも三十オーバーの方のアラサー独り身目立ったスキルなし派遣社員なんだという実感が迫ってきて、不安になった私は突然片付けを始めた。まずはクローゼットの奥に段ボール箱にまとめておいた昔の男の私物を、ゴミ袋に移すことにする。
すると、蓋を開いた段ボール箱の中から、真っ黒な表紙の本が出てきた。タイトルがないのが気になって中身をパラパラとめくると、どうもオカルト関連の本らしい。そういえば黒魔術とか邪気眼とか好きな男だったな、なんて思い出していると、中ほどのページに「悪魔を釣る方法」というものがあって、「誕生日」という単語が私の目を惹いた。
いわく、誕生日の夜に合わせ鏡をし、その間に釣り針を垂らしておくと悪魔が釣れるのだそうな。
ほんまかいな、と言いながらも、私はスタンド付きの鏡を二枚、フローリングの上に向い合せに立てた。立てながらワンカップを飲んでいた。そう、こんな馬鹿みたいなことを始めちゃったのは酒のせいなのだった。ちゃんとした釣り針などは持っていないので、手芸用のワイヤーを曲げてそれっぽい形にし、テグスで吊ってこれを対悪魔用の罠とすることにした。
ひとりでゲラゲラ笑いながら悪魔釣りの準備を整えると、私は合わせ鏡の間に釣り針を垂らして待った。ひたすらに待った。明日は遅番だし、ちょっとくらい夜更かししてもいいよねと思いながらなおも待った。腕がプルプルするので時々持ち替え、待った。ワンカップがなくなっても、酒を取りにいくのを我慢して、じっと待った。
釣りは獲物との我慢比べだ。やったことないけど、なんかそんなことを聞いたことがあるようなないような気がする。
点けっぱなしのテレビが、どこか見覚えがあるようなないような洋画を流し始めた。初っ端からギャングらしき男が額を撃たれ、その瞬間手に持った糸がクイクイッと引かれた。
「オッ!!」
思わず野太い雄たけびを上げながら一気に糸を引くと、さっきまで何もなかったはずの合わせ鏡の間から、ヌルッと黒い小人のようなものが出てきた。まさか本当に釣れるとは思わなかったので、私はゲラゲラ笑った。
『ちょっとあなた何するんですか! 放してください!』
悪魔は糸の先でじたばたしていた。意外に話が通じそうだな、と思った。
「あんた悪魔?」
『あっはい、そうです。ひとつだけ願いを叶えてあげるので放してください』
なんと、これは願ったり叶ったりではないか。ちょうど叶えてほしい願い事が、さっきまで頭をグルグルしていたじゃないか。素晴らしいタイミングだ。
「じゃあ、私の運命の人を連れてきて!」
『ハッ!? わ、わかりました』
黒い棒人間みたいな悪魔は素っ頓狂な声を上げ、どこからかちっちゃなスマートフォンを取り出し、電話をかけ始めた。キンキンした不思議な言葉を話していたので、ほほうこれが悪魔語ってやつなんだな、と思った。
悪魔は通話を止め、言いにくそうに『あのですねー』と話しかけてきた。
「なに?」
『無理でした』
「は?」
『あの、その、あなたの運命の人ですけども、いないそうです』
「は!? いないの!?」
『あっ、はい。そうです』
「いやそこはどうにかしろよ! 悪魔でしょ!?」
『いやその、悪魔でもいないものを連れてくるのはちょっと……』
酒だ。酒のせいで幻覚を見ているのだ。私は悪魔を糸の先にぶら下げたまま立ち上がった。運命の人がいないなんて嘘だ。酒のせいで厭な夢を見ているのだ。そうに違いない。
『すみませんすみません! 放してください!』
糸の先がブンブンと揺れる。幻覚のくせにうるさい奴だ。私はふらふらと電子レンジの前に立つと、悪魔をつまんで釣り針から外し、レンジの中に放り込んで、「あたため/スタート」を押した。
『アーーーーー!!!』
断末魔的なものが深夜のキッチンに響き渡った。
一分後、ピピピピ……と鳴ったレンジの扉を開けてみると、そこには何もなかった。いや、ちょっと中が汚れたような気がしなくもないな? と思ったがそこは酒のせい、たぶん悪魔なんていなかったし、私の運命の人はちゃんとどこかにいるだろうし、そして明日(というか日付の上では今日だけど)は遅番なので、私はもう一杯飲むことにしてレンジの扉をバタンと閉めた。
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