第五話「吸血鬼、彼女の胸中を思う」
舞鶴いのりとまさかの再会を果たしたちひろ。
事態の飲み込みもままならないまま、吸血衝動で理性が溶けきっているいのりを落ち着かせるためにロベルトは吸血をさせるように指示。
ちひろは今日、吸血鬼捕獲の作戦でロベルトが血を吸っているため、マサキがいのりの吸血を担当した。
突然のことでかつ、先端恐怖症もあり初めての吸血のため、マサキの顔は青ざめたが、しかし拒否できる状況でもなかったために渋々受け入れた。
この時、作戦時とは違って徹生が吸血を担当しても問題ない状況になっていることを指摘するものは誰もいなかった。
いのりは吸血を終えると緊張の糸が切れたのか気を失ってしまい、気を失ってしまう。そのぐったりとした体をロベルトが抱えて、まずは屋敷へと戻ることに。
屋敷にて人数の増えた帰宅者を驚きの表情で一樹が迎え入れる。彼もそうであったように気絶した身を安静にさせるため、リビングへと向かった。
この時、ロベルトは余分にベッドを一つ用意する必要性を感じていた。
それは今回のように突然、誰かを迎え入れる可能性を感じてのこともそうであるが、他人に対してオープンな屋敷であるのだから客室のようなものを設けるべきだと考えたのだった。
さて、それはさておき穏やかそうな表情で眠るいのり。
薄汚れたパーカーのフードから覗く顔はちひろに共通して造りがよく綺麗な印象ではあるが、彼女より体躯も含めて年相応に少し幼い印象。髪も毛先が肩に触れるくらいの長さで、姉とは対照的であった。
しかし、その衣服や髪の質感などが伝える「明らかに劣悪な環境で過ごしていたであろう」生活水準の低さは、ちひろを始めとした屋敷の住人達を閉口させた。
本来であれば失ったと思っていた家族に再会したのだから、ちひろは喜ぶべきところではある。いや、ちひろは内心で救われた気持ちになっているかも知れなかった。
しかし――。
「ロロ。……ちひろはどうなってるの?」
答えが分かっていることをちひろは改めて聞き、彼はそれを明言できる立場として神妙な面持ちのまま深く息を吐き出して答える。
「吸血鬼になってるね。牙の存在もそうだけど……吸血行為を眼前で見たわけだからね」
マサキの首筋に初めて刻まれた吸血痕。
それがいのりの吸血鬼化を証明しており、揺るがぬ事実として理解はしていたものの……ちひろはそこでようやく事実として認めたようだった。
とはいえ、だからといって理路整然するものでもない。
ソファーに寝かせたいのりの傍に座り、彼女を案ずるような……しかし、どこかで自分の胸中に秘めた不安にも掌握されたよう表情を浮かべるちひろ。
「じゃ、じゃあロロさん……吸血鬼って。つまり」
「吸血鬼にされた、ということは……さらにもう一人この街には吸血鬼が存在することになるね」
「ちょっと待ってくれよ! 吸血鬼って人間がなったりするもんなのか?」
理解が追いつかない苛立ちもあってか、徹生は語気を強くして問いかける。
「飯炊き当番くんはそういう創作とかは疎い感じするッスもんね……。吸血鬼が同族を増やすっていうのは割とメジャーな設定で……ロベルトくんから聞いた所、実際に可能なことでもあるみたいッス」
「ほ、本当なのかよ……」
「まぁ、そういった話は後だよ。まずはちひろの妹……えーっと、いのりちゃんだっけ? 彼女が目覚めて、そして落ち着いて話が聞けるまで……全貌は謎のままだからね」
各々が口にしたこと、それらには混乱による優先順位の乱れがあった。それをロベルトの言葉で自覚させられ、自らを戒めるように皆は閉口。
そんな最中、ちひろはいのりの髪を優しい手つきで撫でてみる。
母と三人で暮らしていた頃には感じなかった、手入れのされていないごわっとした髪の感触が肌に触れてちひろは悔しそうに唇を噛む。
「ねぇ、ロロ。この子、自分の足で立ってた。……いえ、私の所まで走ってきたわよね?」
ちひろの少し力ない声にロベルトは彼女の過去の言葉を追い出し、ハッとさせられる。
そう……舞鶴いのりは過去に事故で下半身不随となっており、車椅子での生活を余儀なくされていた。
しかし、彼女は自分の足で歩いてちひろの前に現れた。
「いのりちゃん、確かに歩いてたね。その……当時は車椅子がなければ移動できないほどに?」
「ええ。車椅子がなかったら手で這って移動するしかなかったもの」
「……なるほど。じゃあ、吸血鬼になったことで後天的に得た下半身を不随にした損傷部分が再生した。おそらく、そういうことだろうね」
ちひろの表情は決して絶望や悲しみを湛えたものではなかった。
しかし、素直な喜びが浮かんでいるとも言えず、それは本人以外に鮮明には読み取れないあらゆる感情が混在したものであった。
確かに妹は帰ってきた。
そして、その妹は歩けるようにさえなっていた。
でも、母親まで帰ってきたわけではないし、妹の精神状態も未だに分からない。
吸血鬼となったことに錯乱してはいないか?
……とはいえロベルトの手前、吸血鬼になったことをいのりが苦しんでいるかも知れないと予想することも誤りな気がして。
胸中が混沌としたものになるちひろ。
そんな彼女を含む家族達にロベルトが今日はもう休むように伝え、何となく目が冴える思いがしながら、各々はベッドの中で瞼を閉じることで何とか感情のリセットを図った。
○
「始めまして、舞鶴いのりです。あの、助けて頂いてありがとうございます」
姉の勝気な口調とは対照的な寡黙そうな性格を窺わせる小さな声と、弱々しい語気。
それが見知らぬ人間に囲まれているからではなく、本来からそういうものであるという直感を聞いたものは受ける口調だった。
--翌朝、ソファーで彼女に寄り添うように眠っていたちひろを先に目覚めたいのりが起こすことで姉妹はようやく向き合った再会を果たした。
見知らぬ建物の中、途切れた記憶の最後を思えば混乱で取り乱してもおかしくはなかった。
だが、傍に姉がいたことによって彼女は不安感に押し潰されることなく冷静なままだったので一人、また一人と起床してきたロベルト達と自己紹介を交わすことができた。
ちなみにいのりは本来の性格として主張が強くなく、他人に合わせてしまう平和的解決を優先してしまう性格を持っている。
そこがちひろの好戦的な性格を育てたともいえるが、自らのハンデに育てられた根気のようなものもあってかいのりの精神はそれなりに強固。ここに吸血鬼としての恐怖心欠落も合わさって、冷静に応答が出来ていた。
というわけで、いのりを交えた六人は机と椅子が揃っている食堂へ移動し、改めていのりはちひろに促されて自己紹介ということになった。
そんな彼女の名乗りに対して、「あっ!」と声を漏らして驚いたのは一樹だった。
「ボク、舞鶴さん知ってますよ! 小学校の頃、同じクラスになったことありますもん!」
中学生である一樹といのりはその学年も同じくしていた。
小学校は同じでありながら中学校が違うのは、一樹の進んだ進学校へ家計的なこと、もしくは学力的な理由もあっていのりがそういった進路を選ばなかったことに起因する。
そして、一樹はまだ車椅子ではなかった頃のいのりを知っているために、下半身不随となったちひろの妹という時折出ていた話題にはピンときていなかったのだろう。
「それにしても、ちひろさんの妹さんだったんですね……似てないなぁ」
「一樹くん、それどういう意味よ?」
「何で怒ってるんですか? ちひろさんを悪く言ったつもりはないのに……あ、もしかしてご自身に思い当たる節でも?」
「ないわよ!」
一樹の小馬鹿にしたような口調に対して、仄かな苛立ちをもって接するちひろ。屋敷の日常にいつもある光景。
そんな二人のやりとりに目を細めてくすくすと笑ういのり。一樹とちひろはポカンとした表情で互いの顔といのりを見つめる。
「お姉ちゃんがそんな風にからかわれてるの初めて見た。何か新鮮だ。……あと、もしかして高嶺君なの?」
好奇の視線と共にいのりは一樹に問いかけ、彼は何故か恥ずかしそうに身を竦めて視線を泳がせる。
「う、うん……覚えててくれたんだ」
「覚えてるよ。ずっと成績が一番だったから、すごいなぁって思ってたもん」
無邪気に一樹を褒めるいのりに対して一層、恥ずかしそうに体をもじらせて顔を紅潮させる一樹。
そんな彼を見つめ、徹生は意地悪な笑みを浮かべる。
「よかったなぁ。こんな可愛い子が覚えてて……しかもちゃーんと見ててくれて」
「てっ、徹生さんにはこういう経験ないかも知れませんねっ……!」
「お、何だとお前。意外と言うじゃねーか!」
一樹の反抗的な物言いに彼の頭を軽く小突きながらも、どこか嬉しそうに答える徹生。
そんな光景でさえ面白く、そしてどこか安心するのか柔らかな笑みを浮かべているいのり。
その表情の裏であったり、根幹を見つめたような気持ちになりちひろは逆に不安そうな面持ちを浮かべてしまう。
「そういえばメイドちゃん、どうして日曜日なのに制服着てるッスか? 今日は学校に行く必要なんかないはずッスよね?」
ちひろの学校を配慮しての吸血鬼捕獲作戦は土曜日に決行――つまりは日曜日であるはずなのに彼女は制服姿なのである。
その服装の理由をマサキは理解しているからかニヤニヤと笑いながら問いかけた。
「あれ、ちひろって部活とかしてないよね? 言われてみればどうして制服なの?」
「……そ、それは」
「そもそもお姉ちゃん、どうしてメイドちゃんなんて呼ばれてるの?」
「あぁ、なるほどね。そういうことなんだ」
マサキは問いかけた時点で気付いていたが、ロベルトもようやく合点がいったようで古典的に手をポンと叩いた。
気まずそうに視線を逸らすちひろと、その視線を追いかけるように彼女を見つめるいのり。
「いのりちゃん、ちひろにはこの家で今メイドとして働いてもらってるんだよ。だからメイドとしての服装をしなければならないのに、どうしてか制服を着てるんだよ」
「お姉ちゃんがメイド? え、見てみたい! 着てみてよ!」
好奇心に煽られて目をキラキラと輝かせるいのりが姉の肩をねだるように揺らし、相変わらず気まずそうな表情を浮かべるちひろは閉口したまま。
期待には応えてくれないと悟ったのかいのりは唇を尖らせ「ちぇ」と言い、姉への興味を徐々に消失させていく。
しかし、すると姉がメイドである事実から違う疑問が浮かんだのか「そういえば」と言っていのりは続ける。
「メイドとして働いているってことはお姉ちゃん、ここで働いているの……?」
「ええ、そうよ。ロロに雇われてここで暮らしてるもの」
「そうなんだぁ。……で、その……ロベルトさんは、アレ……なんですよね?」
躊躇いがちないのりの言葉。
公に彼の正体を口にしていいものかと配慮した結果だったのだろうが、ロベルトにはきちんと全てが伝わっていたために「そうだよ」と言って首肯する。
「僕は君と同じ吸血鬼だよ。……あと、僕のことは愛称のロロって呼んで欲しいな」
ロベルトの言葉にいのりの表情が一気に曇った。
いのりの中で姉の再会と、賑やかな会話の弾む空間におそらくひさしぶりに身を置いたために忘れてしまったのだろう。ある程度の期間、彼女が向き合い苛まれてきた自身の吸血鬼という事実を。
ただ、彼女の視点からすれば状況はそこまで悪くない。
吸血鬼であるロベルトの正体を知っていながらメイドとして働く姉はおそらく自分に対して理解があること。そして、吸血鬼という事実をあっけらかんと目の前で聞かせられた住人達が顔色一つ変えていないこと。
それは自分にとってアウェーではないことの他ならない証明であった。
だから、いのりは勇気を振り絞って口を開く。
「そろそろ、きちんとお話ししておかないといけませんよね。いのりがあの事件で吸血鬼になったことや……いのりを同族にしたスカーレットと名乗る吸血鬼のことを」
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