第17話 王国勇者の憂鬱

 帝都にある兵舎の上空。

 エディが見た飛竜は、風に逆らうように空を駆け、西に向かっていた。


 このあたりに来るのは初めてのことだ。

 山を越え、未開の西を目指す。


 轟々と鳴る風の音。


 目下、人の営みが流れゆく。

 帝都を抜け広大な畑を挟み、いくつかの村を通り過ぎる。やがて荒涼とした大地をも渡り終えると、そこはラウセンだ。


 飛竜は何処かへ消えた。

 彼はただ、新たな空を楽しむだけ。


 しかし……その地にいる一人の少女は、何処にも行けやしない。






「あ、あああなたの職業は────ゆっ、【勇者】です!」


 神官の間の抜けな一言で、人生が変わった。それは少女──クリスタが六歳のときのことだった。


 勇者といえば物語に出てくるカッコいい存在。

 クリスタもまた、同年代の子供達と同じように憧れを抱いていた。けれどそれは……どこか遠い場所での出来事として。


 それなのに突然、勇者になって。幼馴染であり一番の親友、レイと別れ王都にやって来た。

 もちろん寂しさはあったけど、忙しない毎日が嫌いなわけではなかった。両親には王都で良い暮らしをさせてあげられているし、十歳年上の先輩勇者も可愛がってくれている。


 クリスタは王都の訓練場で、空を見上げながら考える。


 だけどいつも──気を抜くと思い出してしまうのだ、と。


 魔物を倒すのにあまり抵抗がない。しかし人を斬るのは、いつまで経っても慣れない。

 初めてクリスタが戦争で敵兵を斬ったあと、手には感触が残り、なかなか消えてはくれなかった。それはまるで自分に課せられた罰のようで、胸が痛く夜も眠れなかった。


 そんな時、自分のプライドが邪魔をして、両親に心配をかけたくなかったクリスタが向かったのは──レイの家。

 雨がひどいあの日、びしょ濡れになりながらも必死に走った。

 私のこと、覚えてるかな……と不安を抱えながら。


 王都の外にいる一般の知り合いは、レイしかいない。他にも村には友達がいたはずだが、昔の記憶は薄れていた。


 たどり着いたそこで、両親がこの世を去り一人で暮らしていたレイ。

 男らしく成長した彼は──クリスタを抱き締めてくれた。


 あぁ……私、誰かに助けて欲しかったんだ。


 ようやく自分の想いに気がついたクリスタは、また涙を流した。一度気がつくとダメになる気がして、自分を誤魔化していた。心を強く持とうと必死だった。

 けれど、自分を包むレイの体は温かくて……。


 一生この時間が続けば良いのに、とクリスタは思った。

 それは追って来た兵士たちによってすぐに壊されてしまったが、今もまだ……気を抜くといつも、彼のことを思い出してしまう。



 民衆の目があるため勇者の待遇は良い。

 しかし、上層部が【勇者】持ちたちを戦争で使える駒としてしか見ていないことは、何よりも明らかだった。


 もう──人。クリスタは自分がその手で斬った人数を正確に覚えている。

 磨耗していく心は、いつまで持つのだろう?


 極秘の情報として聞いた、二ヶ月後の戦争。


 戦いは続く。

 長い歴史を誇る王国は、急発展を続ける隣国──帝国に警戒心を抱いていた。


「……もう、嫌だ」


 拳を握り、レイの身に起こった悲劇──故郷を去らなければならなくなった事態を知らぬまま、クリスタはそっと呟いた。



「────たすけて。レイ君……」

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