カフェオレ・オオトカゲ・胃痛
父さんが間違って倒した墨汁が、たまたま机の下でのんびり昼寝していたサコちゃんにどぼどぼと降り注いだ。
サコちゃんはコガネオオトカゲである。体長120センチのオスで、今年で三歳。恐竜みたいな見かけによらずおっとりしているが、さすがに墨汁をかけられたときにはいいいぎゃあああぁんと聞いたこともない悲鳴を上げた。父さんはそれがツボに入って笑いが止まらず、代わりに僕が浴室にサコちゃんを抱えて駆け込んだ。体を洗われながらサコちゃんはプルプル震えた。
「ひどいわお父ちゃん、ボクに墨汁かけといてあんな笑うことないやん」
「うんうん」
サコちゃんはちょこっと墨汁色になってしまった。元々黒と黄色の鮮やかな斑模様だったのだが、黄色いところがうっすら黒く染まってしまって、なかなか元の色に戻らないのだ。サコちゃんはそれを気にして、姿見の前でクルクル回った。その頃には父さんも笑いの坩堝から生還しており、サコちゃんに土下座していたが、完璧に無視されていた。
「キヨちゃん、ボク変な色になってへん? 前の色とちゃうやん」
「そ、そうかなぁ……そんなことないと思うけどなぁ」
僕は嘘が下手だ。
「ウソや! なんやカフェオレみたいな色になっとる! お父ちゃんのアホ!」
そう言い捨てて、サコちゃんは天井の梁から降りてこなくなってしまった。あんな高いところに登るのは、伯母さんが連れてきたポメラニアンに吠えかかられて以来のことだ。
鮮やかな体色で知られるツリーモニターのサコちゃんは、ご多分にもれず自分の色や模様を誇りに思っていた。それを墨汁で染められたら当然怒る。父さんはサコちゃんが心配で胃がキリキリすると言うが、胃痛くらいペナルティとして受け入れてやるべきだと思った。
夜になってもサコちゃんは梁から降りてこなかった。黙って天窓からじっと外を見つめていた。
僕は心配になってきた。サコちゃん、故郷のインドネシアに帰りたくなったりしてないだろうか。もし「こんなところにいられない。実家に帰る」とか言われたらどうしよう。インドネシアなんて、おいそれと訪ねていけない。サコちゃんの脳は小さい。しばらく会わなかったら、きっと僕のことなんか忘れてしまうだろう。
なんだか僕も胃がチクチクしてきた。
「キヨちゃん」
突然声をかけられた。サコちゃんが梁の上からこちらを見ていた。
「キヨちゃん、そろそろ寝ないとあかんで。明日学校やろ」
「サコちゃ〜ん」
センチメンタルになってしまった僕は、ひさしぶりにサコちゃんと目が合うと、無性に泣けてきてしまった。
「サコちゃ〜ん、インドネシアに帰らないでよ〜」
「何言うねん。帰れへんよ今更」
サコちゃんは梁から降りてくると、隣にやってきて僕の背中を尻尾でびたびたと叩いた。
「ボク、赤ん坊やったからインドネシア語とか知らんし」
「じゃあ大阪に帰るのぉ〜」
「だから帰れへんってペットショップにもぉ。キヨちゃんはボクのお兄ちゃんなんやから、メソメソしとったらあかんで」
その夜、僕はサコちゃんのケージの前で眠った。まだ元気だった頃の母さんが、小さなサコちゃんを抱っこして家に帰ってきたときの夢を見た。
サコちゃんは翌週突然脱皮し、元の黒と黄色のトカゲに戻った。まだその時期ではなかったのに、根性で脱いだらしい。いつの間にかサコちゃんと仲直りしていた父さんは、皮に詰め物をして等身大サコちゃんを作ると意気込んだ。
「お父ちゃん、あの皮残しておくんか。物好きやなぁ。カフェオレみたいな色やのに」
姿見の前で新しい体色を確認しながらサコちゃんはそう言った。なんだかニヤニヤして可笑しそうだった。
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