第六話「吸血鬼、幕引きに赴く!」

 いのりが語り始めたのはスカーレットと名乗る一人の女性吸血鬼と彼女が出会い、そしてちひろが自殺すら考えた事件の真相であった。


 --吸血鬼、スカーレットは血に餓えていた。


 人間と良好な関係を築けなかったのか、安定して吸血を行う環境を持っていなかったスカーレット。


 だから彼女は人間を襲うしかなく、そんな対象として選んだのがただの通行人として日常的な風景の中を歩んでいたいのりと、彼女の母親だった。


 そもそも吸血鬼が人間を襲って欲求を満たすのには限界がある。ロベルトは来日する前、ある意味で合理的な環境にいたが、スカーレットはここ日本にて血を吸うことに困っていた。


 日本のような発達した文明に成り立つ場所では、吸血行為を襲うことで行い続けるのは無理があるのである。


 だからこそ、スカーレットは吸血行為のために人間を襲ったのが、実はこのいのりと母親を襲った一件のみなのである。


 その理由は端的に言って、人間を一人捕獲して延々と吸血するために飼育すればいい。


 そういった思考にスカーレットは辿り着いたからだった。

 襲い続ける必要は少なくともなくなる。


 そして、いのりとその母親が選ばれた。

 それは偶然なのか?


 いや、二人とスカーレットの邂逅は偶然だが――彼女らを選んだことにはきちんとした理由があった。


 スカーレットの思惑はこうである。


 まず車椅子に乗せられたいのりはアクティブな行動を取れない。ならば動ける人間はその母親のみ。


 その時、すでに吸血欲求に駆られていたスカーレットはまずその場で欲求を満たしてしまう必要があった。


 でも、もう一人のいのりが動けないのであればそれは容易である。


 そして、吸血後に母親の方を気絶させて自分の拠点へと連れて帰る。しかし、成人女性を体格を同じくするスカーレットが連れて帰るのは困難。


 だが、彼女からしてみればその点においてこの二人の組み合わせと邂逅したことが幸運だった。


 餌となる母親がその体を拠点に運ぶための都合がいい道具まで用意してくれていたからだ。


 スカーレットからしてみればいのりを殺害して車椅子に気絶させた母親を乗せて自分の拠点へ運ぶ。


 それが完璧なシナリオだった。


 だが、実際に事へ及ぶとそうはならなかった。母親からの吸血、そして彼女を気絶させることまでは何とかできたスカーレットだったが、何故か――いのりを殺すことはできなかった。


 その理由はいのり自身も分からないため、彼女の個人的な事情として本人から明かされでもしないと判明しないのだろう。


 ただ、いのりを殺せなかったスカーレットだが目撃者となる彼女を生きて逃がすわけにはいかない。そこで彼女が決断したのがいのりの吸血鬼化だった。


 --吸血鬼化。

 人間は吸血鬼の血を飲むことで同族になる。


 ロベルトですら話さなかった事実はいのりから語られた。


 そもそも身動きが大きく取れないいのりは無理矢理吸血鬼にされたわけだが、その行為の前に彼女は死のギリギリまで身を刃物で引き裂かれて周囲に血を散乱させることとなる。


 それはいのりという存在をほぼ確定的に人間社会から抹消するためだった。


 彼女を吸血鬼化すればどれだけ傷つけようと最終的には問題ない。だが、吸血鬼となった彼女が容易に人間社会へ戻れないようにするための一つの予防であった。


 これによっていのりにスカーレットは植え付けたのだ。


 まずいのりは吸血鬼であるために人間に自身の正体を看破されるわけにはいかない。生き残っていたと人間社会に戻ろうものならあれだけの出血量で生存していた彼女の体調を検査する動きがあるかも知れない。そんなことになれば、存在は看破されて人間から迫害される。


 そのように脅すことでいのりは、スカーレットの言いなりとなるしかなかった。もちろん一番の理由として、自分の母親が人質に取られているということも大きい。


 だからいのりはその日、暴行を受けた母親が流したものと自身のおびただしい量の血液が散乱する凄惨な光景から、母親を車椅子に乗せて運搬させられ離れた。


 歩けるようになった、自分の足で。


 この車椅子は要件が住んでからスカーレットがよりいのりの死を確実とするため、事件現場に後から配置した――それが事件現場の真相だった。


 そこからの日々は母親を生かすべく、スカーレットの命令で人間の食料を調達したりする日々。現代日本に疎い様子があるスカーレットはいのりにそういった人間を生かすための行動をさせるというメリットもそれなりにあって彼女を吸血鬼にしたと思われる。


 スカーレットはこの一件によって吸血欲求を安定して満たせるようになったために、人間を襲うようなことはしていないらしい。


 だが、吸血欲求はいのりにも発現する。それを彼女は持ち前の我慢強さでロベルトも驚くような期間、抑圧した。


 しかし、一度は我慢できずに母親を吸血することで満たしてしまったそうだ。


 それに罪悪感を抱いたいのり。母親自身も吸血鬼というものを理解し、自分の血を差し出すもいのりは拒否。


 そこからひたすらに吸血を我慢して……しかし、不意にまた血を吸うために行動をしてしまう。それが路上を歩いている人間を襲ってしまうという、あの事件だった。


 しかし、あの事件には目撃者がおり、犯人は逃走。

 そう報道されたように満足といえる量は吸うことができなかった。


 スカーレットからは母親の血を吸うように命令されるものの、それを拒否。結果としてちひろの血の匂いに誘われ、理性が崩壊して――あの再会に至るのである。


       ○


「つまり、ちひろの母さんはまだ生きていて……スカーレットの拠点となる場所で今も捕えられてるっつーことだな」

「はい。お姉ちゃんとの再会に浮かれちゃいましたけど……今考えてみれば一晩、いのりが帰ってきてないことにあの人は怒っていると思います」

「いのりちゃんがそのスカーレットの拠点に帰る、ってことは逆に言えば、この一軒の主犯の居場所はあっさりと判明した……そういうことッスよね?」


 いのりが告白したこれまでの経緯を踏まえ、屋敷の面々はそれぞれの思案にふけっていた。


 ちひろは母親の生存にまずは安堵していたかも知れないし、一樹はスケールの大きな話が身近であることに混乱しているかも知れない。


 徹生は家族を取り戻したちひろの胸中を思っていたりするかも知れないし、マサキは作家らしく事件を当事者の視点から観測しているかも知れなかった。


 そしてロベルトは――奥歯をぎゅっと噛みしめて大粒の涙を頬に伝わせる。


 いのりはそんなロベルトの唐突な感情の放流に目を丸くして驚くも、ちひろは優しい吸血鬼の心が強く震えたことを感じて微笑む。


「もうそういう悲しいことは沢山だよ。ちひろの家族は生きていた。そして、解決への道も明確に見えた。終わりにしようよ……暗い話は終わりにしようよ。いのりちゃん、スカーレットの居場所を教えてもらうことはできるかな?」


 ロベルトの言葉にいのりは一瞬、表情を曇らせる。


 スカーレットに植え付けられた恐怖支配は、いのりの中で吸血鬼の畏怖欠落の性質で打ち消せる範囲の外に位置している。


 そんないのりの手をちひろは両手で優しく包み、真剣なまなざしで見つめる。


「大丈夫よ、いのり。ロベルトはね、私がいのりとお母さんを失ったかも知れないって絶望してた時もこうして泣き出してさ……変な奴でしょ? でも、そんな優しい吸血鬼に私は助けられたの。そして、いのりのことだってこいつはほっとかないわ」

「……でも、いのりは怖いよ。スカーレットは多分、人間を殺したりすることに躊躇いがない。ロロさんが力を貸してくれたとして、何か被害があったら申し訳ないから……」


 いのりは遠慮がちに言葉を連ねながらも、本当は助けてほしいという心理で一杯であった。


 ただ、母が救われるかも知れないという可能性を遠慮で拒否するのも何だか裏切りであるようにいのりは思い、彼女はどうすればいいのか分からなくなっていた。


 だが、優しくて――そして熱血漢な吸血鬼であるロベルトは最早、そんな風な遠慮など軽く跳ね飛ばしてしまうくらいに、その胸中を滾らせていた。


 もう、どんな拒絶だって無意味なのである。


 頬を伝う涙を拭い、ロベルトはどこか上機嫌に笑い出す。


 そして机を両手で強く叩いて立ち上がり、ギュッと握った拳を見つめて自分の信念が固まるのを感じた。


「いいね……実に運命的だよ。ちひろの家族は無事だった、それがまず素晴らしい。世の中にはまだ希望がある。救われる未来は確かに存在してる。でも、そんなハッピーエンドは吸血鬼である僕の力無しで掴み取れるほど容易いものじゃないよ。力を貸そう。僕が君の希望になる。いのりちゃん、君は僕の作った明日を生きればいいよ。家族の希望を取り戻すためにも、僕がスカーレットと対峙して――全てを解決する」


 いつかと同じように情感たっぷりに、演劇のセリフであるかのように語り連ねるのを各々がそれぞれの表情で見つめる。


 ちひろはロベルトを知るだけに優しさと呆れの混じった微笑みで。


 一樹は吸血鬼への憧れが最高潮に達するのを興奮気味な表情で。


 徹生は誰かのために熱くなるロベルトという吸血鬼を好奇の瞳で。


 マサキは誰よりも真っ直ぐなロベルトの信念に心を打たれ……そして、いのりは彼の人柄――いや吸血鬼柄に触れて美しい涙をぽろぽろと零す。


 姉が頼った吸血鬼はあまりにも優しくて、同族たる彼が自分を受け入れてくれる環境を持っていただけでも安心したのに。


 もうあっさりといのりはこの屋敷の家族としてカウントされている。それが嬉しくて――いのりは感情が溢れたのだ。


 そしてこの日--日が暮れて夜の帳が落ちた時刻をもって、ロベルトはスカーレットと対峙する。

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