第三話「吸血鬼、またもや出番なし!」
事件の犯人をロベルトの屋敷に住む面々が捕獲することで話がまとまった日の夕食後。
徹生は皆が食事を終えた食器を片付け、洗い場の食器洗浄機にかける。
数人だけが暮らしているにしてはしっかりとした設備の整った屋敷であるため、徹生はその理由が少し気になっていた。
業務用サイズの食器洗浄機は屋敷を購入した時点から設置されており、おそらくは以前住んでいた人間が設置したと思われる。
まぁ、そのようなことは聞かれないと説明することもないため、ロベルトが徹生に話していないのは当然だった。
--と、そんな思考をしている時、ちひろが手伝うことはないかと気を回して調理場を訪れる。
もう完全に夜の帳は落とされ、窓から望む景色は暗闇と住宅街の僅かな明かりのみ。そんな時間帯になればメイドの仕事は終わってしまい、お手透きとなったちひろは余った時間で出来ることを探しているようだった。
「俺の仕事まで奪ってロベルトにアピールでもすんのか? 生憎だが、料理が壊滅的なメイドにできることはここにねーんだぁ。これが」
……一応、これでも徹生は「自分一人で片付くから手伝いはいらない」と言っているつもりなのである。
言っている内容は明らかにちひろを小馬鹿にしているが、その口調は冗談めいていたからか、彼女は怒りではなくムッとした不愉快そうな表情を浮かべるに留まる。
「今更アピールしてどうすんのよ。そんなことしなくても徹生さん、あなただって月末になれば知ることになるわ。……ロロが申し訳なるくらいの札束を入れた封筒渡してくるんだから」
「俺は金貰いすぎて憂鬱になってるやつを初めて見たが……まぁ、その時俺はどうすんだろうなぁ。遠慮すんのか、懐に収めるのか」
「え? あなたは普通に遠慮して慌てふためくんじゃないの?」
「俺ってそんなイメージか? ちょっと驚きだな」
仕事を終えた洗浄機から食器類を取り出しながら、徹生は心底意外といった口調で言った。
ちひろは手短な要件を済ませて出ていくようなつもりはないという意思表示なのか、調理場のドアを閉めてその扉の縁に背中を預ける。
「寧ろ、自分のことをどう評価してたのよ? 孤独な一匹狼気取って、他人に対しても肝が座った行動が取れるとでも? ……徹生さんは確かに性格悪くて、見た目も明らかなファッションヤンキーだけど、でも中身はそこまで腐ってないって思ってるんだからね?」
「……お前、最後の一言で俺への悪口を完全に中和しきったと思ってねーか?」
「思ってないわよ。褒めちぎりすぎてるわ、正直」
「どう考えてもマイナスだろっ! 俺は素直に傷付いてるわ!」
叫びにも似た彼の返しをちひろはくすくすと笑って聞き入れ、そんな彼女の表情に少しだけ不機嫌そうな表情を緩める徹生。
そして、何故か彼は照れくさいような気持ちになってちひろから視線を逸らし、言葉も紡ぐことを止めて乾いた布巾で食器類の水分をふき取り始める。
しかし、そんな挙動が逆にちひろの興味を刺激してしまう。
「あれれー? 徹生さん、どうしたの。急に元気がなくなったじゃない?」
「……元気がなくなったわけじゃねーよ」
「そうかなー?」
「ただ、何かお前ってすげーんだなぁって思ってさ。そんな風にできるのが何でなのか、俺にはよく分かんねーからなんつーか……あー、混乱してんだよっ!」
徹生は語り始めをぶつぶつと呟くように。しかし、言葉尻に向かうにあたって自分の中で言いたいことがまとまっていないことに苛立ったのか語気は強くなり、彼は怒ってもいないのに吐き捨てるようなイントネーションで言い切ってしまった。
「私がすごいって……そんな風に思わせる何かがあったかしら?」
「俺にはあんだよ。何ていうか、俺があの時……家族なんてくだらないって言ったこと。それは俺にとって本心だけどよ。実際、口に出して言うべきことじゃなかった。ただ、言葉ってのは口に出せばもう取返しがつかねーだろ? そんなのを踏まえて、お前は俺と話して笑えるんだなって」
徹生の遠慮がちで、慎重な言葉にちひろは刹那、目を丸くしてどこか関心したような感情を得た。そして、その感情を携えたちひろは意地悪そうに笑んで「まぁ、確かにそうねぇ」と言って続ける。
「私としてはあんたが言ったことに苛立った事実は変わらずあるもの。さてさて、あの怒りに対して一体、どんな保証みたいなものをしてもらおうかしら……?」
「おいおい、流石に取り消せはしないもののきちんと謝罪はした。それでチャラとは言わないけどさ……そんな延々と突っつくことかよ?」
「いや? 私としては今は何とも思ってないってくらい心は穏やかよ?」
あっけらかんと言ったちひろの言葉に徹生はコントのようにずっこけそうになる。
「だ、だったら意地悪そうに俺を見てんじゃねぇよ……と、言いたいところではある。でも、そこが疑問でもあるんだよな。俺は言ったとおり人付き合いに慣れてない。避けて生きてきた。だからあんまピンとこねーんだけどさ……お前の中でじゃあ今、俺って人間はどんなバランスで認識されてんだよ?」
徹生の言葉にちひろは探偵のような思案するポーズを取って自分の胸中を言葉としてエクスポートしてみる。
「そうね。徹生さんの言ったことは確かに私にとって腹立たしいこと。でもね、それで何もかもが駄目になるほど穿った見た方を私は他人にしないし、人間が十割完璧だとも――良い部分が五割を超えてないと駄目とも思ってないもの」
「なるほど。……でも、そういう感覚って面倒じゃないか? 確かに誰かのことを十割好意的に捉えることは難しいと思うけどさ。そいつと向き合う度に何割かの悪い部分がちらついてイライラすることがあるとしたら……正直、いっそ嫌いだって断言した方が楽だと思うんだけどな……」
「徹生さん、それはもしかして……人間ってもの自体に言ってるの?」
心底不思議と言わんばかりに徹生は表情を顰めて短く「はぁ?」と問い返し、やはりちひろはくすくすと彼のことを笑うのである。
「諦めてないんでしょ? 誰かと関わること。手遅れだって思って、不得手だって自覚して、苦手だと痛感しても……心のどこかでは望んでるんでしょ? 自分が変わること」
「……お前、あのマサキとかいう作家みたいなこと言うんだな? 二人に言われるってことはよっぽど俺ってそんな風に見えてんのか?」
「マサキさんが言うなら間違いないわね。徹生さんはきっと変わるわ。この場所にいて、少しでもそういうものが感じられたらいいわね? 私はそういう希望を徹生さんが持っていないとしたら……もっと端的にあなたのことを嫌いって言ってるわよ。私、そんなに甘くないから」
ちひろは小悪魔っぽい笑みと、それに準ずるイントネーションで徹生をからかい、彼は不愉快そうな表情を相変わらず浮かべながらも「そうかよ」と言って嘆息する。
相澤徹生は今日まで誰かとの関わりを拒否してきた。
そうして一人で生きる道が正しいのだと信じ、誰にも左右されない自営業という選択肢を選んで失敗した。
それは運が悪かったともいえるほど明確な理由が存在しない失敗だったが、根底で徹生はその現実に絡みついているのはやはり自分の悪癖ではないのかと思っていた。
なら、そんな人と人の繋がりが生きる上で必須科目なこの世界は自分には合わない。誰かと繋がることを強制される世界に絶望してしまうのが自然……そのように思うも、現状として徹生は諦めていないのである。
自覚的に、意識的に誰かとの関わりを拒みながらも。
無自覚に、無意識にこの世界の枠組みから弾かれないようにあがいている。
そんな姿は否が応でも誰かに伝わり、それがゆえに傷つけてしまう愚かさを人は許してしまう。悪意なき悪癖ならば、心に寄り添える人間はきっと許せるのである。
そのようなちひろの優しさを徹生は正しく把握することはできない。
が――しかし、マサキに提示された希望のようなものによって少しずつ自分の無意識下にある弱い部分へ手を伸ばしつつある徹生にとって、そのように自分を捉えているちひろの感情がこそばゆいくらいには、彼の心は感度を取り戻しているのである。
ゆっくり、ゆっくりではあるけれど。
だからかも知れなかった――徹生は問いかける。
「お前はその……ロベルトのことを信じているんだよな? あいつがお前を守ってくれるってこと。もっといえば、俺だって疑っちゃいねーが……あの事件にロベルトが無関係なことも」
「まるでそうであって欲しいと言いたそうな聞き方ね?」
「そうあって欲しいと思ってるよ。……悪いか?」
ちひろの挑発的な問いかけに少し腹を立てたのか乱暴なもの言いで返す徹生。そんな彼の心の機微に発見を見たのか、ちひろは少しだけ表情に驚きを露わにし、やはり意地悪に笑むのである。
「信じてるわよ。私にはそれしかないとも言えるからね。事件のことは話したでしょ? ……私にはロベルトと、この屋敷しか頼れるものはないの。もしも、ロベルトが信用できない吸血鬼だったりしたら、そもそも私は終わってるわ」
「だからって、信じるしかないっていう風には考えてないんだろうな、お前は。だとしたら俺はその信頼がきちんと成就する所が見てみたいよ。……なんつーか、俺は人間不信みてーなものをわざわざ自分でどうにかしようとは思えない。でも、吸血鬼みたいな存在ですら人間と繋がれるって所を見せられた時、俺自身がどうなるかは気になってんだよ」
ちひろは先ほどから一つ一つ、自分の中で抱いていた徹生のイメージが壊されて……そして作り変わっていくのを感じていた。
それはロベルトが語った、彼にとってこの屋敷は必要なものであるという部分の答え――その過程であるのかも知れなかった。
だからちひろは感心した表情で今度は、優しく笑みを浮かべるのだった。
「……へぇ、悪くないわね。それ。もしそれで徹生さんの中で何かが変わったら……弟さんにもきちんと会いにいかないといけないわね。料理、弟さんがきっかけで始めたんでしょ? なら食べさせてあげないと」
「ははっ。会えたら苦労はしてねーよ」
「どーせ、探してすらいないんでしょ? 両親みたいに弟さんが自分を家族とも思っていない可能性が怖いんじゃないの? 強がらなくていいと思うわよ?」
「は、はぁ……? つ、つ、強がってねーし!」
徹生は図星とばかりに平静を乱す。
あっさりと自分の弱さのようなものを見抜かれたからか、徹生はちひろから顔を背けて食器の水分をふき取る作業を黙々と行っていく。
そんな光景にちひろは彼との会話に一旦の一区切りでも感じたのか「そっか」と短く返事をし、調理場から出るべく扉のノブに手をかける。
--そんな時、だった。
徹生はぽつりとちひろに問いかける。
「お前も強がってるんじゃないのか?」
そんな言葉にハッとさせられてちひろは握りしめたノブを捻ることも忘れ、立ちつくしてしまう。
自分の過去を知り、近い場所で寄り添うことができるのはロベルトだけではない。徹生だって近い感覚を有していて……だからこそ、彼の言葉は響く。
ちひろは今日まで両親が無事である可能性を信じてはいたし、時折はもと住んでいた自宅に戻って二人が帰宅していないかを確認したりもした。
その結果は何一つ進展がない、の一択ではあった。そんな事件による傷を受けた心は屋敷に住んで、生活することで満たされ、隠れてきただけで……消えてはいないのかも知れない。
そう思うなら、自分は強がっているのか?
何かに耐えているのか?
徹生と同じく自分にも無自覚下で処理している事柄があるのではないか。ひたすらに隠して、気付かないように自分の中で繕っているものがあるのではないか……そのように考えさせる機会をあっさりと徹生に与えられてしまったのだ。
ちひろは強い。
ロベルトの言葉は正しいが、彼女はまだ未成年であり、学生であり、言ってみれば子供。そんな存在が宿す心に、事件が与えた重荷を許容するほどの器の大きさがあるはずはない。
確かに少しはロベルトが背負っているのかも知れない。
なら、そこまでの重荷ではないのかも知れない。
しかし、それでも――と、徹生は直感したのだ。自分がそうだったからということかも知れないし、歳の差ということもあって見えている景色がちひろと違うことも関係していると言えた。
でも、徹生の問いかけにちひろは振り返って、偽りのない笑みを浮かべる。
「ならお互い、いつかは素直になれる日がくるといいわね!」
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