【第五章 吸血鬼ロベルトと収束していく真実】
第一話「吸血鬼、決着に向けて」
スカーレット宅へと赴くのは夜からということになった。
彼女の所在を聞いて居ても立ってもいられない心境であるのはロベルト、そして自分の母親を捕えられているちひろといのりも同じではあった。
しかし、彼女らの母親はあくまでスカーレットの生命線であるため、危害が加えられる可能性は薄いということできちんと段取りを行うため。
そして事件は吸血鬼が絡んでいるので、ロベルトが解決して警察に関与させず闇に葬らなければならないため、夜に紛れる方が便利だろうという理由もあった。
そんなわけでスカーレットの拠点襲撃までは時間があった。
もちろん、各々が普段通りというわけにはいかなかったし、のんびりとした空気を求めたくてもそうできない空気が屋敷の中にはあった。
さて、屋敷の中にはいくつかバルコニーが存在している。
その建物の大きさから複数個存在しているバルコニーの一つ。そんな場所で、夕焼けが地平線の向こう側へと吸い寄せられ最後の一滴とも言える輝きを放つ街の風景を眺めながら、ちひろといのりは姉妹だけの時間というものを久しぶりにもった。
「正直に言うわね。私、いのりとお母さんがいなくなったって知って……その、自殺しようかなって思った瞬間があったの。二人の所に行ってしまえば今ある苦しみや悲しみ、苛まれる思考からも解放されるんだって思ってね」
消えゆく灯のように沈みゆく太陽に視線を預け、ちひろは静かに語った。
いのりは表情の上では驚くことはなく、でもただ静かに「意外だね」と返答する。
「お姉ちゃんは強い人、そんな風にいのりは思ってたから正直、意外……でも、それだけショックだったんだよね。ごめんね。いのりが吸血鬼になってでも生きてること、お姉ちゃんに伝えればよかったのに」
ちひろはその言葉を意外そうな表情を浮かべて迎えた。
そして、次にちひろは自分の想像力の欠如を恥じたのか唇をぎゅっと噛みしめた後に「ごめん」と呟く。
「いのりが生きてるって可能性を諦め死のうとしたことを謝廬つもりだったのに、逆に傷つけちゃった……本当にごめん。いのりが生きてたって知った時、私は素直に嬉しかった。でも、遅れて罪悪感がやってきて……でも、いのりだって苦労したのよね」
「それを言えばいのりも謝らなくちゃいけないよ。お姉ちゃんがいのりの正体を……吸血鬼だってことを受け入れてくれないかも知れないって思って、怖くなって。ちゃんとお姉ちゃんを信じていられれば、きっとそんな風に死にたいって思わせる前にいのりは生きてるよって伝えられたのに……」
「何で逆にいのりが謝ってるのよ! ……私はロロと暮らして吸血鬼ってものを知った。人間に随分と気を遣って生きることを余儀なくされるんだなって……ロロを見てて思ったもの。いのりが私に生きてるって報告しに来れないのは仕方ないことだったのよ」
お互いが相手をきちんと信じ切っていればもう少し拗れることはなく、全ては上手くいっていたのかも知れない。
互いに思うも、相手の立場に限ってみればそのように恐怖心を抱くのは無理もなかった。
だから、信じられなかった自分が悪い。
相手を正当化し、自分を責める。
鏡合わせの思考の裏に、違う背景を持つ二人。顔立ちが似ており、性格はほぼ真逆。しかしお互いに相手のことを想えるからこそ、やはり家族なのである。
だから、全てを吐き出しきれば微笑んで許し合える。
一つの信用問題で何もかもが崩れることはない。お互いさまという言葉で納得できる。あとは自分を許せるかどうかなのだから、互いが許せばそれで終わるのである。
そのようにしてお互いが抱えていた罪悪感はとりあえず、払拭ということになった。
「それにしても血の匂いで釣られて理性が効かなくなった時、いのりはもう駄目だった思ったんだ。薄れる記憶で人を襲って、いのりは吸血鬼であることを世間に知られて……生きていけなくなるんだって。でも、そこにいたのがお姉ちゃんでよかったよ」
「私だってびっくりしたわよ。何から驚いていいのか分からなかった。いのりは生きてた。で、吸血鬼になってて……しかも二本の足で歩いてた」
「そういえばそうだよね。いのりも最初は驚いたけど、最近は当たり前になってた。お姉ちゃんに車椅子を押してもらうの好きだったけど……もうそれもできないね」
「何言ってんのよ。そんなに素敵なことないじゃない。……でも、吸血鬼になったことはその……どう思ってるの?」
ナイーブな部分に手を伸ばしている自覚があるちひろの言葉はどこか恐る恐るといった感じで。
そんな風にして投げかけられた問いへ、無邪気な笑みを浮かべていのりは答える。
「お姉ちゃんも含めてここの家族のみんなが受け入れてくれるなら、いのりは歩けるようになってラッキーだって思えるくらいだよ。今まではお姉ちゃんとお母さんが私を家族と思ってくれてた。でもね吸血鬼になった途端、孤独感があったんだ。いのりはもうずっと誰とも関われず、永遠に生きていくんだって。……でも、今はそんな不安感なんて全然ないんだよ? いのりだけじゃない、お姉ちゃんのことも受け入れてくれたロロさんと、その家族のみんながいるこの屋敷が、そういうもやもやしたものを吹き飛ばしてくれたから!」
その言葉でちひろはいのりの中にある不安感のようなものに対して距離感を図って接する必要を感じなくなったのかも知れない。
不意に、ぎゅっといのりの体を抱きしめ、ちひろは耳元で「おかえり」と呟く。
そんなちひろの抱擁を受け入れ、同じようにしてその体を抱いて自らの方へと引き寄せるいのり。
「私には言える権利なんてないかも知れない。一度命を捨てかけた人間だから……でも私はロロからバトンを渡されたから。だからあいつの作った今日に存在していられるから。だから……いのりも生きるのよ。生きなくちゃ、始まらないんだから」
「うん、分かったよ。お姉ちゃん。いのりは生きる。生きるから……心配しなくても大丈夫だよ。吸血鬼だって悪くない。そう、思えたんだから」
不死身であるはずの吸血鬼に対して、「生きろ」というバトンを渡すのは滑稽なことかも知れない。
しかし、かつてのロベルトの家族が死に際に彼へ託したことも踏まえ、人というのは「生きる」という言葉を生命の限界までの距離ということ以上に捉えてる節があるかのかも知れないと、ちひろは語りながらに思った。
そして、そんな言葉に強く胸を打たれながらも抱擁してくれる最愛の姉を間近で見つめながらいのりは思う。
(お姉ちゃん、普段強気な性格だからか……メイド姿が逆に可愛い!)
ロベルトに義務付けられた手前、昼のうちに着替えていたちひろであった。
○
空は完全に夜の支配下にあった。
釣り下がった下弦の月は閉じた瞳のようで、目撃者を許さない今日の行いを思えばなかなかに縁起がいいとロベルトは思った。
スカーレットの拠点へと赴くのはロベルトといのりの二人。
徹生やマサキも同行を申し出た。
徹生はロベルトに自分を拾ってもらった恩義を少しも返しておこうと思うなどと言っていたが、根は優しい性格であること。
そして誰かのために何かをするというロベルトの強い意志に感化され始めているのかも知れなかった。
マサキは実直に、そしてただひたすらに事態のハッピーエンドを願ってこその協力の申し出。
彼女はこう見えてやはり、そういった真っ直ぐな感情を信じているのだ。もしかするとそれは物語にはなかなか込められない安直な勧善懲悪に憧れみたいものでも持っているのかも知れなかった。
この二人の内、徹生にはロベルトも同行をお願いしようかと最初は考えた。マサキは女性であるし、どちらかと言えば知能を借りることで協力を仰いできたことが多かった。
今回は力になってもらえる場面は少ないとロベルトは判断したが、徹生は男性であるし体格もかなりがっしりとしていると思われたが、こういった場面で頼れる。
しかし、いのりからスカーレットは銃を持っていると言われたためにそもそも人間が今回の突入作戦に参加することが不可能になってしまった。
どこからそんなものを入手したのか……ロベルトはスカーレットの人物像や経歴がますます分からなくなったものの、とりあえずはいのりとの二人だけで武器となる銃に対する不安要素は排除して向かうこととなった。
スカーレットに対してロベルトが行う予定にしていることは単純に二つ。
まずはスカーレットと対話しての説得。いのりの話から随分と冷酷な人柄と思いながらも、それなりに話は通じること。いのりと暇な時間にちょっとした会話を行うくらいには話が分からないやつではないことを踏まえ、まずは対話を試みる。
それが駄目なら武力行使。二人がかりでスカーレットを拘束する。いのり一人くらいはどうにかなるかも知れないスカーレットも、流石に吸血鬼二人に迫られれば勝ち目はない。
だが、この二つ目の選択肢は実際に選ばれることのないものだと思われる。
スカーレットがそもそも吸血鬼二人を眼前にした時、力で抵抗する意思などあっさり失ってしまうはずだからである。
不死身の対処しようがない存在に対峙すれば、それがあまりにも合理的な判断であるからだった。
つまり、不安要素は追い詰められて錯乱したスカーレットがちひろ達の母親を殺してしまわないか。そこに集約されている。
刺激しないように対話を試みつつ、二人の吸血鬼で武力による圧倒を封殺。もし、母親を人質にとって事態を解決してくるようにあちらが立ち回ってくるならば、そこは安全に相手のペースに合わせつつ、臨機応変に対応。
吸血鬼であるがゆえに、自身の命を守る必要がなく人質の解放に集中できるのは利点といえた。
--さて、そんなわけで作戦とは少し言い難い段取りを確認した上でいのりとロベルトは屋敷を出て、玄関たる門を潜った。
その時だった――。
「ロロ。徹生さんやマサキさんは駄目でも、私は連れて行ってもらうわよ」
門の前でロベルトといのりを待っていたであろう、ちひろが二人に声をかけてきたのである。
言葉通りの意思表示。
ちひろに対して、ロベルトが述べる言葉は決まっていた。
「それはできないよ。危険が伴う……それは君も分かってるだろう?」
ちひろは徹生とマサキが同行を断られる瞬間の場に居合わせていた。スカーレットが銃を持っていることも知っていたし、危険性を踏まえれば寧ろ助力どころか足手まといにすらなりかねない。
それを理解していないちひろではない――が、彼女の表情に引く気はないようだった。
「言ったでしょ。争ったり、前に出なきゃいけない時は私がそれを請け負うって。ロベルトに足らない部分は私が補うって……そう、言ったじゃない」
「確かにそれは聞いたよ。でも、今回は訳が違う。相手は人間を殺すことにだってきっと躊躇いはない。それだっていのりから聞いたはずだろう?」
「そうだよ、お姉ちゃん。いのり達に任せて。……それとも、ロロさんといのりの二人だけじゃ信用できない?」
いのりはちひろに対してそのように言葉を投げた途端、「あっ」という言葉と共に表情を曇らせ、自分が卑怯な物言いをしたことを自覚した。
ロベルトといのり、その二人に対してちひろは「信用」という部分で少し抱えているものがあった。
ロベルトは彼女を守る誓いで結果的にいのりとの邂逅になったあの事件でそれを証明し、いのりとはきちんと話し合うことで理解を深めた。
その部分をいのりは逆手に取ってしまったことに申し訳なさを感じた。
しかし、そんな妹のうかつな物言いも含めて「理解している」という表情でちひろは不敵に笑んで語る。
「二人のことは信用してる……でもね、私は二人と違って人間。銃弾で簡単に命を落とすし、そうでなくたって百年もすれば死んでしまう体。一緒にいたってそういった差異はなくならない。でも、そうやって今日までロロ、あんたという吸血鬼と一緒に私は生きてきた。そんな私だから出来ることがある。この事件――私という人間無しじゃ解決できないと思ってる。私も、介入させてもらうからっ!」
堂々と言い切ったちひろの言葉、表情に迷いなどどこにもなかった。
その言葉を受けてロベルトは考える。彼女が今日まで自分と関わって見てきたもの、感じてきたものを踏まえて生まれる言葉……それがスカーレットの何かに響くという可能性がゼロではないこと。
ちひろは確信を持っている。
ロベルトといのり、その二人と共にいた彼女だからこそ持てる確信――?
不安そうな表情を浮かべるいのりを見つめ、ロベルトは「姉の動向を断って欲しい」と感じている彼女の胸中を読み取った。
でも、ちひろがそのように感じて、確信を抱いているならば――それもまた因果な運命なのか?
そう思ってロベルトはちひろ同じく不敵に笑んだ。
「いいよ。一緒に行こう。僕は君を守ると誓った。あの約束は何も期限付きじゃない。それに僕の弱点は君が埋めてくれるんだ――それってもう無敵だよね」
「当たり前じゃない! さぁ、全部終わらせてスッキリさせてやりましょ。もう悲しいことなんか沢山だもの!」
「お姉ちゃん、決めたら折れないもんね……わかった。いのりもお姉ちゃんのこと守るからね! 絶対に!」
そのような決意を各々、胸に抱いて――三人はスカーレットの拠点へと向かっていく。
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