第三話「吸血鬼、語るべき言葉を持たず」

「そもそもいのりを吸血にしたこと事態が、あなたの優しさと弱さを物語っているんだもの。普通は分からないかも知れないわね。私は吸血鬼でもないし、いのりみたいに何かのハンデを背負った人間でもなかったんだもの」


 ちひろの見透かしたような言葉が気に入らないのかスカーレットは少しだけ眉を顰め、しかし阻むことなく聞くことで続きを促した。


「でも私はその二人……吸血鬼と、ハンデを背負った人間の二人と関わったからこそ理解できたのかもね。スカーレット、あんたは単刀直入に言っていのりに同情したから殺せなかった。吸血鬼にした方が便利とかそんなことじゃなくて――あなたはいのりを殺せなかっただけなのよ」

「殺さなかった理由が同情、か……私のどこに足が動かぬ人間に情をかける理由があるというのか? もちろんそこまで考えて語っているのだろう?」


 スカーレットは挑発的にちひろへ問いかける。


 それはちひろの言い出した「同情」が何の根拠にも基づかない推測で、スカーレットが本当は優しいのだと信じたいだけの文句だと考えたからだ。


 しかし、その問いを受けて尚――ちひろは得意げな表情を浮かべ、そんな様子にスカーレットはまたしても表情を歪め、奇妙な弁舌を連ねる人間を目視する。


「私はここにいるロベルト……つまり吸血鬼と一緒に暮らすことになった時、考えたのよ。吸血鬼と接していくことを自分の中でどう捉えるか。その答えは、回答を導き出すことさえ忘れていた自分に教えられたわ……少し人と違うくらいだから、普通に接していれば忘れるくらいに些細な差異なんだって」

「それが私の情がどうのという話とどう繋がる?」

「そこよね。私はそんな風にロベルトを捉えられた理由として自覚してるのが、足を不自由にするいのりと一緒に暮らしていた時を思い出したから。人とちょっと違うくらいで差異を感じたりはしない、それは吸血鬼だって一緒。でも、それって私は暗にいのりの抱えるハンデとロベルトの吸血鬼を一緒くたにしてるわよね?」


 スカーレットが言葉を紡がず、閉口してちひろが語る続きを待っている。


 それはちひろにとって確かな手ごたえだった。今日までロベルトと付き合い、彼の本質にさえ迫る距離で見てきたからこそ感じたちひろの吸血鬼に対する考え方。


 そこから導き出された、スカーレットの――弱さ。


「なら、こういうことだってあるんじゃないの? あなたは自分が吸血鬼であることを一つのハンデとして捉えていて、同じく不自由を抱えるいのりが自身と重なったから殺せなかった。もし、そうだとしたらそれくらいの理由で人を殺めることを躊躇うくせに人殺しを仕事にしてたなんて、私から言わせれば――甘いわね」


 ちひろは看破したという直感を胸にスカーレットを指差し、堂々と語った。


 その言葉にスカーレットは沈黙し、ちひろへと向けていた銃を下ろしてだらんと腕を重力へ従わせる。


 そして、乾いた笑い声をあげてスカーレットは笑う。可笑しくてたまらないと言わんばかりの感情をどこか力なく表現して、表情に無を浮かべてちひろを見る。


「お前は凄いよ。……あぁ、正解だ。私はこのようなことを看破されたことに強がって『間違いだ』などと嘘をついたりはしない。そうだ。利害という意味も確かに含んでいたが……私がいのりを殺さなかったのは同情だ。正しいよ」

「スカーレット、あなたはその時……そんな風にいのりを見つめてたんだね」


 スカーレットがあっさりと認めた事実、それによっていのりの記憶は引き出される。


 母の首元へと乱暴に噛みついた女性が自分の方へと振り向く。そして、持っていた拳銃を眉間に突きつけ、あとは引き金を引くだけ――そこまでの段階を経て、困った表情を浮かべたのを彼女は覚えていた。


 憐れむような、情をかけるような表情だったと今、言われればいのりは納得する。


 あの時に感じた「どうしてそんな表情を浮かべるのか」という問いに答えを得たいのり。彼女だけでなくロベルトもスカーレットが対話の余地がある吸血鬼だと認識し、何とか事態の収拾に持っていけないかと考えた。


 しかし――。


「それでもな……私が優しいかどうかは分からない話だとは思わないか? お前は色々と吸血鬼について見えているようだし、人間とほとんど差異はないと言い切ったその姿勢は素晴らしいよ。でも、私はそこの男と違って非情な吸血鬼……そうだろう?」


 スカーレットは再びちひろへと銃口を向ける。今度は漠然と彼女に向けているのではなく、眉間へ狙いをしっかりと定めていた。


 その銃を構える手は相も変わらず振るえなく、躊躇いもなく……彼女の人殺しを仕事にしていたという言葉の信憑性は少なくとも消えていなかった。


 それでもちひろはスカーレットに対して抱いた直感を捨てていないのか、平然とした面持ちでその銃口を覗き込む。


「いのりを吸血鬼にした。それはいのりの命を奪わないだけでなく、不自由だった足さえ治した。本当なら善人の行いにすら聞こえそうね。でも……あなたがそう認識している。ハンデだ、って。なら、いのりに与えたのは同情ではあっても救いじゃない。寧ろ逆……そういうことでしょ?」

「ああ、そうだ。お前達、人間は永遠の命まで与えられたのだから、この上ないサービスとさえ考えるものだっているだろう。とはいえ、吸血鬼と共に暮らす人間はそういった俗な考えには至らないか。……そう、その呪いを与えた私をお前が信じられなくなった時、表情はきっと恐怖に歪む。いつまでそうしていられる?」


 スカーレットの挑戦的な物言いに対して、ちひろは表情を顰めて不愉快そうに彼女を見つめ返す。


 きっかけは同情だった。


 でも、吸血鬼にした事実は確かにいのりにとって足が不自由なまま人間としての天命を全うするよりも、過酷な日々になり得る。車椅子の生活にも慣れて、普通に暮らしていた日々を思えば、吸血鬼となったいのりの今は困惑することに溢れている。


 そのように日々を激変させた張本人こそ、スカーレット。


 自分の気まぐれでいのりは生き残ったに過ぎない。

 そこまで血の通った物語など存在しない、と。


 しかし……それを認めさせることに何の目的があるのか?


 ちひろは考える。

 寧ろ、否定されることを望んでいるとしたら――?


 そうであれば、この吸血鬼はやはり……そのようにちひろは思い、溜め息を吐き出す。


「呪い、ね……確かにそうかも。ロベルトはまるで狂ったように誰かとの繋がりを求めてたみたいだし、吸血鬼である日々に付きまとうものから逃れるために突き動かされるのは確かに呪いね。でも、そんなの……解いてしまえばいいだけでしょ?」

「……もしかしたらそこの吸血鬼はそういった呪いを解く――とは言えずとも、少なくとも押さえ込むことには成功しているのかも知れないな。私のように自身の抱えているものを恨み、苦しむことが呪いの効果であるならば、お前こそ……私の目指したものだったのに」


 奥歯をギュッと噛みしめ、恨めしそうにロベルトを見つめるスカーレット。


 その瞬間、ロベルトはどうしてちひろが「吸血鬼だけではこの事件は終わらない」と言ったのかを理解した気がした。


 ロベルト――彼は果たして自分の吸血鬼としての性質をハンデとして考えているだろうか?


 過去には暗黒の時代を生きたこともあったが、それは思い返せば彼個人が苛まれた問題ではなかった。


 で、あるならば過去には家族に恵まれ幸せに暮らし……今も同じように人の輪の中にいることに成功している。


 そんなロベルトが自身の吸血鬼の性質で生きにくい思いは感じながらも、それを疎ましいと考えることがあるだろうか……?


 恵まれ過ぎていた。

 幸福が過ぎている。


 だからこそ、ロベルトはスカーレットに届く言葉など持ち合わせてはいないのだ。どの言葉も成功者の余裕が含まれた厚みのない言葉になり、スカーレットの抱えているものには寄り添えない。


 そう。彼女の中には吸血鬼としての自分を恨み、悔いるような過去がある。


 そこまでをちひろは何となく考えていた。それはちひろが人間であるからなのか、それとも吸血鬼と並び立つ境遇となったからなのか……彼女は分からないながらに、自分の必要性を理解してこの場に身を置いていた。


 それを、いのりには少し難しいかも知れないが、ロベルトはようやく理解した。


「スカーレット。目指した、なんて語るってことはロベルトみたいに人間ときちんと向き合う努力をしたってこと? そんな過去があったってこと?」

「……あったさ。私だってこの国を訪れた時には理想を持っていた。優しい人間の多い国だと言われ、希望を携え訪れたのに……私が握らされたのはこんなものだった!」


 スカーレットは憎しみを滾らせ、心の底から忌むべき思い出の染み込んだその拳銃を見つめる。


 人殺し――それを、人なんてとても殺せないだろうとちひろに推測されるスカーレットがやっていた過去。


 矛盾しているようで、実は明瞭な表裏。それは彼女の言葉の端々から見え隠れしており、ちひろは彼女の鈍重な過去を封じた扉の前に立った気持ちだった。


 不意にスカーレットは「ロベルトと言ったか」と、彼を呼ぶ。


「お前は知っているか? あの吸血鬼狩りなどというあまりに凄惨な人間の所業がまかり通っていた時代のことを」

「……知ってるよ。寧ろ、君がそれを理解している偶然が驚きだよ。同じ時代、近い土地で過ごしていたのかもね」

「あの時代は一人の吸血鬼の反乱によって人間に目をつけられて起きたものだった。私とてその吸血鬼の正体は知らない。だがな……どうしてあのような人間に対する反乱を行ったかは今の私には分かるんだよ」


 そのように語り、忌々しそうに見つめていた銃を握る手にもう一方の手を重ね……それは祈りであるかのように。もしくは不安で心細い時の何気ないしぐさのように儚い。


 そして、吸血鬼が起こした反乱の物語を絡めて明かされるスカーレットの過去は言ってしまえば――ロベルトにとって、あったかも知れない可能性。


「何故なら、私も人間に反抗し――この手で何十人もの屍を作りあげたからだ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る