第五話「吸血鬼、決断する――!」

「もし私がお前のような人間に出会っていれば、こんな今には行き着かなかったのかも知れないな」


 スカーレットは自分の過去を語り終え、そのような言葉で締めくくった。


 彼女は人間の水準を低く感じていた。


 吸血鬼にとっての人間はやはり敵であり、対等には思ってくれないもの。自分を愛した彼だけが特別だったのだ……そのように考え、希望と奇跡を同じ扱いのようにしていただけに、ちひろの存在は強烈だった。


 ロベルトの立つ、その場所に自分が代わりたいと思うほどに。


 だが、スカーレットの心はもう完全に砕けきっている。生きていく活力を失い、ただ本能のままに生かされている状態。


 そんな者が宿す目を知っているからこそ、ロベルトはスカーレットを憐れんだ。


 きっと吸血鬼狩りの発端となった者も、人間と対等に築けなかった関係性に不満を爆発させた。


 それが分かってしまったとスカーレットは言っているのだろう。人間は吸血鬼を利用するだけ利用し、危険だと分かると排除しようとする。


 確かに武器だ、と――いのりは感じた。


 いのりはスカーレットに聞かされたことがある。


 最初の吸血鬼は人間の呪術研究の成果によって生み出された人工のもの。その話はあまりに昔のもので信憑性はないが、しかしもしも人間が吸血鬼を生み出したのであれば、それは何のためなのか?


 人間の生き血を欲するという栄養源は暗に、人を殺せず滅ぼせない制約のようではないか。


 そのようにして、人間がコントロールすることに都合が良いようなシステムとなっているのならば……もしかすると、スカーレットの武器として扱われた過去が吸血鬼にとって最も正しい形なのか。


 だとすれば、自分は。

 ――と、考えいのりの中で「呪い」は発現しかけた。


 これもスカーレットが吸血鬼は呪いであり、いのりに与えたものは優しさなどではないという意思の誇示なのか。


 そのようにちひろは受け止めながらも、しかし……スカーレットという、不運によって全てに絶望した吸血鬼に対し、感じるのはやはりどこまでいっても優しい本質なのであった。


 ちひろは深く息を吐いて口を開く。


「あなたは結局、人を殺すことにきちんと躊躇いを抱くし罪悪感もある吸血鬼。そんなあなたが私を殺せないことは明らかだわ」



 そこまでを言いきり、ちひろは指をさす。

 自分に向けられた--銃口を。


「だから……そんな銃、捨てていいわよ。そんなものがあったって、私は怖がらないし、あなたが強くなるわけじゃないわ」


 あまりに大胆なちひろの言葉。


 警察が犯人に「銃を捨てろ」とは言うかも知れないが、許諾するような真似をした例が今まであっただろうか?


 そして吸血鬼を受け入れる人間、ちひろの語った言葉はスカーレットにとって特別な意味を持っていた。


 銃を与えた人間とは何もかもが真逆。


 武器を捨てさせ、自分の弱い部分を見つめ、対等に向き合ってくれる存在。


 スカーレットはやはり思ってしまう。


(何故、私はこの子のような人間と巡り合えなかったのか……まぁ、それは不運で片付いてしまうことなのかも知れない。でも、だからといって悔やまないということはできない)


 そして、スカーレットは力なく握っていた手を緩め、銃をその場に落とした。それは重く、鈍い音を立てて木目の床に転がる。


 スカーレットはすでに目の前のちひろという、矮小な人間でありながら強い意志を秘めた存在に訳も分からない引力で惹かれていた。


 それは今までになかった人間との対等な交流による反動かも知れないし、単純なちひろの人柄とも言えた。


 だからこそ、スカーレットの中で銃という武器はもう意味を持たない。


 ちひろを傷付けようとは思わないし、もっと言えば例え不死身であるからといって眼前の少女にとって、大切なロベルトといのりを傷付けることもできないと感じていたからだ。


 母親ももう、人質の役割を持ててはいない。


 そして何より「銃を捨てていい」と――言ってもらえる日が来るのをスカーレットは諦めかけていたのだ。


 自分に言いよる人間は吸血鬼としての力を利用したいだけ。武器として自分を見ているだけ。なら自身の価値はそこにしかない。


 ――なのに、それはあっさりと否定され、弱い自分が曝け出される。


 それでいいと言わんばかりにちひろは微笑むのだから、スカーレットは何と戦っていたのかも分からないまま「負け」を悟っていた。彼女はもうちひろに心さえ開きかけていたのだから。


 ……しかし、それで解決という話でもないのである。


「だが……私はこれからどうすればいいというんだ? 生きることは辛いことだ。でも、死ぬことは怖い。吸血鬼の死因は本来、自殺が十割であるはず。……それを選び取るのが私は怖い。臆病なんだ。だから……生きるしかない。死ねないのならば、生きるしかない。だとしたら」


 スカーレットはそのように絞り出すような苦しい言葉の連なりをもって胸中を告白する。握った拳が何にも辿り着けないもどかしさに震えていた。


 彼女にとって自分の生命とは端的に言って部屋の隅にて束縛されているちひろの母親そのものなのである。


 彼女から恒久的に血を吸うことで生きることが成立し、吸血鬼にとって生存するための最低限はそれで完結してしまうのである。


 とはいえ、スカーレットはちひろの人柄に触れ、感化されてしまった。壊れ、砕けた心がそれでも微細に震えるのを感じる。


 ちひろが悲しむのであれば人質の解放……それも止むを得ないと考えるだろう。


 ただ、彼女にとって吸血鬼というハンデはやはり重く圧し掛かる。


 ほんの僅かな時にあった美しい思い出。


 そこから吸血鬼狩りの時代を経て、日本で殺人を仕事にしてしまったこと。


 そして、ちひろの家族をめちゃくちゃにしてしまったことに対する罪悪感も踏まえ……それらを抱えて、終わりのない旅路を行くことは苦しいのである。


 しかし、吸血鬼の本能は死ぬことを許さない。


 今、ここでちひろの母親を解放して一人になればスカーレットはいつか吸血欲求で人間を襲うだろう。そうしてしまうことで彼女は更に罪悪感を積み上げるだろうし、人間社会も彼女を許さない。


 ならば自殺して命を終わらせるべき――だが、それが出来ないからスカーレットは最低限の被害に留めるべくちひろの母親を拉致したのだった。


 美しい思い出の最後、彼と約束したことを思い出すスカーレット。


 生きることを諦めで終えてしまえば、彼女は最後に愛するものとの約束さえ破って命を終えることになるのではないか?


 でも支えは何もないし、数多の罪悪感が心を蝕みきっている。死ねないけれど、生きられない……だから、スカーレットは自暴自棄気味に生きるしかないのである。


 安らかな死など、ないのなら。

 吸血鬼として、永遠を生きるしか。


 だが、そんな心にさえちひろは優しく呼びかける。


「いのりが吸血鬼になったこと……それは呪いなのかも知れない。でもね、少なくとも向こう百年はそれを抑え込み続ける。ロベルト率いる私達家族がいのりを人の輪へ引き入れて、絶望なんてさせない」


 そして、ちひろは振り返っていのりの方を向く。


「いのりも、もしかしたらスカーレットの話を聞いて吸血鬼として生きることに不安を感じたかも知れない。でも、あなたはもうロベルトをはじめとして家族に囲まれてる。なら、怖いものなんてない……そうでしょ?」

「……うん、そうだよねお姉ちゃん。いのり、少しだけ自分の吸血鬼だって事実を受け入れられた。それはロロさん達、家族の輪に迎え入れられたからだもん」

「だとしたらスカーレット、君はどう思うのかな。いのりに与えた呪い……それは彼女にとってしばらくは作用しないもののようだ。なら、君はいのりの足を治した吸血鬼になってしまうね。まぁ、彼女の母親を監禁し、ちひろに自殺願望を抱かせたり色々と許し難いことはあるけれど――何もそれは償いきれない罪じゃないよね」


 ロベルトの語った言葉でスカーレットはちひろが暗に語ろうとしていることを理解した。


 いのりを吸血鬼にしたことでさえ、自分の利害のためとはいえ罪悪感を感じていた。母親を誘拐したことは元通りになれば償えることだとして、いのりを吸血鬼にしたことは取り返しがつかない。


 彼女の未来や、居場所、可能性を奪って永遠の呪縛に括りつけた。


 だが、そんないのりが吸血鬼である自分を認めたと言った。


 さらに、ちひろはもしかすると……あろうことか自分を許そうとしている?


 そのようにスカーレットは感じていた。


 そして、それはちひろの視点から言えば正しい。母と妹が生きていた時点でスカーレットの所業は免罪の余地があると彼女は考えていた。


 確かに母親を監禁した事実は許し難いし、いのりが苛まれた日々を思えばスカーレットの頬を一発殴るくらいはしてやろうと彼女は考えていた。


 でも、それよりもちひろは思うのである。


 一つのことで何もかもが駄目になるほど穿った見方を彼女はしないし、吸血鬼でさえ十割完璧だとも――良い部分が五割を超えていないと駄目とも思っていない。


 ちひろはそういう少女なのである。だからちひろは快活に笑んでスカーレットに握手を求めて手を差し出す。


「あんたのこと、お母さんといのりが殺されてたらきっと恨んでた。でも、そうじゃないなら……多少の迷惑をかけられたってそれはお互い様。人間がたくさん迷惑かけたでしょ? その仕返しが私達で済んだのなら、それでいいじゃない。だから……あんたがもう一度やり直して真っ当に生きることを私は願うわ」


 ちひろの言葉にスカーレットは目を見開いて驚愕を露にする。


(何て人間だ。私を許せるというのか……。さらには私に生きろとまで。あの時以来だな、人間に生きることを願われるのは。この子は家族を失ったと認識して自殺まで考えた。なのに、今この子の命の灯は燃え盛っているような気さえする。これも、あの吸血鬼が灯したのか。……そうか、それが生きる希望を持つ者の姿か。なら……)


 スカーレットは初めて薄っすらとではあるが、笑みを浮かべてちひろの手を取り、握りしめた。


 その感触にちひろは彼女を吸血鬼や人間などという区分ではなく、一人分の存在として確かに認めたのだった。


 しかし、スカーレットがそこから語った言葉はちひろの思い描くものとは異なっており、人間の領分でないことを彼女は悟らされることになる。


「お前のように優しい人間に出会えていればと思ったが……今、こうして出会えたのだ。そうか……それだけで私は満足できるんだな。だからこそ……そうやって満足したからこそ、この事件は私の命をもって終わらせるべきだな」

「……は? ちょっと待ちなさいよ! あんた、それ……どういうこと?」


 スカーレットの穏やかに語った言葉とは相対して、ちひろは咎めるような口調で少し焦り気味に問いかける。


 しかし、そんなちひろの肩に優しく手を触れさせ、背後から歩み出たロベルトがスカーレットと対峙する。


 ちひろは後退し、スカーレットと結んでいた手が解ける。


「ここからは吸血鬼の領分。ちひろ、君を連れてきたのは正しかったみたいだね。ここへ来るという君の申し出、そしてスカーレットにとって最後に心を通わせる人間となってくれたこと……本当に感謝するよ」

「最後? スカーレット! あんた死ぬ気なの?」

「悔いはあるが、それでも満足したさ……死ぬことに恐怖心はあるが、それでもお前と出会えたことで分かった。もう、私の命の火は燃え尽きている。もう疲れたんだ……生き続けることに。心はもう壊れていて、何というか……駄目になってる。なら、今の感情のまま終わることができれば--存外に悪くない」


 困ったような笑みを浮かべるスカーレットに、ちひろの表情が苛立ちを含んだものに変わる。


「何百年だか知らないけど、その程度を生きたくらいで完全に人生を悟った気になってんじゃないわよ! いくら辛くたって生きなきゃ始まらないじゃない! 死を自ら選び取る吸血鬼だからこそ……ちゃんと満たされる瞬間まで生きなきゃダメじゃない!」


 ちひろの叫びにも似た言葉に目を丸くし、そして切なさを含んだ笑みを浮かべるスカーレット。


 吸血鬼が数百年を生き、そこからも永遠の物語を歩むこの世界。


 しかし、自分よりも明らかに命の歩みが少ない人間に「生きろ」と叱咤され、生きなければというネガティブな心をコテンパンにされるシチュエーション、どれだけの吸血鬼が迎えられるものだろうか?


 熱烈な言葉は届き、確かな響きが心を震わす。


 その言葉の連なりがより一層、スカーレットの悔いを少しずつ浄化し、彼女の命の終わりは揺るぎないものになってしまう。


 そして、ロベルトは彼女の決意を見逃していない。


「スカーレット、君はもうちひろに愛される存在となってしまった。だとしたらもう僕にとっても放っておけない。……でもね、君の心が納得に向かっていってるのが分かるよ。君はもう終わりを迎える決心がついてしまっている。だから、君の贖罪と救済は……僕が請け負う」


 ロベルトが語った言葉を吸血鬼の彼女らだけがハッと口を開けて聞き入れ、スカーレットは驚きを隠せないままに問いかける。


「お前はその意味をもちろん理解して……?」

「ちょっと待って……ロロ、あんた何する気なのよ!」

「スカーレット……僕は君を家族の一員と認めよう。ちひろが君を認めたんだ……僕が受け入れない理由がないよ。でも、君はもう休んでいいと思う。罪を償い、救われるべきだ。もう、無理に歩くことはないんだよ。何も、君の愛したその人は……苦しんでまで生きろとは言ってないと思う。だからもう、無理に生きなくたっていいんだよ」


 ロベルトはスカーレットに歩み寄る。


 何が起こるか分かっているスカーレットは深く息を吐いてロベルトに問いかける。


「……いいのか?」

「家族のためなら、構わないよ」


 その言葉で、すでにスカーレットは救われていた。


 スカーレットはゆっくり目を閉じ、「ありがとう」と言った。


 ちひろに銃を捨てていいと言われたこと、それが終止符であったように彼女は長い人生にもピリオドが欲しかったのかも知れない。


 誰かに無理して生きなくていいと言って欲しかった。


 ちひろの生きろという言葉は嬉しいものなだけに、終わるためのタイミングとしてはあまりに相応だった。


 ならばロベルトの言葉、それが幕を降ろす許しの言葉。

 同族に与えられる、ピリオド。


 彼女を抱きしめ、優しく髪を撫で――ロベルトはスカーレットの首元にその牙を差し込んで噛みついた。


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