第二話「吸血鬼、攻勢に出る」

「僕が話した自分の過去。吸血鬼にとって暗黒の時代の話っていうのは……ちょっと伝わりづらいかも知れませんが、信頼の証なんです。屋敷に来てまだ数日でそんなことを言われても困るかもしれませんが……吸血鬼の弱みを語る過去を話すというのは、僕の中ではそういう意味を持ってます。ちひろ達にも同じように話しておくべきですね」


 ロベルトは自分の過去を語り終え、最後をそのような言葉で締めくくった。


 吸血鬼は特定の条件下では死ぬということ。その情報を握ったからこそ過去に人間は吸血鬼を滅ぼそうとした。圧倒的な集団性でもって立ち向かえば排除できる存在だと認識された。


 そんな情報を握らせることがロベルトにとっては怖いことで……だからこそ人間を信頼しているという意思表示だということを分からないマサキではなかった。


 ロベルトは今、みんなに対する信頼を証明したいと考えている。自分が関わった者達は、あの時代の人間達とは違うはずだと。同じようには考えていないと知ってほしくて。


 ちなみにこの話――リビングの扉の向こう、着替えを終えたちひろと一樹が盗み聞きのようにして一部始終を知ることとなった。


 いずれ話すとロベルトも言ってはいたが、ちひろと一樹はその過去に驚きながらも聞いてしまったことに罪悪感を感じていた。


 さて、マサキはロベルトの隣でその話を聞かされてようやく、彼が吸血鬼の悪行露見のニュースで様子をおかしくした理由を完全に納得した。当然だ、といえるほどの理由がそこにはあった。


 希望を抱いてやってきた日本が、またあの時のような闇の時代に変わることを恐れるのであれば……マサキは事件発覚の時からロベルトに言おうとしていたことを、やはり提示するしかないのだと考えた。


「まずはその……人間代表として申し訳ないッス」

「いや、マサキ先生が謝ることじゃないですよ。それに僕は実際に何かされたわけではないんですから」

「ならいいんッスけど……あと、それほどの苦しみを与えられた過去を自分に預けてくれたこと、光栄に思うッスよ」

「そういう風に受け止めてもらえて、僕も嬉しいですよ」


 語ること自体が決断であり、賭けでもあるような心境のロベルトはひとまず安心という感じで嘆息をする。


 彼の中では必ず勝てる賭けではあった。


 吸血鬼の弱点を告白した途端、マサキが豹変して彼を縛り上げ死の瞬間まで血を与えないようなことをするはずがない……そのような確信はあった。


 それでも話す瞬間には緊張した。

 そのことがロベルトには少し、恥ずかしかった。


 一方、マサキの中でロベルトに提示しようと考えていた一つの「案」、そこへ話を持っていくべく彼女は「話がずれるかもですけど」と言って始める。


「自分はね、面白可笑しく生きて死にたい……そんな風に思ってる人間なんスよ。快楽主義っていうか。誰にもできない経験をすれば優越感を得たり、一生に一度の体験をきちんと拾えれば生きててよかったーって思うような……そういう部分に重きを置いた、随分と不真面目な人間なんスよね?」

「なんかそれは分かります。そういう感じしますし……それが作家さんらしいなとも感じてるのは一樹なんかも一緒じゃないですかね?」


 マサキは照れたように後ろ頭を掻きながら、ロベルトの言葉に自虐的な笑いで返す。


「それは結構、言われるッスねー。で、だからこそ自分は快楽主義のイメージが先行して他人にはよく勘違いされるんスよ。誰かのために自分の時間を使ったりはしない自己中心的な人だってね? まぁー、あんまり間違ってないんスけど。……でも、そのイメージを誰にでも抱かれて構わないほど、自分は無神経でもないんスよ」


 真剣な表情を帯びるマサキに対して、ロベルトはイメージ外のものを感じていた。


 飄々としていて、掴み所のないイメージ。冗談めいた言葉を連ね、好奇心で常に緩んだ笑顔を浮かべているような人と思っていた彼女が――今は別人にすら見えたのだ。


 自分が行ったように彼女もまた、見せてこなかった一面を露わにしてくるのかも知れない、とロベルトは何となく感じていた。


「……そのイメージを抱かれたくはないと感じるのはもしかして、僕ら屋敷の家族だったりしますか?」

「イエス! その通りっスよ。……そして、もう一つ自分はよく勘違いされるッス。自分は作家ッスからね……不幸も書けば、人の争い、凄惨な死も描く。そこにこの好奇心なんで、他人の不幸にもほくそ笑む無慈悲な快楽主義者って……考える人もいるんスよ」

「まぁ、確かにマサキ先生、人間じゃないんじゃないかって噂はファンの間でありましたね。それは執筆速度や、吸血鬼の心理描写が鬼気迫るものであったからですけど」


 ロベルトの言葉にマサキは「あはは、そう言われてるみたいッスね」と、瞬間的にはいつもの彼女らしい表情を崩して困ったように笑うも――その面持ちは先ほどまでの真剣なものへとまた作り変わっていく。


 いや、マサキらしいとは何なのか。


 一人の読者であり、ファンでしかなかったロベルトは自分の勝手な思い込みでマサキ像を作り上げていたことを恥ながら、払拭した。


「でもね……自分は誰かの不幸が面白いって感じるほど、腐ってもないんス。根は恥ずかしくなるくらいに正義とかハッピーエンドを信じてるような人間で……つまり、何が言いたいかっていうと」


 そこで言葉を区切ってマサキはソファーから立ち上がって「うーん」と伸びをする。そして、小説の決め台詞であるかのようにロベルトと視線を結んで彼女は口を開く。


「――ロベルトくん。吸血鬼の悪名を振りまく犯人、それは自分らの手で捕まえるべきッス。警察の手に渡って、吸血鬼の名が結局広まるくらいなら同族であるロベルトくん主導で動く自分らのほうが上手く立ち回れるのは間違いないッスからね」


 そう言ってニヒルに笑うマサキに、ロベルトは彼女の新しい一面を確かに見ていた。


 好奇心に任せて行動する部分がロベルトとの相似だとちひろや一樹は語るかも知れない。でも、そんな部分以上に以外と心の中に熱いものを秘めいていて……正義や平和のような真っ直ぐなものに理想を抱いている。


 そんな部分も彼に重なっていながら――しかし、似て非なると言える彼女の個性。


 それがロベルトにはおかしくて、嬉しくて……そして、頼もしかった。


「……吸血鬼を掴まえるなんて危険ですよ? 方法や作戦は考えれば出てくるのかもしれません。でも、相手はどんな動機で動いているからも分からないようなやつです」

「大丈夫ッスよ。こっちにも吸血鬼がいるんスから……過去を繰り返さないためにも動くべき。なら、やれるのはきっと自分らしかいない。自分はそういう経験に優越感を感じるんスよ? 他の誰にもできないことを――自分にさせて欲しいッス」


 マサキの優しい言葉にロベルトは胸が一杯になり、体中に熱が溢れていくような感覚となる。


 --自分は弱い。


 でも、いざとなればちひろが前に出て自分の不足を埋めるといった。そして、マサキでさえも自分のためにも動くべきだと語り……自分の信じつづけた人間への心は今、報われたような気持ちとなって昇華していく。


 気付けばロベルトの頬には涙が伝い、そんな様相は人間となんら変わりはなかった。


 そんな光景を見つめてマサキは満足げに笑んで思う。


(さてさて……メイドちゃんと執事ちゃんの盗み聞きもここまで。事情の説明が省けて丁度いいッス。あとは飯炊き当番くんに同じことを伝えるだけ……)


 そのように考えながら、お見通しだという口調で二人の盗み聞きを指摘しようとしたマサキ。そうすれば驚いたように二人が入ってくる……実は彼女、こういったシチュエーションにも憧れていたのである。


 で、あるがマサキが口を開く前に突如――リビングの扉は叩き付けるように開かれる。


 そしてちひろと一樹がリビング内へと歩み、ロベルトへと告げる。


「話は聞かせてもらったわ。吸血鬼を捕まえるんでしょ? やりましょうよ! もしかしたら私の事件にだって関係あるかも知れない……いや、それより、我が家の主人が困ってるんだもの! やるしかないわ!」

「そうですよ! ロロさん、そんな吸血鬼に好き勝手やらせておくわけにはいかないです! ……それにしてももっと早く気付くべきだったなぁ。犯人を捕まえる仕事を警察から奪う。小説の正解みたいで何だかワクワクすらしてきますよ!」


 口々に語り、しかし両者に共通しているのはロベルトを想っての熱烈な語り口調。


 それはロベルトの落涙をさらに加速しまう要因になるのは明らかで。ボロボロと大粒の涙を流しながらロベルトは今、家族という繋がりの温かさに触れ、幸福感で満たされていた。


 そのような光景にあってマサキは思う。


(こういう肝心なところでキメられないあたり、小説のようにはいかないんスねぇ……)


        ○


「は、はぁ? あの吸血鬼を捕まえるだとぉ? 俺らの手で?」


 徹生の裏声混じりな驚きの声が屋敷に響く。


 夕食の仕込みを終えて一旦、リビングに戻ってきた徹生。


 まず目を腫らして涙を流すロベルト、そして彼にティッシュを差し出すちひろ、そして彼の頭を今までとは逆に優しく撫でる一樹の光景に驚愕した。


 そしてマサキに徹生が現状のいきさつを問いかけると、彼女は「自分らで泣かしたんスよ」と言うものだから、彼の中で余計に事態は混沌としたものとして捉えられる。


 ……そして、そこからロベルトが泣き止むまで徹生への説明は保留。


 ロベルトがきちんと喋れるほどに心の整理がついた所で全員はソファーに着席し、提案者であるマサキから吸血鬼捕獲の説明が行われ―今に至る。


「……確かに吸血鬼を捕まえるのは警察より、同族であるロベルトを擁する俺達の方が適任。それは間違いないのかも知れねぇけどなぁ」

「適任というかやるしかないんスよ。ロベルトくんの過去は説明した通りッス。現代でそこまで極端なことが起こるかは分からないッスけど……でも、吸血鬼の存在が明るみになった時に起こる事象のほとんどはこの屋敷にとっても不都合だと思うッス」


 徹生にはロベルトの過去――人間と相容れなかった時代の話も聞かせていた。そのために、警察の手に犯人が渡ってしまうことによる不都合も徹生は理解しているのだった。


「といっても吸血鬼ってどう捕獲すればいいんですかね? 見た目はボクら人間と変わらないわけですし……口を開けて牙を見せてもらうわけにはいかないですよね」

「まぁロベルトを吸血鬼だと最初は思わなかった私達だからこそ、その区別のつかなさみたいなものはよく知ってるものね……」

「吸血鬼の特徴を逆手に取るっていうのはとりあえず、作戦の根幹になりそうだね。で、犯人の目的っていうのも加味して考えるべきか……」


 ロベルトは思案顔を浮かべながら、自分の中にある吸血鬼としての心理へ訴えかけるようにして犯人の動機等を考えていく。


 すると、そんなロベルトの思案が待ちきれないのか、徹生が口を開く。


「犯人の目的ってそもそも何だったんだろうな。やっぱあれか、吸血痕ってのがあったところから考えて血を吸いたかったって感じか? でもそれで人を襲ったりするのか?」


 徹生は屋敷に来て日が浅く、吸血鬼に関する知識が最も少ない人物である。しかし、そんな彼の言葉にピンときたのかハッとちひろは目を見開いて閃きを露にする。


「……寧ろそれが理由の全てなんじゃないの? ロロ」


 ちひろの言葉に同じ思い至りをしていたロベルトは「そうだね」と軽く首肯して続ける。


 おそらく間違いないと言えそうな犯人の動機にロベルトは行き着きながら、来日したばかりの自分を彼は思い出していた。


「僕もこの暮らしをし始めて忘れそうになるけど……吸血鬼の誰もが安定して人間の血を得ているわけじゃない。人間と共存関係を結べなければ襲ってでも手に入れるということになる……いや、そういった吸血鬼の方が圧倒的に多いと言えるね」

「つまり吸血目的での犯行だった……。としても、ロロさん。随分と大胆というか、なりふり構わないんですね。目撃されるような場所で吸血行為に及ぶって、随分とリスキーじゃないですか?」


 一樹の言葉にロベルトは改めて人間と吸血鬼の価値観の差を知ったような気持ちになった。


 とはいえ、それに関しては人間にも簡単に理解出来る部分ではある。


「吸血欲求をひたすら我慢した結果だと思うね。吸血鬼はある程度なら血を吸わなくても問題ないけど、あんまり欲求を押さえつけて生活すれば次第にそれは蓄積していく。で、我慢の限界となれば……」

「なりふり構わずに吸血を行ってしまうほどになってしまうッスか……。となると厄介ッスね。おそらくは事件を頻発させないために吸血欲求を我慢している。けれど今回のようにそれが爆発することがある。……だとすると欲求が発現するまでは行動を起こさないし、いざそうなった時には予測できない場面で吸血行為が行われる」

「確かに……それじゃあ捕まえようがないじゃない」

「ボクらにできることって実はないんですかね……?」


 動機は何となく浮かび上がったが、犯人の欲望が限界を迎えた時に無差別に発生する。


 そのように言われては打つ手がない……そんな壁に直面して落胆する面々ではあったが、徹生だけが「え、そうか?」といって楽観的な態度でその空気を裂いて語る。


「寧ろ、簡単に捕まえられるじゃねーかと俺は思ったが……」


 徹生の言葉を溜め息と共に受け入れるマサキ。


「飯炊き当番くん、一応聞いてあげるッスけど……そんな簡単なら誰も悩んでないッスよ」

「いや、簡単だろ。腹空かしてんなら飯の匂いで釣ればいいってことじゃねーのか? 少しでも血の匂いがすればそんなに餓えたやつなら飛びついてくるんじゃねーかと俺は思うけど……」


 徹生の言葉に一同は「あっ」と声を漏らして、そんな簡単なことにも気付かなかった自身を各々は恥じた。特にダメージが大食いマサキは何とか彼にいちゃもんをつけられないかと考えたが、それよりも彼の提案を思いつかなかった自分を恥じることが先行した。


 確かに有効な手段だとロベルトは思った。

 でも--。


「徹生、それは確かに鋭いよ。でも、それって……囮を用意するってことだよね? 採取した血を釣り竿でぶら下げるわけにはいかないんだ。考えてくれたのは嬉しいけどね」


 ロベルトは作戦の危険性を考えて、せっかくの提案ではあったが徹生の申し出は却下しようと考えていた。


 細かい部分ではあるが、生身の人間に流れる血しか吸血鬼に価値はないのである。


 もし、血なら何でも構わないのであればロベルトはあの頃、自殺志願者を襲わずに死体を漁っていただろう。


 つまりは生きた人間に流れる血液。

 そうでなければ吸血鬼の餌にはならないのである。

 吸血鬼は血の生き死くらいは嗅ぎ分けるのだ。


 そう、思い別の案を考えようと思っていた時--、


「その囮だったら、私がやる」

「ち、ちひろ?」


 突如として囮に立候補したちひろ。表情には確かな覚悟が刻まれており、それは有無を言わさないという強い意思の具現でもあった。


「待ってよ、ちひろ。危険だ」

「危険だからやるのよ」


 ロベルトの心配を優しい微笑みで迎え入れ、ちひろは語る。


「私だってロロをちゃんと信じたいの。私達を信じると言って……自分の過去を語ったロロを信じたいから。だから私はその囮をやってもいい。いや、やるわ。そこでもし相手の吸血鬼に襲われた時、ロロはきっと助けてくれるもの。……そうでしょ?」


 その言葉に徹生は強く動かされ、一樹は美しい信頼の物語を見た気持ちになり、マサキは満足感のようなものを得ていた。そしてロベルトは迷い、考え、躊躇い--それでも答えを出した。


「わかった。僕が君を守る。誓うよ……この命に替えてでも君を守る。僕は不死身だ。いくら命を引き換えにしたって……吸血鬼は平気だ。家族を傷つけさせるものか。絶対に……!」

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