【第四章 吸血鬼ロベルトと事件のカギを握る者】

第一話「吸血鬼、戦慄する」

 リビングには異様な空気が流れていた。今まで人間と同じように暮らしてきたロベルト。その吸血鬼としての本質を改めて知らしめられたように皆が彼を見つめ、言葉を待っていた。


 テレビで報道されたニュース。

 その犯人はおそらく吸血鬼である。


 立って歩いている人間の首元を器用に噛む獣など存在しているはずがないし、そもそも田舎でもないこの街でそんなものが生息しているわけもなかった。


 とはいえ、目の前の吸血鬼――優しく、熱血で涙脆いロベルトが犯人であるとは誰も思っていない。


 詳細に被害者がその犯人と遭遇した時間を知ることができれば、屋敷にいた彼を目撃した住人によってアリバイだって立証できる。


 だが、それでも――吸血鬼が人を襲ったという事実に誰もが混乱していた。


 そんなロベルトは慎重に言葉を選ぶ。

 ……いや、迷っているという表現が正しいだろうか?


 彼にとってこれは非常にマズい事態だったからだ。


 ロベルトにはもちろん犯人ではない自覚があるし、この屋敷の住人達が疑いの目で自分を見ているわけではないことも理解していた。


 とはいえ、彼が過去に苦しんだ吸血鬼を人間達が忌み嫌っていた時代。それが再来する予兆のようなものを感じていた。


 吸血鬼の悪名。


 それは自分にも共通して響くもので、彼だって優しい顔をしているだけでいつ吸血鬼としての本性を見せるかは分からない。今回は犯人ではなかったというだけで、しかしその本質はあのテレビで報じられたものと変わらない。


 そのように断定してしまう人間が、この屋敷の中から生まれることがロベルトは怖かったとも言える。


 だから、言葉を選んでいた。

 それゆえの沈黙――それを破ったのはちひろだった。


「ちょ、ちょっと……何をみんな黙ってるのよ。私もびっくりしちゃったけど……考えてみれば他に吸血鬼がいるのなんて当たり前じゃない」


 ちひろの言葉で部屋の中を支配していた異質な空気、それに準ずる必要はないという許可を得たように、各々が我に返った挙動を見せる。


「そうッスよね。ロベルトくん以外にも吸血鬼がいて、そいつはたまたま犯罪を犯すようなやつだった。それだけのことッスよ。人間にはもっと悪いやつだっているんスからね」

「でも、吸血鬼がああやって悪名を振りまくのは何だか悲しいですよね。……流石に警察は犯人が吸血鬼だなんて断定してないでしょうけど、それでロロさんが同じように扱われたらちょっと許せないです」

「そうだな……こういう辛気臭いのはやめにしようぜ。ほんと、この屋敷の明るい雰囲気ってのは悪くねーなって俺、思ってんだから。いつも通り、な?」


 そういって徹生は仕切り直すように手を二回叩き、ちひろと一樹も帰宅したということで調理場へと向かう。


 彼の流れに乗じるようにちひろと一樹は屋敷で働く服装に着替えるべくそれぞれ自室に戻る。


 その際、ちひろは心配するように一度振り返ってロベルトを見た。


 リビングには退室する理由を持たなかったマサキと、思考が上手く整わずに何も言えないまま片手で頭を抱えるロベルトのみ。


 マサキはロベルトの隣へ寄り添うようにしてソファーに座る位置を変えた。


「あー、ロベルトくん。他の吸血鬼が存在している可能性っていうのはやっぱりあるんスか?」


 マサキの言葉に暫くロベルトは答えず――しかし、ふと我に返ったように彼は顔を上げて「すみません」と短く言う。


「えっと……何でしたっけ?」

「あ、いやそれは後でいいんス。……まずは大丈夫ッスか?」

「すみません、突然黙っちゃって」

「ちょっと混乱してるんスよね? 安心して欲しいッス。じゃあ、一つずつ確認していくことにするッス。自分達はあの事件の犯人がロベルトくんだとは思ってないッスよ。時間帯が合わないのは明らかッスから」

「そうですよね……それは、みんな理解してくれてると思ってます」


 ロベルトは首肯して無理に作った笑みをマサキに向けるも、その憔悴したような声が伝える痛ましさに、彼女は目を逸らしてしまいそうになる。


「そこまではオーケーッスね? ……で、みんなちょっと驚いただけなんスよ。ロベルトくんがあんまりにも人間らしすぎるんで、吸血鬼の性質を見せられた時みたいにビックリした。でも、それでロベルトくんをあの犯人と同じように考えたりはしないッス」


 いつもの軽い口調は収めて優しい語りをするマサキ。


「えぇ……それも、分かってるんです。分かってはいるんですけど……言葉が上手く出なかったんです。思いつくことをただ言葉にすればよかったのか……でも、それによって悪影響を招くって考えれば慎重にもなって」

「ロベルトくんは吸血鬼の悪名が高まることでさえ、恐れてるんスね? 所詮、他所のこと……とはならないッスよね。自分もそんなことをする存在だって家の人間に思われてしまえば、家族自体が壊れてしまう……そんな風に考えちゃったッスかね?」

「みんなを信頼していないわけじゃないんですけど……でも、そんな風に考えてしまったのかも知れません。すみません……僕は、弱いですね。これまでだって途方もない年月を生きているくせに、こうやって怖がって」


 マサキの優しい言葉でさえ――優しく触れるような感情さえ、痛むと言わんばかりに彼は自分で勝手に追い詰められていく。そんな張り詰めた心理状況になってしまっていた。


 時間が解決する事柄とは言えず、だからといって人間の身と心の域を出ないマサキは自分に何が出来るのかを考える。


 彼女の言葉は時に人を変える。


 しかし、それが自分の特技だと驕って安易に他人へ干渉しようとすることが悪であることも分かっているため、言葉を紡ぐことに躊躇いが伴う。


 ただ、それでも――と、彼女は思う。


「年月が経って強くなるものなんてこの世界にあるんスかね? あらゆるものが年月で風化して脆くなるのが世の常。それだけの時を生きてきたロベルトくんだからこその脆さってものはあるかも知れないッスよ」

「かもしれません。……随分と僕は人間に対する感情を育てました。マサキ先生には話してませんでしたね。僕は過去に今と同じようにして屋敷を持っていて、人間と暮らしていました」

「へぇ……そうだったんスか? ってことは人間との共存は始めてじゃないと?」

「えぇ。ですから、今という日々は当時を想起するようで毎日が幸福です。でも今日はそんな光ともいえる過去とは相反する――闇の部分と表現すべき時代を思い出しました。そんな日々の再来、その予兆を感じて怖くなっちゃったのかも知れないです」


 ロベルトはその言葉を入り口としてマサキへ、気付けば自分の負の部分の過去を語り始める。


 そして語られたその過去は、ロベルトの人格形成に一枚噛んでいるとさえ言える、人間との交流--そのもう一つの歴史であった。


        ○


 それは優しい吸血鬼--ロベルトが家族と称した人間、全員の最後を看取ったあとの話だった。


 吸血鬼という存在を受け入れてくれる人間を再び求めて、ロベルトは日々を過ごしていた。


 とはいえ、人間を怖がらせぬよう、アクティブには行動せず運命的な何かを求めて過ごす日々。


 それらを彩るのは彼と過ごした日々の思い出だった。


 やはり自分は人の輪の中にいたい――そのように思わされたのは看取った彼らから託された言葉のせいだろう。


「生きろ」という言葉をバトンのように渡されたからには、前を向いて生きていかなければならない。それがまだ喪失感の残るロベルトの希望であり、支えになっていた。


 そんな言葉を託すほど当時の家族から見ても彼は頼りなく、不安だった--と言えば相変わらずなのかも知れない。


 とにかく、穏やかな別れであったためにロベルトの心は悲しみをいつまでも引きずることはなかった。新しい自分の生きる居場所を求める明るさがあったのだ。


 ――しかし、そんな彼の生きる時代は吸血鬼にとって厳しいものであった。


 その頃、ロベルトが滞在していた地域では一人のある吸血鬼が人間との調和を崩すような行動を取ったために悪評が広まっていた。


 吸血鬼は人間に血を貰わなければ存在できないだけに、彼らに対して敵対するような行動を取ってはならない。


 それは吸血鬼が生きていくために必要なバランスの取り方だったはず。人間と共存できる道を何とか模索して、自分を受け入れてくれる者達とひっそりと満たされた生活を送っていく。


 それが吸血鬼の在り方だと思っていただけに、ロベルトにとって人間に対する反抗という同族の行いは衝撃的だった。


 事実、吸血鬼が人間に正体を確定的に看破されず、空想上の生き物程度の認識として留まっているのはそういった彼らの人間に対する協調性が理由なのである。


 人間に睨まれれば吸血鬼は生きづらくなり、そして同族にも厳しい目を向けられる。秘密を共有してくれる人間と仲良くして生きるのが鉄則。


 なのにリスクを冒してまで吸血鬼が人間に立ち向かっていく意味とは何だったのか?


 ロベルトのような吸血鬼には、特に理解できないことだった。


 それでも--そんな時代であってもロベルトは吸血鬼である自分を受け入れてくれる人間を探していた。


 しかし、一方で人間達は例の吸血鬼の一件で存在が明るみになった人外の存在を恐れた。


 自分達以外に脳で思考して、同レベルの知識を持った存在が不死身であることに恐怖したのだろうか。


 吸血鬼に有効な対策として、群れで行動して人外の討伐を目論む流れが人間達の中で活発となった。


 もちろん、吸血鬼は人間よりも強い。

 剣で刺しても、銃で撃っても、火で炙っても死ぬことはない。


 しかし、多対一で争った時に群れとなった人間をどうにかできるほどの力はない。所詮は不死身なだけの人間であるため、簡単に捕らえられる。


 傷付けられなければ再生能力など意味を成さず、殺さなければ不死身であることの意義もない。


 だから捕えたら、何もせずほったらかしにするのである。吸血をさせず、幽閉する。そうすることによって吸血鬼はどうなるのか?


 人間達による実験。

 それによって訪れた結末は――死だった。


 吸血鬼は死ぬ。

 それを人々は喜んだ。

 希望にした。


 再生し、永遠の寿命を持っているが……飢えて衰弱死にするということは確かだった。


 それが人間達にとっては攻勢に出るためのこの上ない重要な情報であり、吸血鬼達は戦慄した。


 吸血鬼は人間の血をもらわなければ生きられない。

 だけど、人間は吸血鬼が滅んだところで何も問題はない。


 だからこそ、人間は--吸血鬼狩りを始めた。


 街にいる人間は口を開けさせられ、牙がないかの確認を受けた。


 吸血鬼は血を吸うために牙を持つ。だか、それを人間の目から逃れるために折るということはできない。再生能力があるからだ。


 つまり……これほど偽装しようもない判別方法はなかったのだ。


 ロベルトでさえ、その人間の手が自分に及びかけた瞬間には素直に人間を怖いと思った。逃げ出し、人里から離れて獣しか住まないような場所で震えながらに人間が追ってこないことを祈っていた日々があった。


 そして、ロベルトはとうとう人間と関わることをやめた。


 --ただし、いつか人間の中で吸血鬼を殺めようとする流れがなくなることを祈りながら、ひっそりと暮らしていた。そして幾許かの年月が過ぎたある日、ロベルトは知ったのだ。


 人が吸血鬼に対して好意的であると――それは今の彼には分かる、紛れもないエゴサーチであった。そこからの行動は軽率だったとも言える。


 だが、いても立ってもいられないほどに彼は、人間と関わることを求めていた。


 あの日、ロベルトが貰った「生きろ」の言葉は彼に人間という存在を諦めさせなかった。


 だから、彼はこうして日本で新しい家族を手にして……そして、同時にあの時のような吸血鬼にとっての地獄絵図の予兆を感じ、恐怖に慄いているのである。

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