超克・マンホール音頭・竹定規
小学生の頃、うちの門から道路に出たすぐのところにマンホールがあって、時々そこからお祭りの笛のような音と、たまに大勢の人の声が聞こえてきた。わたしはそれが怖くてたまらなかったのだが、両親も三つ上の姉も、友達も皆そんなものは聞いたことがないという。
そう言われても聞こえるものは聞こえるし怖いものは怖い。わたしはそのマンホールを「お囃子マンホール」と心の中で呼んで、ひとりのときはなるべく避けて歩いた。ところがそのビビり散らした様子を同級生の男の子に見られてしまい、「だってマンホールからお囃子が聞こえるんだもん」と抗弁したところ爆笑されて、「マンホール音頭」というあだ名をつけられてしまった。
これにはさすがのわたしも怒り、そして奮起した。あのマンホールに対する恐怖を何とか克服しなければならない。そう幼心に決めた。
そこである土曜日の午後、明るくかつ人気のない時間を狙って、わたしはマンホールのもとへと繰り出した。手には一メートルの竹定規を持っていた。それが最も長く、かつ軽くて取り回しやすい武器だと思ったのだ。
埃っぽい春の日だった。お囃子は聞こえてこず、今のうちに中を確認しようと思った。
ところがマンホールの蓋は重くて子供の手ではびくともせず、中を確認することができない。表面のごく小さな穴や溝に定規を差し込んでみたがもちろん無駄で、そんなことをしているうちに日差しがぽかぽかと背中を温め、わたしはだんだん眠くなってきてしまった。思わずうとうとして、頭ががくんと前に落ちた。その拍子に、手に持っていた竹定規に力がかかって、40センチくらいのところでボキッと折れてしまった。
一瞬で眠気が覚め、わたしは青くなった。竹定規は母が和裁に使っているもので、まだまだ現役である。それを壊してしまったのだから、叱られるに決まっている。超克をかたく誓ったはずの心がしおしおと萎びていく。
その時、マンホールの中からどっと大勢の人が笑うような声が聞こえてきた。蓋がびりびりと震えるような大音声だった。
わたしは泣きながら家に戻った。
その日のうちにわたしは高熱を出し、一時は入院するほどの重症だったので、竹定規の件についてはうやむやになり、叱られずに済んだ。
なぜか退院して以降、マンホールのお囃子を聞くことがなくなった。近くに長時間佇んでいても、笛の音も人の声も聞こえてはこなかった。あれらは幼さゆえの幻だったのだろうか。そう思うと、わたしはちょっぴり大人になったような気がした。
マンホールを怖れる気持ちをすっかりなくしてしまったわたしは、そのうち大人になって実家を出た。遠方で就職し、滅多に帰郷しなくなったわたしの耳に、例のマンホールから小学生の遺体が発見されたという知らせをもたらしたのは、母からの電話だった。
その子の家は同じ町内だけどまったく別の方向にあって、どうして実家の前にいたのかさっぱりわからないのだという。近所を警察がうろうろして物々しい、なんだか怖いわ、と母はぼやいていた。
発見されたその子はなぜかハタキを手に握っていたという。わたしは耳の奥に、およそ二十年ぶりにあの笛の音と笑い声が蘇るのを聞いた。それは実に楽しそうだった。
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