第二話「吸血鬼、スカーレットと対峙する!」

 スカーレットが拠点としているのは山の中にある使われていなかったであろう小屋だったことがいのりから明らかにされた。


 人目のつかない場所を見つけるのも難しい現代の日本ではあるが、この街の外れの方にある山には生息している動物の関係もあってかそれほど人がやってこず、吸血鬼であるがためにそういった命の心配がいらないスカーレットにとっては都合のいい場所のようであった。


 この点でも人間であるちひろに危険が及ぶ可能性が増えているのだが、そもそも山の付近まできて、いのりがスカーレットにとって好都合な立地であることを説明しだしたのでもう遅かった。


 ちひろにそもそも引く気がないので今更な情報ではあるが、いのりは吸血鬼であるためそういった獰猛な動物に対する警戒心も薄れているようで姉に対する配慮を欠いてしまった。


 その点をいのりは深々と謝罪したが、強引についてきていることを踏まえなくても妹には割と甘いちひろは「別にいいわよ」と軽く流した。


 ロベルトは「早く言われれば鈴くらい買ってこれた」と思ったが、もしも熊なんかと対峙した場合は自分が齧られている間にちひろが逃げればいいので問題はないと結論付けた。


 ――というわけで、ロベルトの屋敷がある住宅街から数十分ほど歩けば景色は随分と緑が多くなり、やがて山の入り口へと到着した。


 きちんと舗装されているわけではない足場の悪い山道を懐中電灯で照らしながらいのりの導くままスカーレットの拠点へと歩み進めていく。


 道中で各々の間に会話はなかった。現場に着いてみないとどのように状況が動くのかは分からない。なので、実際にスカーレットと対峙した時の段取りなどを相談することもできず、他愛もない会話で賑やかにする空気でもなかった。


 ただ、黙々と歩みを進める時間だけが続き、その沈黙は山の深くまで入ればスカーレットに話し声でロベルト達の存在を予め悟られないための予防になるので返って合理的だった。


 そして――いのりの「着きました」という言葉でロベルトとちひろは眼前に巨大な影を纏った塊が現れ、それが屋敷であることを認識した。


 街灯などあるはずないこの山中でロベルトとちひろにはその屋敷が突然「姿を表した」という感覚であり、少し驚きもしたがそこは閉口して無駄に気配を悟られるような行動は慎む。


 そして、いのりが一日ぶりではあるがスカーレットの拠点に戻ってきたことを装って扉を開け、そこからロベルト、最後にちひろと続いて屋内に入る。


 その屋敷の内部は外とそれほど変わらない暗闇が敷き詰められた空間。平屋建てで、一間しかない本当に簡素な造りであるらしい小屋の中――暖炉と思わしき、煉瓦で作った口が炎を吐き出しているような唯一の光源が目線を引き、その傍らに――佇んでいたのだ。


 そう、吸血鬼――スカーレットが。


 うっすらと暖炉の燃える炎に照らされてその輪郭や、ぼんやりとした容姿は目視が可能な状況。


 背はすらりと高く、髪を後頭部で一つに括っておりその長さは背中の中腹あたりまで達している。


 印象的とも言えるのが見るものに冷ややかな感覚を与える眼光を生む三白眼であった。


 そんな彼女はパンツスーツを身に纏っており、時間帯と場所さえ弁えればキャリアウーマンと言っても差支えがない。黒い髪、黒いスーツに白いシャツ、モノクロに彩られた彼女がスカーレットを名乗るのはどこか滑稽でもあった。


 そして、彼女の手には拳銃が握られており、ロベルト達の存在を認識してからその安全装置は無慈悲な音を立てて解除される。


 一瞬で肌がひりつくような緊張感が身体中を駆け巡る感覚を各々が有する。


 誰かを殺められる者と相対した時に感じる感覚は凶器を眼前に向けられている時と同じで……そういう意味で言えば、人の命を奪える時点でその者自身がもう凶器であるのかも知れなかった。


 銃弾を受けても死なないロベルトもちひろの存在からやはり緊張を得ており、いのりは自分が連れてきた二人をどのようにスカーレットへ飲み込ませるか、まずは話し合いのテーブルについてもらうことができるか必死に言葉を探っていた。


 そのような緊迫した空気で、口を開いたのはスカーレットの方だった。


「いのり、随分と大人数で帰ってきたな。それは全部、私の敵として用意したのか?」


 ハスキーな声で語るスカーレット。


「敵かどうかはこれから話し合って……というわけにはいきませんか? 連れてきた二人にスカーレット、あなたに喜んで敵対しようという意思はありませんから」

「ふむ、そうか……まぁ、いい。昨晩、帰宅しなかったことから何かがあったのかも知れないと考えてはいたが、今のお前の立場でそのように連れてこられる人間がいるのだな」


 そのように語り、スカーレットはおもむろに取り出したライターを点火させる。


 すると僅かな灯りが周囲をぼんやり照らし、まずそのライターは小屋内の中央に置かれた今にも崩れそうなテーブルの上にあったことが分かった。


 そして、その火を天井からぶら下がっている擦りガラスのように摩耗した燭台に灯すことで、鮮明とは言わないまでもお互いが顔を視認できるほどの光源が部屋中央に存在することに。


 おそらく普段は人の目を考えて使っていないのだと思われる燭台に灯された明かり。


 それによって露わになったのはスカーレットの姿や屋内の様子だけではなく……小屋の隅、窓に隣接するように置かれたベッドの上で四肢を縛られて体育座りのような体勢で存在するちひろといのりの母親の姿、それも鮮明となったのだった。


 口に布を噛まされ、自由に喋ることができない状態となっている母親はちひろと結んだ視線越しに何かを訴える。それはおそらく「助けて」ではなく「逃げろ」だった。


 しかし、そのような気になるはずもないちひろは咎めるような視線でスカーレットを見つめる。


 さぞ冷酷な表情をしている――と思いきや、スカーレットは意外にも信じられないとばかりに目と口を少し大きく開いて目視していたのである。


 その視線の先にいる、ロベルトを。


「お前は……もしや、あの屋敷に住みだした吸血鬼か? 人間と一緒に暮らしている風に見受けられたあの、吸血鬼か?」


 その驚きに満ちた表情――そこにスカーレットが認知していることを思わせる言葉を添えたことで、ロベルトの記憶は奇跡的に符合したのである。


 眼前の女性が過去に一度。そう、あの屋敷へ引っ越した次の日の朝、不意に挨拶をした時に驚いた顔をしてこちらを目視してきた女性とスカーレットが完全に合致したのだった。


 ならば、あの時の会話も聞かれていて……だからこそ、ロベルトが吸血鬼でありながら人間と共に暮らしていることを知っているのは口ぶりからも明らかだろう。


 この事実の発覚にちひろだけが少し表情を歪めて「あまり良いことじゃないな」と感じていた。


「僕はあまり他の吸血鬼と会ったことがないからね……何だか不思議な気分だよ。スカーレット、そう名乗ってるらしいね? 君の言う通り、僕はこの山を降りて少し歩いた所にある住宅街。そこで一番大きな屋敷を買って暮らしている吸血鬼だよ」

「……そうか、やはりか。あまり良いことだとは思ってなかった。だが、どうしていのりと貴様が邂逅することとなる? 何の因果があって? 何の縁があって?」


 スカーレットは少し苛立ったように語気を荒げ、片手で顔を抑えて。もう片方に握られた拳銃をロベルトの方へと無意味でありながらも向けて脅しとする。


 彼女の苛立ちは単純である。


 彼女はロベルトという「人間と関係を結べた吸血鬼」がいることを知って厄介だと感じたのである。


 普段は母親の監視のためにあまり出歩くことができないスカーレットはその時、偶然拠点を離れて行動しておりロベルトの築いた家族の構図を視認した。そして、焦ったのである。


 口止めのためとしていのりを吸血鬼にしたのに、もしロベルトと彼女が邂逅することがあれば強力な味方となるかも知れない。そんなコミュニティにまかり間違って入ることを成功させれば、いのりに対してスカーレットが持っていたアドバンテージは一瞬で失われる。


 孤独であるからこそ、彼女は街で好きに歩かせても問題はなかった。

 母親を生かすための奔走を、自由にさせられた。


 だが、その最悪の可能性にまさか至るとスカーレットは思っていなかった。この広い街で、自分の吸血鬼としての事実を隠したがる同族同士があっさりと邂逅してしまうなど、どれほどの確率か――しかし、彼女の中では重大な事実が欠落していたのだ。


「妹の支配が完全じゃなくなる可能性があって、それでも対策できなくなるのはさぞかし辛かったでしょうね。確かに偶然な部分は多かった……でも、私達の行動の結果がいのりと私を再会させた。恨むなら、私とロベルトが出会った因果を恨むのね」

「……姉? お前はいのりの姉なのか? ……そういうことか、お前達は私に対してもう一人の家族という事実を暗に結託して隠蔽していたのだな」


 苛立ちは募っていくのが手に取るようにわかる口調でありながら、態度から冷静さが失われることはなく、あくまで理性的。


 そんなスカーレットが指す「お前達」とはいのりと、そして母親のことである。


 二人は自分達を失って困惑しているであろうちひろのことをもちろん想っていた。だからこそ、スカーレットには姉の存在を知られないように立ち回らなければならないことをそれぞれが自ずと思い至り、それは合致した。


 そのため母親の監視をしなければならず、情報を手にするべく出歩いたりもできないスカーレットは舞鶴家に家族事情を調べにいくこともできなかった。


 ……いや、いのりとスカーレットが一度だけ二人で小屋に母親を残して出歩いたことがあった。


 それはスカーレットがロベルトを視認し、実はいのりが自宅に衣服を回収するために一度だけ戻っていた時なのだが、その時のスカーレットは別のことに意識を持っていかれていたために、そのような配慮はできなかった。


 姉がいると言われなければ、その可能性などすっぽ抜けてしまう。他に考えることがあるならば仕方がないのである。


 スカーレットはその時――どうしてもロベルトの屋敷を見に行きたかったのだから。


 姉と再会することでロベルトと同時に邂逅を果たすことになるなど、スカーレットに想像ができるはずはない。


 ただ、そのような接点はもしかすると舞鶴家にロベルトも一時期は住んでいたため、調べれば細かい痕跡を探し出せたかも知れないのは事実だろう。


 とはいえ――。


「だがいのり、お前の姉は人間なのだろう。……そうだ、あの時に屋敷でそこの吸血鬼と言葉を交わしていたのは、お前の姉だ。ならば、愚かとしか言いようがない。お前達はここにも一人いるというのに、もう一人人質を連れてきたのか?」


 そのように語り、スカーレットは銃口を今度はちひろへと向ける。


 ちひろはそのようにして向けられた凶器を刹那、恐怖心に満ちた心で受け止めた――が、しかし決意に満ちた表情で先ほどまでの感情全てを払拭してしまう。


 そして、その堂々たる態度に驚くスカーレットへ一手を打ち込むようにロベルトと、いのりよりも一歩前へ自ら歩み出していく。


「命知らずだな。お前は今、いつだって殺せる準備を前にしているんだぞ?」

「大丈夫よ、吸血鬼二人が守ってくれるもの」

「無駄だな。私はこの日本でそもそも人殺しを仕事にしていたのだ。二対一程度で覆る戦力さではない。いのりにはそんな経歴を聞かせてはいないから知らなかっただろうな。それに、吸血鬼は銃弾に対応できるほど俊敏に動けるわけじゃない。……知らないのか?」


 最後の手段、武力行使は想像もしていないスカーレットの経歴によってあっさりと崩れ去った。この辺り、吸血鬼の恐怖心欠落による計画性のなさという弁護をしてもし切れないほどのミスだったと言える。


 しかし、ちひろは「あはは」と明るくスカーレットの言葉を笑い飛ばす。


「知ってるわよ。吸血鬼……すぐに泣くし、無鉄砲に行動するし、何だって受け入れてしまう。弱いわよね。ほんと……人間が思ってる以上に弱い生き物。だから知ってるわよ。スカーレット、あなたが私を殺すような真似だって出来ないこともね」


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