第4話 生傷は目に見えるものだけじゃない。(4)
その日の午後。弥生は約束通りに交渉の場を設けてくれた。
『私が貴方と話したことは何も言わないで頂戴。』
『わかりました。では、お互い面識がない振りをしましょう。大丈夫です、貴方が何も言わない限り、私も何も言いません。』
秘密裏に、そんな契約を交わして。
◇◆◇
目の前に胡坐をかいて座っている男がここの当主だ。杠を見て驚いたように目を見開いたが、すぐに眉間にしわを寄せた。当然のことながら、快くは思っていないらしい。弥生は、当主の右後ろに控えて険しい顔をして杠を見ている。
「朱鷺家当主の葛という。用件は何だ。」
冷ややかな声に合わせるように、杠はゆっくりと頭を下げる。
「お初にお目にかかります。名を杠、姓はありません。母の名は五十鈴、十数年前にこの朱鷺家にて奉公しており、葛様に見初められ私を身篭ったと申しておりました。他に頼れるところもなく、終ぞこの朱鷺家に辿り着いた所存です。ご迷惑は百も承知ですが、私を朱鷺家の娘と認め、この家で暮らすことを許していたただきたく存じます。何卒よろしくお願い申し上げます」
深く頭を下げながら息継ぎなしで言い切る。
――自分でも、かなりの賭けだと思う。ここで摘み出される可能性だってある。諦める気は毛頭ないが、掴みは大事だと分かっている。五十鈴の名に引っかかってくれると良いんだが、忘れたと言われてしまえばどうしようもない。
しかし、意外にもすんなりと葛の口からその名は零れ落ちた。
「五十鈴の娘…?あの裏切り者の娘が、私の子だと…?」
憎々し気は声は、まるで思い出したくないとでも言うようだ。
「…うらぎりもの」
思わず小さく繰り返してしまった。
――なるほど、自分を捨ててどこかに逃げられたとでも思っているのか、それとも弥生の口車に乗せられたか…。後者であれば狡猾さと周到さに感心する。
「杠とやら、顔を上げろ。」
「……はい。」
目の前で土下座していた杠が、ゆっくりと姿勢を正して真っ直ぐに葛を見る。
葛は、内心動揺していた。自分を真っ直ぐ見つめる瞳や固く結ばれた口元に過去の五十鈴が重なって見える。それは確かに、過去自分が愛した女性の面影。そして同時に、五十鈴がいないことが気になった。
「…五十鈴はどこだ。」
「死にました。」
―――………死んだ?
葛は間髪入れずに返って来た言葉に絶句する。後ろに控える弥生の息を飲んだ音ですらはっきりと聞こえた。自身が先ほど裏切者と蔑んだ女なのに、あまりの衝撃で声が出ない。その隙に、当時者であるはずの杠は淡々と事の顛末を語っていく。
「つい先日、私が十六の誕生日を迎えた日の夜に死にました。」
「…なぜ、」
「…鬼の形相をしている化け物に襲われ、私をかばった母は八つ裂きにされ息絶えました。」
――鬼の形相をした化け物。
腹の底から憎しみが溢れてくる。今まで燐怪は夜に出てきて人を襲う、ただの怪物だと吐き捨ててきたが、初めて心の底から殺意が湧いた。
「その鬼の燐怪はどうした、今すぐ討伐を…」
「その必要はありません。鬼の化け物は私が殺しました。」
「……いまなんと?お前ひとりで殺したというのか?」
「…その燐怪とやらは知りませんが、母を殺した鬼は私が殺しました。」
燐怪は、闇より生まれ闇に蠢く怪物。大の男三人でやっと殺せる程の強さを持っている。訓練を受けていない人間が燐怪に出くわせば当然死ぬ。こんな非力そうな小娘一人で殺せるはずがない。しかし、生きてここにいるのだから事実なのか、信じられん。
信じられない気持ちと突然告げられた五十鈴の死、そして五十鈴の忘れ形見が目の前にいること。すべてが葛を混乱させ、不快にさせていく。
「母が四貴ノ崎の事をよく話していたのを思い出して、ここまで歩いてきた次第です。どうか、私を娘と認めていただけませんか?」
「…確かに、過去に私と五十鈴は恋仲だった。しかし、今は違う。事実お前が私の娘だとしても、お前を迎えたところで私に得はない。今すぐ出ていけ!」
葛はきっぱりと言い放ち、もういいだろうと腰を上げるが、「待ってください!」と必死に声を上げる杠に思わず動きを止めてしまった。
「得があればいいんですね。でしたら、一月後に始まる”嫁選び”に行かせてください。」
「…なぜそれを知っている」
「ここに来る途中にお触書を見ました。新橋家跡取りの嫁選びが一月後に開催されると。適齢の忠吏の娘は必ず参加するようにと。私も、適齢にあたりますよね。必ずお役に立って見せますので、どうか!」
「ならん!」
「何故です!新橋家との繋がりのために私を利用してください!」
「どうしてそこまで食い下がる!?歓迎されていないと分かるだろう!」
「そんなこと分かっています!でも、他に行く当てがない!このまま野垂れ死ねとでも!?」
「そうではない!」
物凄い剣幕で怒鳴りあう両者を前に、弥生は眉根を寄せて畳を見つめていた。旦那様がこんなに声を荒げるのを見るのは初めてだった。なんとも居心地の悪い空間だ、とそろそろ嫌気が指してきている。早々にこの空間から立ち去りたい。そう考えた弥生は軽くため息をつき、にらみ合う二人に向かって口を開く。
「旦那様。そこまで言うのであれば、その子の好きにさせてあげたらどうでしょう。」
「なんだと?」
「向こうから条件を出してきたのですから、結果が出せなければそれまで。その時に出て行って貰いましょう。」
「…しかし、」
「私に気を使っているだけというのなら、どうかうちに置いてあげてくださいませ。…可哀想ですもの。」
弥生は「ねえ?」とでも言うように杠に笑みを向ける。その嫌味な顔に負けじと笑顔を返す。
――上手いこと丸め込もうとしているようで助かったけど、なんとなく気に入らないわね…。
「まあいいだろう。その代わり、しっかりと役目を果たせ。」
「ありがとうございます。期待に沿えるよう頑張ります!」
にこーっと満面の笑みを向ける杠に、葛はウっと怯み、弥生の背には悪寒が走った。
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