第六話「吸血鬼、彼は受け入れる者」
吸血鬼同士によって行われる、同族吸血――それは彼らにとって特別意味を持つものであり、そして吸血鬼達が抱えやすい心理状況的にあまり起こらない現象でもある。
--まず吸血鬼は自分の正体を秘匿する。
それは人間に受け入れられない可能性を考えて行動する彼らにとって、僅かに残っている恐怖心からくる防衛本能といっていい。この性質のせいで吸血鬼は正体を開示しないために、同族と邂逅することがほとんどない。
いのりとロベルトが関わることに危機感を感じながら、おそらくそうはならないだろうとスカーレットが考えた理由もこれであり、この大原則は吸血鬼がこの世に生まれてから基本として続いてきた。
だからこそ、吸血鬼同士が邂逅しないため同族吸血は起こりえない現象であると言える。
無論、今回のように吸血鬼が同族を作る場合もある。
だが、そもそも吸血鬼は基本的に同族を作りたがらない。
それは吸血鬼として生きる苦労を知っているからだったり、永遠の命を生きることの辛さを人間に感じさせたくないから。吸血鬼になってしまえば簡単に取り返しがつかないから。
そのような理由もあったりするのだが、それよりももっと根本的な訳があるのだ。
そもそも吸血鬼は数を増やす本能がない。
それは未然の口減らしという意味なのか、種族の繁栄が永遠の命で約束されているからなのかは不明であるが。
そして、人間の生殖とは逆に――数を減らそうとする性質がある。
本能としてではないため、吸血鬼が同族を減らそうと躍起になることはないものの、その数を減らすための知識と技能が全ての吸血鬼には備わっているのである。
永遠を生きる生物はその数を増やすべきではなく、限定するべきだという根本的な価値観。それが同族を増やすことに対して妨げとなっている。
そういった価値観を形成する理由が、同族吸血――その吸血鬼を減らす行為が安易に行えるものではないからである。
増えすぎたからといって、簡単には減らせない。
端的に言って、同族吸血を行うとその吸血鬼は体を維持できなくなって消滅する。それは吸血鬼達が本能で理解していることであり、ロベルトやいのり、スカーレットも例外ではない。
自分の体を医者に差し出す酔狂な吸血鬼もいなかったために、詳しいことは明らかになっていないが、吸血鬼の体の本質は血液である。だからこそ人間からそれを摂取し、継ぎ足すようにして生きながらえているのだ。
吸血鬼を殺す手段がその接種を断つことであるように、他の方法としてその血を吸ってしまうことでも絶命させることは可能。本質たる血液がなければ流石の吸血鬼も存在できない。
よって、吸血鬼は核を失い体を消滅させる。
その行為が、同族吸血である。
人間の生殖とは真逆で、自分達の種族を減らしていくための行為。
永遠の命に飽いてしまった同族を救済するために備わった性質。
しかし、吸血鬼同士はほとんど邂逅することがないために、同族吸血が行われることはあまりない。
そして、それ以上に同族吸血には安易にそれを行わせない理由が存在する。
--で、あるのにロベルトは行った。
もちろん、安易にではない。
覚悟の上、である。
ロベルトにとっても初めての同族吸血。人間とは違う決して頻繁に吸いたいとは感じない不思議な味。
人へ行う吸血と同じくほどの量しか吸っていないものの、ロベルトは「吸いきった」という確信をえたので彼女の首元から牙を抜いた。
「スカーレット、これで君は永遠に失われることはないよ。君の記憶は僕の中で生き、共に永遠の旅路を歩んでいく。僕が代わりに生きる。だから、君はもう……休んでいいんだよ」
ロベルトはいつか看取った愛する家族との最後の瞬間を思い出し、締め付けられるような思いを感じつつスカーレットの体をより強く抱きしめた。
そんな苦しいほどの圧迫感がスカーレットには心地よかった。
ゆっくりと目を閉じ、一筋の涙を零すスカーレットの胸中に死への恐怖はなかった。
(あぁ、終わる……。自分の命が終わるのを感じる。でも不安感がないのは、記憶が生き続ける安心感があるから? こんな穏やかに終わりを迎えられるとは、思わなかったな……)
同族吸血が安易に行えない理由--それは吸われた吸血鬼の記憶さえも吸い上げてしまうからである。
例えるならば、人間に起こると言われている臓器移植などに伴う記憶転移と同じ。とはいえ、吸血鬼の記憶は自身の血液に宿っているということなのか、人間のそれよりも鮮明に記憶は移動する。
不可解な現象……つまりは麻酔なのかもしれなかった。
自分の記憶は失われることなく永遠に残る。それは死に直面すればやはり恐怖心を抱く吸血鬼にとって、少しくらいの気休めにはなる。
ただし、彼女の分の重荷も受け入れてしまうのだから、ロベルトの負担は半端ではない。自分一人分の記憶でも数百年の重量だというのに、ましてや人間に絶望して心を砕いたスカーレットのものまで受け入れる。
それは、並大抵のことではない。
同族吸血は人間の生殖とは真逆で、数を減らす行為と言った。しかし、相手の全てを受け入れ、一つの存在として成立してしまう行為は皮肉にも人間が愛情をもって結ばれるそれと、等しいのではないか?
吸血鬼達はそれを理解しているからこそ同族吸血など安易にはできない。
愛している者でなければ、記憶など託せない。
愛している者でなければ、記憶など受け取れない。
だから、今ロベルトはスカーレットを愛している。一人の家族として哀れみ、慈しみ、だからこそ自分の中で休むことを許した。その「生きた」というバトンを握りしめたアンカーのゴールとなった。
受け入れることしかできない弱い吸血鬼だと自分を語ったロベルトにとって、本来なら受け入れきれない決断。
ただし一人ではないから。人の輪にいるからこそ彼は選びとった。
そしてスカーレットをその輪の中へと導いた。
一人の吸血鬼の人生を終わらせ、その全てを受け入れる。
優しい終わりを持って断罪し、救済する。
ロベルトは優しい吸血鬼である。
そして--残酷な吸血鬼である。
だからこそ今、スカーレットの長い旅は終わる――うっすらと目を開け天井を仰ぐ。涙で歪んだ視界にぼんやりゆらゆらと燃えるランプの火を映し、彼女は自分の命を思った。
「……もっと早く。早くお前に出会っていれば……私は、家族になれていた? お前達の輪の中にいられた?」
「そうだね。この世界は残酷だ。もっとも不幸なシナリオに行き会うようできているんじゃないかと、僕も何度思った。でも、君はもう僕ら家族の一員だ。輪の中にもういるんだよ?」
「凄いな。……お前は簡単に私でさえも、愛してしまうのか」
「馬鹿なことを言っちゃいけないよ。誰だって愛したりするものか。君だから家族になれたんだ」
ロベルトの言葉に溢れる涙で視界は歪み、スカーレットの声は感情に乱され鮮明さを失う。
「嬉しい。……なぁ。私はお前達と共に生きていたとしたら、どんな風に過ごしていたのだろうな? はは……不器用だから私は、馴染めないかも知れないな」
「大丈夫さ、ウチの料理人も不器用で君によく似てる。ちひろとよく喧嘩してるけど……。司書とは仲良くやれるかも知れない。あと君は吸血鬼で女性だから、執事が君に恋するかも知れない。もちろん我が家のメイドと親友にだってなれた」
「そいつは素敵だな。もし生まれ変わったら、人間になって……それで、お前の家族に。いや、一人じゃないなら、吸血鬼でも悪くないのかな」
不意に。スカーレットの体は風に撫でられ、宙を舞う花びらのように少しずつ体を瓦解させ始める。鱗が剥がれるように、建物が朽ちていくように……残酷にして美しく、人間と同じ死がそこあった。
そこにいた誰もが、終わりを悟った。
崩れゆく体は今、ロベルトの腕の中にある。彼の腕に彼女は頭部を下ろすようにして抱えてもらい、彼の顔も見上げれば望める格好となった。
スカーレットはちひろの方を向いて暫し見つめた。ちひろは彼女が浮かべる穏やかな表情に目を逸らしそうになりながら、しかしその生命の終わる瞬間をしかと見つめる。
彼女が死ぬことをちひろは許せていなかった。が、今という瞬間を最後にしたいと感じてくれたことに対する不明瞭な感情で少しそれは中和されていた。
「ちひろ……ありがとう。お前のおかげで……私は、こうして終わる決意ができた。……生きられなくて、すまないな。迷惑をかけて、悪かった。もし……生まれ変わって……いつか巡り合えることがあれば……もっと他愛ない話を、したい……その時は、声をかけても……いいか?」
体が朽ちていくのに比例して、スカーレットは話すことさえ難しくなっていた。そんな最後の時間で彼女へ送る言葉。唇をギュッと噛んでちひろは感情が溢れるのを堪える。
「私はあと百年は生きる……生きるから! どこかで巡り合えたら、こつちから声をかけてやるわよ。今度は幸せな人生を送ってなきゃ……許さないんだからね」
快活に笑むちひろの虚勢。スカーレットはちひろの強さが見せる清々しさに同じ表情を浮かべる。
「いのり。お前にしてしまったあらゆること……それは悔やんでも、悔やみきれない。でも、もし……お前が、自分の永遠の命を疎んだ時には……私が吸血するつもりだった。治った足で……歩く世界が幸福であるなら、呪いでないなら……そう、願ってやまない」
スカーレットはいのりに自分を重ねていた。
だからこそ、吸血鬼となって幸福を掴む姿を見たいという思いだってどこかにあったのではないか?
歩けるようになった彼女が永遠の命で自分にできなかった幸福を掴めることを祈っていたのなら、もう生きられないと感じたスカーレットにとっての繁栄なのかも知れない。
いのりはスカーレットの言葉に口を開く。
「スカーレット。あなたを完全に許すということ、今は難しいよ。だけど……歩けるようになって見た世界でいのりが幸福だって思えたら、もしかするとあなたに感謝することだってあるかも知れない。だから、いのりは生きるよ。生きて……生きて、生き続ける。人の一生より遠くへ行ける、この足で」
スカーレットは満足げにいのりの言葉に頷いた。そして、そんな彼女の思いを汲んだように体は崩壊の限りを迎えつつあった。
朽ちた体からは指先を始めとした末端が失われ、感覚は彼女にとって茫漠としたものとなっていた。花びらのように体を散らしていく中、感覚を失った腕でロベルトの感覚をスカーレットは探る。
「ロベルト、今も……ここにいるのか?」
「あぁ、いるよ」
「よかっ……た。…………なぁ、覚えて……いるか? 私は、な……日本に来る前……真っ赤な髪を、していた」
「うん、覚えてるよ。燃えるような、炎に似た美しい髪だったね」
ロベルトが自分の記憶から呼び覚ました言葉を口にすると、スカーレットは驚くことなく穏やかな表情で「そうか」と力なく呟く。
「やはり……今の、お前なら……分かるん……だな」
記憶転移によって少しずつ、ロベルトの中にスカーレットの記憶が流れ込んでくる。その中にある彼女の愛する男との記憶。
それは一体となったロベルトの中で熱くこみ上げて、記憶の中にある言葉を口にしようとすると唇が震えてしまう。
スカーレットにとって、それが生きる全てだった。
彼にもらった言葉で、彼女は希望を絶やすことなく生きてきた。
その希望が彼女の生かし、摩耗させたのなら……もう、十分に頑張ったのだろう。
ロベルトはそう感じた。
「あいつは……私の髪を、そうやって……褒めたん……だった、な」
「うん、そうだったね」
切なさに彩られた表情を浮かべるロベルトの中にあるもの。
それは紅い髪を愛しそうに触れられ、恥ずかしくも嬉しかった時の記憶。
血を吸う吸血鬼にはあまりに似合い過ぎる鮮血のような髪色、それを少しだけ好きになれた思い出。
目立つからと髪を黒く染めるように言われて、今の姿となった悲しい過去。
「そして、君にスカーレットの名を与えた。血の色なんかじゃない、君のそれは情熱の赤だ。スカーレット、君に名前がないのなら僕はそう呼ぼう。君の美しさを称えて」
「懐かしいな……その、言葉……。あいつはそう言って、私に名前を……くれた。幸せ……だったな。あの……」
日々は、と--。
スカーレットは言ったつもりだった。
しかし、そこから言葉出ないことに彼女は自虐的に笑む。
思い出に触れていられる時間は終わりを告げる。
スカーレットはとうとう言葉さえ紡げないほどに存在を瓦解にさせ、いよいよ歩みを止めて腰を下ろす時が来た。
ちひろといのりに見守られるスカーレットの表情は死への恐怖など刻まれていない穏やかなもの。
だからこそ、そこに花を添えるべくロベルトはスカーレットが過去に看取った愛する彼の最後の言葉を思い出す。
せめて、彼に看取られる夢でも見られたら--。
「……スカーレット、僕と出会ってくれてありがとう。君は出会ったあの時と変わらないまま、変わりゆく僕と一緒にいてくれた。僕はね、不機嫌そうな表情を浮かべながらも浮わついた気分を隠せない君が好きだった」
ゆっくりとスカーレットは頷く。
「本当に僕が困っている時は素直に心配を表情に浮かべ、自分のことのように悩んでくれるところが好きだった」
瞳を閉じ、また頷くことで最後の落涙が頬を伝う。
「そんな風に僕が好きだという度、君の耳が赤くなるのを見て心が通っていることを感じた。嬉しかった。幸せだった。心から愛してる。だから――」
そこまで語って、ロベルト記憶の中にある言葉を辿るのをやめた。
これからのスカーレットに「生きろ」という言葉は必要ない。希望に満ちた孤独を告げる言葉ではなく、命の最後に寄り添う暖かく優しい死を。
そして、お別れを。
彼女の耳元でロベルトは囁く。
それは彼女を愛した人間と、吸血鬼からの言葉。
「もういい、帰っておいで。そして、ゆっくりお休み……スカーレット」
その言葉に全ての納得を得たようにスカーレットはその生命を終え、ロベルトの元へと、そして天国で待っている彼の元へと帰っていく。
スカーレットにとって最後の記憶。
それはロベルトとちひろ、いのりに対して感謝と愛情の意。優しい吸血鬼の中へ残して――花びらが風に乗ってどこかへ消えるみたいにして、スカーレットの命が終わった。
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