第5話 一難去らずにまた一難(1)
「ここがお嬢様のお部屋になります。」
「ありがとうございます。」
「とんでもございません。それから、使用人相手に敬語はおやめ下さい。」
「ええ、…なるべく気をつける。」
彼女の名は晴。20を過ぎたばかりで、この朱鷺家に奉公にきてまだ日が浅いという。長い髪を三つ編みにして横に流している。おっとりとしているが、にこにこしている訳ではなくて、どこか1歩引いたような距離感を感じる。やはり警戒されているということか。
この屋敷は二階建てになっていて、案内された私の部屋は二階の角部屋だった。階段から一番遠い部屋で、廊下には落下防止の柵がしっかりついている。
廊下の下に見える中庭には大きな池もあり、木もあり、とにかく広い。小さな子供なら走り回って元気に遊べるはずだ。……母が追い出されていなければ、なんて事を言うつもりは無いけど、もしかしたらそういうこともあったかもしれない。
裏手の奥には使用人たちの住む離れまであるというし、相当な広さがあるのを実感する。
でも、少しの違和感もある。外から見た時はもう少し高かったような気がするのだ。もしかしたらこの上に屋根裏部屋もあるのかもしれない。時間がある時に探してみよう。
「どうぞ」と晴に促されて部屋の中に入ると、予め掃除されていたようで、ほこりっぽさは微塵も感じなかった。物置小屋に入れられるくらいは覚悟していたが、思った以上に厚遇されていたようだ。おそらくこの家では当主が全権を握っているのかもしれない。稀に家の事は当主の妻が仕切ることもあるらしく、もし朱鷺家がそうだった場合はきっと嫌がらせされるかも、とまで考えていた。
部屋に入って最初に気づいたのは窓の大きさ。全部開け放したら大の大人でも出入りできるんじゃないだろうか?カラカラと音を立てて開けてみると案の定、格子のない簡素な作り。でも、足をかける所がないから登ってくるのは不可能だろう。
ふと視線を下にやると見えてきたのは使用人たちが薪を割ったり物を運んだりと忙しく働いているところだった。ここはちょうど門の反対側のようで、私に気が付いた使用人たちが会釈してくれた。まぁ、その奥でひそひそと私を見ながら話している様子も見られたけど、まぁ当然の反応だろう。こちらとしては表から遠いし気楽でありがたい。
窓から離れて部屋を見渡すと、机もあるし、着物掛けもある。広さも十分あるし、文句のつけ所がない。箪笥もやけに立派なものだ。今着ている着物と母の形見の着物、あと袴一着しか持ってきていないから箪笥に入れるほどでもないのだけど。
「今のうちに荷解きしちゃおうかな」
「では、また夕食時になったらお伺いいたします。何かありましたらすぐにお呼びください」
「ありがとう」
早速荷解きを始める。
ほとんどは自分の私物だが、中には母の形見や大事なものもある。家を完全に燃やしてしまうために、必要なものだけを先に風呂敷に包んでいたのだ。思っていた以上に荷物が多くなってしまっていたのには少し困ったが、どれも手放せないものだったから仕方がない。
問題は、母の日記や肩身などを何処に隠すかだ。もし私が居ない間に探されて日記を読まれてしまっては困る。本当に困る。記憶を消すために腕力を行使するのもやぶさかでは無いくらいに困る。この家に居座ることに成功したと言っても、まだまだ油断は出来ない。
油断といえば、とふと頭に浮かぶのは先程の弥生の姿だ。
ここに居座ることが出来たのはある意味では彼女のおかげだと認めよう。それに、お互い約束も守った。しかし、あの約束はあくまで私がここに居座るために必要だっただけで、無事にここに留まれたとなると約束は果たされたも同然だ。私がそう思っているように、弥生もまた全て白紙になったと考えているはず。ずるがしこいあの弥生の事だ、そのうち嫌がらせでもしてくるかもしれない。
ーー……まぁいいか。その時はその時で、返り討ちにしよう。
◇◆◇
「お嬢様、夕食の準備が整いました」
襖の向こうから晴の声が聞こえた。
荷物をあらかた片付け終えた私は、窓にもたれかかって一休みしていたが、いつの間にかそのまま眠っていたらしい。窓の外の空は赤と紺が混ざっている。もうそんな時間になっていたのか、気が付かなかった。
んん、と背伸びをしながら立ち上がる。膳を持ってきてくれたにしては、晴がなかなか入ってこない。許しを得てから入るのだろうか、それとも入りたくないのだろうか?
「ありがとう、晴。そこに置いておいてください」
「あ、いえ……。旦那様が一緒にお食事するようにと。」
「……一緒に?」
思わぬ返答に驚く。
部屋でひとりで食べるものだと思っていたから尚更。明らかに異端者で余所者であろう私と一緒に食事をしようだなんて、当主は何を考えているのだろうか。
しかし、呼ばれてしまった以上行くしかない。楽しく食事なんか出来るわけが無いことくらいは分かっているが、やはり気乗りはしない。
諦めて簡単に身なりを整えたあと部屋を出て晴の後に続く。階段を降りて、交渉に使われた応接間を素通り、さらに奥へ進み、案内されたのはかなり広い部屋だった。
「朝と夕の二回、必ずこの部屋で、全員で食事をすると決まっております。暫くはご案内しますが、慣れましたら……」
襖を開く前、晴は私に向き直り、まるで忠告するかのような声で言う。
時間を忘れたり間違えたりでもしたら厳しく叱られでもするのかしら。私はひとりで食べてもいいのだけれど。それにこの反応、明らかに「私の手を煩わせないで」って感じがする。
「わかった。明日の朝まで案内してくれる?」
「かしこまりました。」
それでは、と言い残してスタスタと晴は去って行く。ふむ、しばらく仲良くなれそうにない。
「失礼いたします。杠参りました。」
すっと襖を開いて中に入ると、当主と弥生はすでに席に着いていた。当主はちらりとこちらを見たあと、奥の膳を視線で指し、早く座れと無言で言っている。弥生に至っては敵意全開で睨んでくるのだから思わず笑ってしまう。疎ましいと思うのなら最初から別で食べればいいのに、変なところで律儀な人達だ。
ふう、と内心ため息をついて1番奥の膳の前に座ると、私の前、反対側にも膳がひとつあることに気がついた。
ーーもうひとりいるのかしら?全員揃わないと箸はつけられない規則なのね、面倒ね。
ふいに、軽快な足音が聞こえた。どうやら、最後の一人がお出ましのようだ。
「庵、ただいま戻りまし…た…?」
静かに、それでいて大胆に襖が開いて姿を現せたのは、私と変わらない年頃の男子だった。
短い黒髪は緩やかに跳ねていて、目元はキリッとしていて少し弥生に似ている。背は私より少し低いくらいか。物静かと言うよりは落ち着いている…いや、冷めていると言うべき印象だ。
しっかりと真正面から無言で見つめ合う。睨み合っているとは違う、お互いがお互いを見定めるような感じの視線の交わり方だった。とりあえずニコリと笑ってみるが効果はなく、彼は私の前に胡座をかいて座る。
「どなたですか。」
「ここの当主様の隠し子です。」
「…………は?」
直球で放たれた言葉をそのまま打ち返す。受け取った彼は、眉をひそめ信じられないと言う顔でゆっくりと当主の方を向いた。そして、当主がしかめっ面で頷いたのを見ると深いため息をついて正面に向き直った。
「お初にお目にかかります。杠と申します。」
「庵と申します。どうぞよろしくお願い致します、姉上。」
「…………こちらこそ。」
躊躇いもなく姉上と呼ばれたことに、言いようのない気持ち悪さがぞわぞわと背中を這った。
突然姉だと名乗る女が現れたら何らかの感情が沸いてもおかしくないはずだ。敵視だったり軽蔑だったり、何かしら。それなのに、庵の凪いだ瞳からは何も感じ取れない。最早不気味ですらある。もしかしたらこの家で1番怖いのは庵かもしれない、と思いながら薄味の美味しい煮物を口に放り込んだ。
「待って、庵」
食事を終えてさっさと部屋に戻ろうとする庵を呼び止める。庵がゆっくり振り返り、静かな廊下の真ん中で、全く似ていない顔が向かい合う。
「何か?」
「聞きたいことがあって。突然現れた私を、どうして簡単に受け入れられるの?貴方は当主の隠し子なんて嫌ではないの?」
「あぁ…そうですね、別に何とも思いません。僕も貴方と似たようなものだから同情はしますが、それだけです。」
「似たような…?同情?それはどういう、」
「もう遅いですし、姉上はお疲れでしょう。ゆっくり休んでください。それでは。」
有無を言わせぬ遮り方と笑顔でそう言い残すとさっと袴を翻して、庵は去っていった。
輪廻の檻〜山育ちの最強少女は運命すら捻じ曲げる〜 壱來らい @Ichiki_Rai_
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。輪廻の檻〜山育ちの最強少女は運命すら捻じ曲げる〜の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます