第七話「吸血鬼、彼は彼女と共に」
スカーレットの拠点から屋敷へと帰宅したロベルト達。
拘束されていたちひろの母親は衰弱していたため、道中はロベルトに背負われ下山した。途中でちひろの母親は眠ってしまい、屋敷に戻っても目覚めることはなかった。
ちひろの部屋のベッドで寝かせ、今は安静にすることに。母親はなるべくなら医者に見せるべきなのだが、その点はいのりの扱いも含めて慎重に考えなければならない。
全ては明日、様子を見てということになった。
そんな帰宅の道中。山には猛獣出現の危険もあることは帰り道であっても変わらず、母親を背負って歩いている分、ロベルトが緊急時の対応が遅れる点で危険性は寧ろ高まっていた。
ただ、スカーレットの記憶を辿る限りそういった動物に鉢合わせしたことはないようで、個体数が少ないのか、人間が通るであろう山道は避けて生活しているのか。
定かではないものの、安全に帰宅することができた。
ただ、そこでちひろは気にかかるのである。
スカーレットの記憶。それは彼女の生きる活力を全て失わせるほどに凄惨なものだった。ならば、それを引き受けてしまったロベルトは大丈夫なのかと彼女は心配していたのだ。
(ロロはもしかすると強がって我慢してるのかしら? 感情移入して泣いたりもせず、普通に振る舞ってる……それが逆に何だか怖いわね)
感情のアウトプットがかなり緩いロベルトなら確かに、スカーレットの過去を思って涙を流してもおかしくはなかった。
そして、彼はちひろの予想通り我慢している部分があった。
だか、それは少しでもスカーレットを引き受ける覚悟までした自分の強がりを貫きたいという思いであり、その作り物の強さはちひろからの受け売りなのである。
強さはちひろが担当する――とは言ったものの、彼もたまにはこういう風に抗ってみせるのである。
スカーレットを許し、受け入れようとしたちひろの優しさが実は彼からの借り物であったようにロベルトもまた、影響されて自分の領域を逸脱する。
もしかするとスカーレットの記憶も重なって、ロベルトのちひろに対する尊敬と憧れが強くなった結果とも言えるかも知れない。
――というわけでロベルト達は屋敷に帰宅し、住人達には事態の経緯を報告することとなった。
屋敷で待っていた一樹、マサキ、徹生はそれぞれの言い方で「今日は休んで明日説明してくれればいい」と気を遣ったものの、睡眠すら必要としないロベルトといのりからしてみれば、ちひろがオーケーすれば疲労感などに関して考慮の必要はない。
……まぁ、ロベルトといのりは今日の一件に関する精神的な徒労もあるため、リセットの意味合いで睡眠をとるかも知れないが。
とにかくちひろが留守番組のモヤモヤを思って、説明の時間をすぐにでも作るべきだと提案したため、誰にも反対する理由もなかった。
食堂にて一同は介して今回のスカーレットの一件についての報告を行うことに。
内容はもちろん、母親は無事に保護されたという結果から始まる。この点は連れて帰った時点で言葉にしなくても明らかではあったが、それでも皆から安堵の声が聞こえてきた。
そして、そこからは犯人であるスカーレットを当初の目的とは違い、捕えるという結果にならなかったこと。
留守番組にとって気になっていた部分であり、帰宅した時に母親しか人数が増えていなかった時点で「犯人はどうしたのか」という疑問をそれぞれが抱えていたようだ。
この点の説明としてスカーレットの経歴と、完全には悪人と言い難い事情があったこと。そして、最終的に――ロベルトが同族吸血にてその存在を消滅させ、スカーレットの記憶を引き継いだこと。
その全てが語られた。
吸血鬼の特性として今まで語られなかった同族吸血。それを行ったことを聞き、まずロベルトに言葉を投げかけたのはマサキだった。
「じゃあ、スカーレットさんは……そこにいるんスか?」
「うん。彼女はずっと僕と共にあるよ」
「っつーことはそのスカーレットも俺ら家族の一員ってことか。何だかんだやらかしてくれたけど、結局はロベルトと関わっちまえばこうなるんだな」
「徹生さん、『俺ら家族』って……ようやく認めたんですね!」
「は、はぁ? 俺がどう思おうとロベルトが家族の数に入れてるからそう表現しただけだろうが! それにスカーレットのやつが家族って認識はちひろ、お前の中でも間違ってねーんだろ?」
スカーレットから実被害を受け、本来であれば憎むはずの彼女が家族だと認めた。その事実は徹生にとって大きいことだった。
誤っても許されるということは彼にとって、屋敷を訪れたあの日の失敗には希望であり、同様に自分を捨てた家族への慈悲という可能性を示唆していた。
だからこそ、スカーレットを家族と認めたちひろの言葉は徹生にとって大事だった。
……それも当然である。自分がそうなりたいとは明確に思えないものの、何かが変わる予感を感じていたのだ。
徹生の問いにちひろは目を閉じ、口元に笑みを浮かべて首肯する。
「ええ、もちろん。スカーレットは私といのりにとって憎い存在のはずだった……でも、私達はみんな生きている。生きてさえいれば、どうとでもなるの。どんなに頑なな思いだって形を変える。完全に許せたかと言われれば、まだ答えはノー。でも、だからといって受け入れられないほど、私はスカーレットを嫌いにはなれなかったのよ」
徹生にとってある意味、ちひろの語るスカーレットは自分と置き換えるべき存在。
だからこそ、軽く息を吐き出して徹生は「そっか」と納得を口にした。
ちひろの言葉が彼にとってどういう意味を持ったのか、それは本人にも不明瞭であった。だが、何か清々しいような感覚が自分の中で吹き抜けるのを徹生は感じていた。
そして――スカーレットを一人の存在として認めてくれた家族に、ロベルトは胸の中で熱いものが滾るのを感じた。
それはスカーレットの記憶が形成した彼女の感情。
ロベルトの想像したシミュレーション的な心ではあるのだが、認められたことでその胸中に動くものを感じたような気がして、ロベルトは妙に嬉しくなった。
でも、彼はそんな感動に涙だけは流さぬようにして、唇を軽く噛んで堪えた。
そして、そんな挙動をちひろは見逃していなかった。
同様に、マサキも同族吸血の性質を加味して考えればそのロベルトの表情は想像の範囲内にあったのか口を開く。
「スカーレットの過去、それが悲惨なものであったことはさっき聞かせてもらったッス。吸血鬼を人間が弾圧したり、利用する歴史は現代でも続いていた……それは人間からすれば恥じるべき事実。とはいえ、そんな過去を当事者としてもう一人分抱えるというのはロベルトくんにとって……大丈夫なことなんスか?」
ちひろの抱えていた疑問はあっさりとマサキによって言葉にされる。
そんなあっけらかんとした問いかけにちひろは僅かに表情へ驚きを混じらせる。
そこに触れていいものかとちひろは考えていたからだ。
「……そうだね。スカーレットの過去はあまりにも凄惨で、僕は思い返すだけで彼女の悲しみに寄り添って涙を流したくなる。彼女は自分の悲痛な境遇に涙を流すタイプではなかった。最後、命を終える時に流した涙のように……幸福に包まれた時にしか泣かない吸血鬼だったから」
「いのりもあの瞬間に、スカーレットって吸血鬼が実は虚勢ばかりで生きていたんだって悟った気がした。吸血鬼にされて、お姉ちゃんと再会するまでの日々は単純に冷酷な人だって思ってたけど……そう生きるしかなかったんだよね」
「それほどの過去を抱えることになったのなら、やっぱりロロさんのこと心配になりますよ。きっとボクの想像もつかないほどの過去をそもそもロロさんは抱えているはずなのに……」
一樹の案ずるような言葉と表情に対し、ロベルトは各々から拍子抜けを買うくらいあっさり「大丈夫さ」と返事をする。
それはマサキも含めた各々の心配--それこそが彼にとって重荷を軽くしてくれる力の源であることの確かな証明であったからだ。
「そんな風に心配してくれるみんながいるからこそ、僕は涙を流さない。それはスカーレットだってきっと同じなんだよ。人の輪にあるからこそ、彼女は自分の過去を今日という日のための対価として認められる。そうなったのなら、泣く前にまず笑う。それは吸血鬼も同じだ。悲しいことは沢山だから……僕も、スカーレットも笑って生きていきたいよ。もう、一人じゃないんだからね」
ロベルトの我慢には強がりがあった。
それだけにちひろは心配したが、こうして家族に囲まれて言葉を連ねるロベルトの中にそのような偽物はなく、純粋な強さがあった。
誰かに与えられ、支えられ、それで十全となる。
この世の中には完璧な存在などいないけれど。でも足りない者同士が有するものを持ち寄って十割を満たし、一つの形として完成するものはあるのだ。
そして、それを優しい吸血鬼は何より愛している。
そのことを思い、彼と――スカーレットが人の輪の中にあって成立するそれを、ちひろは心から祝福した。
○
翌日、ちひろの母親が目を覚ました。
ちひろは夜通し母親の傍に付き添っていたために、椅子に腰かけたままベッドにうつ伏せとなって眠る形となっていた。
病気の看病でもないので付き添う意味はなかった。だが、彼女としては一度いなくなった母親という存在を感じていたかったのか……それとも、どこかへ行ってしまう無根拠な恐怖心でもあったのか。
そういう訳で目を覚ますのは母親の方が早かった。
付き添い、眠っていた娘の姿を久方ぶりに見つめた母親はその髪を優しく撫で、日常が戻ろうとしている予感に安堵した。
その後、母親に遅れてちひろは目を覚ますこととなる。
十分とは言い難い栄養を与えられていなかったと思われるちひろの母。体はやせ細っており、微細な動きには活力がなく震えが伴う。
そんな姿を明るい場所で、しかも至近距離で初めて対峙したために彼女は心を痛める。
そんな母親に言葉をかけようとするちひろ。
だが--ちひろの母親は今日までずっとスカーレットから血を吸うために生かされ、しかし逃げ出さないために体を拘束されていた。そのストレスというのは想像の範疇を越えるものであるはずなのに――なのに、母親がちひろより先行して語った一言目は「無事でよかった」だった。
母親の視点からしてみてもスカーレットが自分の犯行に対して解決を求めて動くであろう、残された親族を邪魔に思って始末するような行動にでないかという心配があった。
そして、自分といのりが目の前からいなくなったことによる精神的ショックも踏まえ、自身の境遇よりも吸血鬼となったいのり、そしてちひろのことが心配だったのだ。
母親としての自覚に基づいた、強い人間性を垣間見せる言葉。ちひろの母親だと感じさせるに十分な一言。
しかし、それはちひろからしてみればその言葉は自分のセリフであり、先に取られてしまったという感じなのである。
だからこそ快活に「それは先に言わせてよ」と口を開きかけた。
だが、それは結局--阻まれてしまった。
……今までずっと気を張っていたのかも知れない。
ロベルトに拾われ、人生を買われ、生まれ変わったと感じていても。
一樹にマサキ、徹生と出会って、賑やかな新しい家族の輪の中で過ごしていても。
彼女の中にはずっと事件、そして失われた二人の家族があった。そんな全てから解放されて、気が緩んだのかも知れない。
ちひろは母親に対してかけようと思っていた配慮、優しい言葉の数々は瞬間的に忘却の彼方へ。懐かしいその家族の胸に飛び込み――、子供のように泣いた。
声を上げて。
恥ずかしくなるほどに。
感情を曝け出して、泣いた。
--怖かった。
--寂しかった。
そして何より、安心した。
そんな全てを吐露する彼女を慈しむ視線で受け入れ、抱き留める母親。
事件は終わり、ちひろはようやく乗り越えるべき人生の障害を背に歩き出せたのかも知れない。
強い彼女にとって束の間の休息。
でも、少ししたら彼女はまたいつもの少し不機嫌そうな、でもどこか勝気な表情で子供のように泣いたことを恥ずかしく思いながら、それでも――いつものように日々を過ごすのだろう。
優しい吸血鬼ロベルトに救われて。信じさせられて。彼の作った日々を生きたちひろは失ったものを取り戻し、欠けた心を満たし、今日を歩んで明日を行く。
こうして--ちひろの人生における「ちょっとした事件」は結びを迎えたのだった。
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