第四話「吸血鬼、凄惨な過去を知る」

 それは吸血鬼狩りの時代が完全に悪しき記憶として脳の奥の方へとしまわれた頃の話だった。


 畏怖を感じたというだけで吸血鬼を根絶やしにする人間の所業はあまりに残酷で、凄惨で……だからといって、彼らの気持ちが理解できないスカーレットでもなかったのだ。


 ロベルトほど感情的な方向へ振り切っていないにしろ、人間に寄り添うことで安寧を得られる吸血鬼は感情の機微に聡く、そして温和な性格を形成しやすい。


 だからこそ、スカーレットは人間と再び分かり合える日を信じていた。


 一度の過ちで全てが駄目になどと考えてもいない。失敗する生き物であるのはお互い様なのだから、時間が解決するのを待てばいい。吸血鬼はそうできる生き物だから。


 そのように考え、待った日々は百年近い時を積もらせたが、そんなある日――スカーレットは日本という国を知った。


 文化水準がかなり高く、人柄が良い住みやすい国だという情報を伝え聞いた。落し物をすれば拾ってくれるし、荷物をうっかり置き去りにしても盗まれずに残っている。人格が真っ直ぐ、豊かで太く育っている国なのだという印象を受けたスカーレットは日本を訪れることにした。


 人の輪でなければ生きられない吸血鬼だから、という理由を差し引いてもスカーレットは日本で何かしらの出逢いを求めていた。


 それはロベルトのような家族であってもよかったし、スカーレットにとっての美しく飾られた思い出。自分を愛してくれるパートナーみたいなものでもよかった。


 手にした素敵な思い出があるからこそ、スカーレットは人間と共にあることをやはりやめられなかった。


 そして、何より彼女もそんな愛する一人の男から別れ際に「生きてほしい」と言われ、そんな言葉に背中を押されていた。


 彼は自分と出会った時のまま、美しい姿のまま変わらずに存在する吸血鬼スカーレットが、心までも同じくして自分の命の最後まで共に居てくれたことに深い愛情を感じた。


 それだけに、彼女が自分を失ってもなお永遠の時を生きることに不安を感じていたのだろう。


 彼は自分の存在の欠落が彼女を傷付けると信じていた。あっさりと離別できるような間柄じゃない。だからこそ、言わずにはいられなかったのだろう。


 奇しくも吸血鬼は死なない存在であるにも関わらず、そのように生きることを祈られる生き物なのか……。


 そのような思い出を胸にスカーレットは来日した。

 そして、それが彼女にとって絶望の始まりだった。


 彼女が偶然によって導かれるように手にした縁は、一人の大きな屋敷を持った男との出会い。


 その男は大勢の部下を従え、組織めいたものの頂点に立っていた。吸血鬼であるスカーレットのことを興味深く感じており、そして彼女を必要ともしてくれた。


 吸血鬼を畏怖しない懐の広さ。人々の価値観は年月と共にゆっくりと成長し、このように異形でさえも受け入れてくれるようになったのだと……スカーレットは感涙と共にその男としばらくの時を過ごすことを決めた。


 その関係性はビジネスパートナーのような間柄のようなものだとスカーレットは感じていた。


 仕事を手伝って欲しいと言われ、永遠の時を生きるスカーレットの力を借りたいと言われたのだから、やりがいだって感じる。


 しかし、スカーレットは人間社会の構造など無知に等しいから知らなかったのである。


 出会いは人が集まる場所ということで訪れた一軒のバーだった。そこで出会った男。彼を取り巻く部下たち……誰もが人目で分かることをスカーレットは見抜けず、受け入れてくれるという感覚が嬉しいからかあっさりと吸血鬼の事情を喋り倒してしまったのだ。


 不幸なことに――彼は暴力団の頭であった。


 その時、暴力団同士で抗争が起きていた。

 冷戦のまま睨み合いが続いている状況。


 しかし、そんな時に現れたスカーレットの存在は大きかった。吸血鬼の再生能力、それは彼ら暴力団が所有する武器と組み合わせることで最大限にその意義を発揮し、それによって得られる効果こそをスカーレットは期待していた。


 スカーレットは銃弾が効かなければ、刃物による攻撃も無力化する。猛毒のガスであっても咽る程度で命に別状はない。


 そんな無敵の存在が銃を握ればどうなるのか……単純なことのようで、実は只事ではないのである。


 意思を持って動く無敵の砲塔の完成である。走るし、狙いは正確で、時には銃撃以外に格闘もこなす。血さえ与えておけば整備の必要はないし、コストはほとんどかからない――最強にして、最高の兵器。


 日本に来て最初にスカーレットが関わり、その能力に目をつけた彼は発想があまりに合理的であったり、頭はかなり切れていたと言える。


 優しく接することで吸血鬼が実は立場の弱い生き物であることや、その気になれば人間複数人でどうにかできることもあっさりと看破してしまったのだ。


 口が上手く、人心掌握に長けた数多の部下を指揮するような男に兵器として見初められてしまったのが運の尽き――彼女に下された命令、相対する組織の組員を皆殺しにするという任務に反対したスカーレットを、彼は握った弱みで従わせた。


 そして、彼女は人間を殺すための兵器として最初の仕事を行った。


 やらなければ吸血鬼であることを世間にバラされる。過去の苦汁を吐露したことが裏目に出て、現代でも「吸血鬼狩りは十分に起こり得る」と言われたのだから彼女はもう従うしかなかった。


 彼みたいに狡猾で非情な人間がいるのだから、やはり吸血鬼狩りのようなことを企てるやつは現代の日本でもいるのかも知れない。


 そのような思考によって明確な事実の提示もなくスカーレットは信じ込んでしまった。


 とはいえ、スカーレットは彼を殺すこともできたわけである。


 だが、彼はスカーレットがそういった行動には出られないだろうことも分かっていた。


 確かに追い詰められれば人を殺すことに躊躇いを持つ彼女でも、引き金を引くかも知れない。


 ……ただ、そこから彼女は日本でどう生きるのか?


 もうスカーレットは人間に絶望している。


 彼のような人間が存在する時点で、やはり人間は吸血鬼と相容れない。対等になれず、今度は兵器扱い。落胆している。


 だからこそ、そんな社会で彼女はどう生きていくつもりなのか?


 それならば、嫌な仕事をさせられたとしても安定して吸血はさせてもらえるし、貧しくない暮らしも与えられる現状の方が幸福ではないのか?


 そのように思考し、スカーレットの衰弱した精神は現状を恵まれている方なのだと考え始めたのだ。絶望で幸福の上限値を抑えつける。そうすれば彼女の幸福感は小さな器となり、あっさり満たされる。


 そうすることで彼女の納得は簡単に得られ、彼は最強の武器を飼い続けることが可能になる。


 そして、事実――そんな思惑は数年に渡って続いた。


 彼女の私生活は確かに悪くないものだった。欲しい服だって手に入ったし、過去を共に生きた男との食事ほどではないが一流のレストランの味は悪くなかった。女性として美しくあるためのあらゆることに手が伸ばせたし、何より吸血が安定した。


 吸血鬼狩りの時代以降の人をこっそり襲うしかなかった不安定な日々よりは圧倒的にマシと言えた。


 しかし、人を殺さなくてはならない日常。暴力団としての肩書きを有することによる、吸血鬼など関係なく一般の人間とは関わっていけないような感覚の保有は苦痛で。


 彼らの奴隷として生きる日常、それは悪化の一途を辿り組織の団員に夜な夜なその体でさえ差し出すことを強要され始め――スカーレットの精神は摩耗し、ボロボロになっていた。


 それでも、どんな形であってもスカーレットは現状が幸福なのだと考えていた。今以上に優しい環境などありはしないのだと……そのように思い込んでいた。


 記憶の中にいる愛する者の最後の言葉。

 生きろ、という呪縛とすら言える言葉。


 それを守り続ける限り、彼女は生きることを諦めたくない。


 もしかすると、こんな日々でもいつかは人間と対等だと認められる何らかの瞬間が訪れるのではないか。


 例えば、この組織で求められるだけの人間を殺し――殺し――殺しきった時、自分はその名誉を認められて対等な扱いを与えられるのではないか。


 そのように考えていた――が、ある日スカーレットは聞いてしまった。


 彼女を拾った頭と部下たちが自分の扱いについて話しているのを。


 酒を飲み交わし、上機嫌に語っている光景。屋敷の一室、聞こえたその声に反応してスカーレットは扉の隙間から一部始終を覗き見た。


 酒に酔っているため警戒心が完全に欠落し、緩み切っている男達の盛り上がった会話。そんな会話の中で、スカーレットは決定的な言葉を聞いてしまった。


『相手の組との抗争ももうすぐ終わる。そしたら戦う必要はなくなるわけだ。何にしても平和が一番だからな……そうなったら、スカーレットも用済みだ。あんな物騒な兵器に平和になったあとも居座られちゃ困る。縛って重りでも括りつけて海に投げとけばいいだろう。それで吸血鬼は死ぬらしいぞ?』


 その言葉にスカーレットは吸血鬼が欠落させる恐怖心が久々に胸中に灯ったのを感じた。


 吸血鬼が恐怖心をあまり感じないのは死なない安心感からであるが、だからこそその永遠の命が脅かされるという事態には過敏に反応する。


 もし、彼らの言うように自分が捨てられれば……約束は果たされない。

 果たせない約束を、永遠の中で証明するはずだった。


 生き続ける、というのは永遠に終わらない旅路を行くこと。その背中を押してくれた思い出があるからスカーレットは歩けていたのに、自分の命が途絶えてしまえば胸の中で生きる最愛の彼でさえ無に帰してしまう。


 消滅してしまうことに感じる恐怖は人間と変わらない。

 それだけは、何としても守らなければ――。


 --結果として。


 奇しくも、彼の思惑は順当的に行きつつ最後に爪の甘さを露呈し、予想は覆り――しかし、部分的に予測は的中した。


 彼が与え、教えた銃と殺しの極意によって初めて明確に殺意を宿したスカーレットにより彼らはあっさり殺された。


 それだけではなく屋敷内にいた団員も全て殺され、屋内は鮮血のカーペットがじわりじわりとその面積を広げる凄惨な光景。


 パンツスーツに後ろで一つに括った黒髪、スカーレットの名にふさわしいのは果たしてどちらだったのか……。


 彼女は今まで数多の人間を殺しておきながら、今日初めて自分の意思で殺したことに心が押し潰されそうな感覚となった。


 そして、自分の中で心という繊細なものがとどめとなる一撃をもらった気がした。


 反乱はできないだろうという彼の予想は外れた。しかし外れたからこそ、彼の考えるスカーレットはこの先、人間社会に溶け込めずに困った暮らしを強いられるという予測は的中することとなった。


 そんな彼女は人間に絶望し、吸血鬼であったがために自身の運命がどんどんと崩れていくことを重荷のように感じた。


 もし、自分が人間であったならその命の終わる瞬間をきちんと最愛の人に抱き留められて終われたはずなのに。


 そのように思いながら、彼女は自らの意志で四肢を縛って海に身を投げようかと考えた。


 だが、それもできない弱さを引き連れ――やがて彼女は生き延びるために餌となる人間を捕獲する計画を思いつく。


 人間は自分を武器のように、道具のように扱った。

 ならば、それを自分が人間に行っても構わないはずだろう。


 そのように考え、スカーレットはそこまでしてでも生き続ける意味に疑問符が浮かんでいることを無視して犯行に及んだ。


 そして、あの日――犯人は現場に戻るという言葉の通り、スカーレットは自分が血の海を作った屋敷を久しぶりに見に行った。


 惨状はもしかしたら相対していた組の報復とでも解釈されているかも知れない。ならば、その現場がきちんと片付き、全てが終わったのだという光景をこの目で見ておきたい。


 しかし、そのような思いで訪れた場所には、


『朝食のあとにちょっと血も吸わせてね』

『はいはい、分かったわよ』


 吸血鬼と人間が仲睦まじく会話をしている光景が存在していた。

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