第四話「吸血鬼、作戦を開始する!」

 吸血鬼捕獲作戦はその方法こそ成功を感じさせる手応えはあったが、結局は犯人の吸血欲求が発現した時とこちらの行動が合致しない根気のいる作業となった。


 作戦内容はちひろにロベルトが吸血を行う日、その行為を終えた段階から開始。中学生である一樹は留守番ということで体に傷を作ったちひろを中心としたロベルト、マサキ、徹生の四人で街を歩いて回る。


 そもそも数多いる人間の中から犯人に吸血対象としてちひろが選ばれるためには傷口で少しでも生き血の匂いを漂わせなければならないのだ。


 この点、吸血鬼は血の匂いに対しては敏感であるため微細に漂わせる程度であっても効果はあるし、その精度は血に飢えていれば比例して研ぎ澄まされるので吸血痕程度の傷でも問題はなかった。


 ただし、毎日ちひろに傷をつけるわけにはいかない。


 ロベルトがちひろへ吸血を行うのは曜日を明確に決めたりしているわけではないが、だいたい一週間に一度である。


 この時には仕方なくといった感じで外傷が生まれるわけだが、それ以外でわざわざ傷を作ることはできなかった。


 そのため犯人に対して囮を用意するこの作戦は一週間に一度しか行えず、その日が犯人の吸血欲求と合致しなければ意味を成さないというかなり非効率なものになってしまっていた。


 そして、ちひろは高校生であるため時間も限定される。


 この街ではちひろのような高校生が外を出歩いて警察の補導対象とならないのは二十二時まで。それ以降、保護者が同伴であれば問題はないのだろうが、彼女の保護者として名乗り出るには三人は少し説得力がなかった。


 なので深夜の活動ができず、吸血の曜日をこの捜査のためになるべく週末にし、学校へ影響がないようにしていることも恩恵は少なくなっていた。


 そのような事情を踏まえつつ犯人をおびき出す作戦は今日で三回目。

 吸血を終えて屋敷から四人が街へ出たのは夜七時。


 外は確かに暗くなってはいるが、犯人が後ろめたいことを企てたとしてこれほど早い時間に事へ及ぶ可能性は低いとも言える。


 この辺りの作戦の不備に少し改変の余地があると口にしていたマサキから、改めて指摘を受けるロベルト。


 スマートフォンの通話アプリでマサキ、徹生は同時に通話しながら三角形で囲むようにちひろと距離を開けながら、観測しつつ連絡を取るのがこの作戦の様式であるため、現状もそれに倣っている。


 ちなみにこの作戦のためにロベルトはスマートフォンを新規契約、徹生はガラケーを卒業することとなった。


『それにしてもこの作戦、そもそも適任がちひろちゃんではない気がするッスね。本人の意向を尊重はしたッスけど……自分を吸血してもらって歩き回れば時間の制限みたいなものからは解放されるわけッスから』

『お前、そんなこと平然と言ってるけどよぉ……この間、ロベルトに吸血体験してみますかって言われた時、青ざめてたじゃねーかよ。作家様なら好奇心旺盛に飛びつくのかと思ってたんだけどなぁ』

『あぁ、マサキ先生は先端恐怖症で、流石に吸血鬼の発達した牙はその対象に入るようだね』

『どっちにしろ、可愛いもんだよなぁ』

『飯炊き当番くん、明日は三食飯抜きッス』

『作るのは俺だよ!』


 夜の街、いつも利用している商店街から飲み屋街の方へと歩み至る。


 賑やかなネオンの証明が彩る夜の世界にはそれに準ずる住人がおり、酒に彩られたサラリーマンがそれぞれに高揚した気分をドッジボールのようにしてぶつけあう。


 噛み合わない会話で盛り上がっているあたり、この時間からかなり酔っていることが伺え、犯人よりも酔っ払いにちひろが絡まれないかがロベルトは心配だった。


 とはいえ、この場所は人気の少ない路地裏を沢山擁する場所でもあるため捜査という名目上は避けられない場所だった。犯人はもちろん、人の目がないところで一人の人間を襲いたいに決まっているのだ。


 用心深く三人がちひろの姿を見失わないようにしつつ、密に連絡を取り合う。


『それにしてもロベルトよぉ。ちひろとは別に作家先生様を吸血して一週間に二回作戦を実行……ってわけにはいかないのか? 俺が吸血されんのは犯人が弱そうなやつを選り好みするとして、選定外になっちゃ困るから無理として』

『えー? メンタル的には最弱なんスから逆に適任かもッスよ?』

『あー、お前明日三食飯抜きな』

『作るのは自分ッスよ』

『んなわけねぇだろ! もう少し上手にテンドンしろよ!』

『とはいえ、さっきの質問……吸血鬼独自の感覚ではありますけど、難しいですね。例えば人間って空腹具合に関わらず、味を楽しむために食事したりするじゃないですか? 吸血にはそういう感覚が伴わないっていうか』

『欲しい時にしか入らないって感じッスか?』

『まぁ、そういう感じですね。飽食感に近いものを感じてるんで……頻繁に吸血というのは僕側が厳しいですね。とはいえ、マサキ先生にわざわざ傷を作って歩かせるのも駄目ですし、そもそも護衛が減ります』


 ちひろが外を歩けない時間帯に動けるからマサキに白羽の矢が立ってはいるが、そうすると護衛に回す人間にもちろんちひろを置くことができない。いくら大人の女性であるとはいえマサキにその環境で囮役は任せられなかった。


 そして、非合理的な方法で作戦を実行しているのはロベルトも分かってはいるが……ただ、自分を信じたいと言ってくれたちひろに役割を全うさせたい気持ちも彼にはあった。


『それにしても案外釣れないもんスねー。そもそも吸血鬼ってどれくらいで吸血欲求の限界ってくるもんなんスか?』

『それは個人差としか言いようがないですね……比べたことがないので僕が平均的なのかどうかも分かりませんし。でも今まであまり犯人から動きがなかった分、今回の吸血鬼はかなり精神力が強いのか我慢できる期間は長そうです』


 そうロベルトは語りながら、自分の吸血欲求の抑圧可能時間を何となく考えていた。


 彼が吸血欲求の限界を感じたのは最近では来日して三日目のこと。


 逆算すれば自殺の名所とされる森で暮らしていた時から考えて二週間ほど血を吸っていなかった。


 飛行機に乗り、日本を目指した時点で血を欲しがる兆候はあったのに自覚がなかったのは気分が昂っていたからで。


 その後急激に欲求に苛まれたのは来日したのに上手く行かない落胆で麻酔のような高揚がなくなったからだろう。


 そのようにロベルトは想起し、自分の計画性のなさを恥じた。


 ……そもそも永遠を生きる吸血鬼に計画性というのは伴いにくいのであるが。


『にしても、随分と非合理的だよな? 我慢するだけして、結局は人を襲うって……なんか訳わかんなくねーか? 本当にそれしか方法がないのかって感じもする』

『飯炊き当番くんって自分のこと以外は割と鋭いッスよね……確かにそうなんッスよね。仮に自分が吸血鬼だったと考えて、襲って吸血を続けるっていうのは無理を感じると思うんスけどね。ロベルトくん、人間と暮らせなかった期間ってどうしてたんスか?』

『あぁ、自殺の名所に住んで命を捨てに来た人間を襲ってましたね』


 あっけらかんと語ったロベルトの言葉。しかし、流石に生々しい語感を伴っていたのか二人は言葉を失ってしまう。


 ちなみにロベルトが来日する際に血を吸えないままとなったのは、例の肝試しで「幽霊が本当に出る」という噂が蔓延して自殺志願者が減ったからだった。


 何故、これから幽霊になろうという人間が恐れているのか。


 ロベルトは人間的な恐怖心が不死身であるゆえに欠如しているため、理解に苦しむのである。


『……で、話はさっきの犯行手口ッスけど。もっと言えばちひろちゃんの事件と犯人が同じって可能性はどんなもんだと思うッスか?』

『ちひろの事件っていうと確か……遺体がなかったんだろ? で、大量の血が散乱していて車による轢き逃げの痕跡もなし。犯人からアプローチがないから消息不明ではありながら誘拐の線はなく、出血量から被害者は恐らく死亡……』

『これが吸血鬼の犯行だとすれば遺体を隠す理由は吸血痕の残った体を人間に見せないため……というのもありますね』

『ただ、だとするとその次の事件で襲われた被害者と目撃者が何もされずに済んだこと、そして一目散に逃走した犯人っていう部分……行動原理が矛盾しているようでもあるッスねー』

『そう考えると同じやつが犯人って感じもしねーなぁ。……ただ、そうだとすると別々に犯罪を行ったやつが捕まらず街にいるかもしれないって、かなり物騒だよな?』

『まぁ、そういうこともあって一応は不急の外出は避けるように言われてるんスよ? とはいえ世間の皆さまは自分がまさか被害に遭うと思ってないんで……』


 ロベルトはそんなマサキの言葉を聞いて周囲の光景を見渡してみる。


 飲み屋街の大通りを抜け、路地裏に入ってはスマートフォンを触って無防備な姿を見せたりしつつ、犯人からのアプローチがないと分かると場所を変える行動の繰り返し。


 しかし、そんな場所のどこにも案外と人の目はあったりするのである。


 それだけ人が外にいるのは事件が皆にとって他人事である証であるような……しかし、そうやって人目があることで逆に対策となっているような。


『……まぁ、できれば今回の犯人を捕まえることでちひろの事件も解決ってことになりゃいいのにな。それであいつが救われることにはならないかも知れねーけど、きちんとケリつかないと乗り越えられないもんな』

『お、飯炊き当番くんってばメイドちゃんにお熱ッスねー。そりゃあ、メイドちゃんは可愛いし、飯炊き当番くんからすればあまりなかった女性との交流ッスもんねー』

『うるせぇなぁ! 女性の交流ってんだったらお前も女だろーが』

『…………そ、そんな突然自分を女扱いされても』

『マサキ先生もそんな風に恥ずかしそうにするんですね』

『とはいえ、世間的にだって未解決の事件がほったらかしってのはよくねーしな』

『あ、そうそうロベルトくん。知ってたッスか? メイドちゃんの事件よりももう少し前みたいなんスけど、この街でもう一件殺人事件があったらしいんスよ』

『え、初めて聞きまし――徹生! マサキ先生!』


 ロベルトがマサキの言葉に対して興味を示しかけたその瞬間であった。


 今日、いくつめかの路地裏に入り込んだちひろを飲み屋街の喧騒に紛れながら目視していたロベルトは、雑踏の中に不自然な連なる足音があるように感じて身の毛がよだつような思いとなった。


 他愛もない話で盛り上がっていたマサキと徹生も耳を澄ます。


 すると、二人にも「たっ、たっ、たっ」という走り連ねる足音が聞こえたのである。


 神経を研ぎ澄ませ、ロベルトはその連なる足音のベクトルを聞き取り――それは明らかにちひろの方へと吸い寄せられていることを感じた。


 ロベルトの瞳が一瞬の隙も作らまいと根限りに開き、瞬きも忘れて路地裏で作為的な無防備を携え立ち尽くすちひろを映す。


 三人の中に緊迫した空気が流れ、カウントダウンのように刻まれる足音の持ち主は人混みの中を縫うようにして刹那――現れた。


 フードを深く被った、意外にも小柄な人物。


 それが、走り抜けて――、

 走り抜けて――、


 路地裏へと曲がったのである。


『徹生、マサキ先生、恐らくちひろは犯人に吸血されると思われます。吸血鬼は死ぬような量を抜きませんし、極限状態であれば周囲なんて見えません。一気に捕獲しましょう!』

『了解ッス!』

『任せろ!』


 そのような言葉と共に犯人からワンテンポ遅れて三方向からロベルト、徹生、マサキがちひろの元へと駆け寄って行く。


 先ほどのロベルトの言葉通り相手が吸血鬼であり、目的が血を吸うことであれば事態の終息は意外と穏便に済むのである。


 何しろ、犯人は目的を終えるまで――ちひろには何もできない。


 それでも高鳴る鼓動、不安感を抱えながら走り連ねて路地裏へ通ずる建物の間。そこから連なる暗がりの道は突き当りであり、犯人はちひろと三人に挟まれて逃げ場を失った形となる。


 ロベルト達護衛組が到着した時、そこにあった光景は犯人とちひろの対峙。


 犯人との邂逅、事件の解決――と思われた。


 しかし、そんな犯人を見つめてちひろは信じられないと言わんばかりに表情を強ばらせ、恐る恐る呟くのである。


「……え? ……いのり、なの?」

「お姉……ちゃん?」


 決して、偶然の再会ではなかった。


 生き血の匂いに釣られた犯人と思われる彼女の口元には吸血鬼としての牙。そして、フードを深く被って佇んではいるものの、対峙したちひろには面持ちが月明かりに照らされてはっきりと目視できた。


 だから、必然の再会であった。


 吸血欲求に狂った犯人を誘いだす作戦は成功。


 そして、四人が邂逅した吸血鬼の正体は囮となったちひろがよく知る人物――舞鶴いのりだった。

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