第七話「吸血鬼、ちょっとした危機……?」

「あんた……流石は料理人ね。家庭の味ってのもそれはそれでいいものだとは思うけど、これは完全にプロの腕前だわ。まさか、これほどの実力なんて」

「そうだろ? 俺としてはこういう料理って一応、専門外ではあるんだが……でもまぁ、プロってのは少なくとも外しゃしねーのさ」


 素直に他人を褒めるということは得意ではないし、もしもその必要があれば必ずと言っていいほど赤面を不随させるちひろがあっさりと徹生の料理の腕を褒めたたえ、彼はそれ相応な得意げな態度でその言葉を受け入れた。


 徹生とマサキが屋敷を訪れた日の翌日――週末の最後となる日曜日であるため朝食はもちろんのこと、昼食も全員で揃って食べることとなり、徹生の実力が発揮された。


 昨日の夕食から徹生の実力を発揮する機会はあったのだが、料理をまともに行わないロベルト邸の住人達が業務用冷蔵庫を空っぽで放置していたため外食となった。


 そして、今朝。ちひろが全身全霊を込めて焼き上げたトーストを振る舞い、徹生がそれを鼻で笑った。


 昨日のこともあって両者一触即発かと思われたが、そこは冷静に彼の実力を見定めてやるとちひろはふんぞり返って語り、昼食が徹生の実力を試す機会となった。


 しかしそこはプロということもあり、ちひろの姑のような「ちょっとの埃も見逃すまい」な姿勢で臨んだ検食を、あっさりと突破。いともたやすく認めさせることとなった。


 ちなみにそんな今日の昼食は近所のスーパーで徹生が購入しただけの豚肉を揚げて作ったカツ丼であり、本人曰く「簡単な丼もので今日は済ませたが、まだ全力は出していない」らしく、底が知れない実力にちひろは戦慄し一樹は目を輝かせた。


 そんなわけで食堂にて五人が食卓を囲む光景。


 全員が無骨なメニューではあるが、豚肉の揚げ加減など家庭料理の域は明らかに超えているその完成度に舌鼓を打った。


「ほんっと、私の渾身のトーストを馬鹿にしてくれた時にはどれだけ美味しかろうと食べられたもんじゃないって言ってやろうと思ってけど……その思惑すら瓦解させるとは。侮れないわ」

「まぁ、明日からは朝食も俺の仕事だからとりあえずは今日までご苦労さんって感じだな」

「いやぁ、こんな料理が毎日出てくるって……ボク、ここでお世話になってよかったことをランキング付けしたら一位になるかも」

「……一樹、僕という吸血鬼への感動はどこへいったんだい」

「ついでに自分という作家もいるんスけどね」


 誰もが徹生の実力を褒めちぎらずにはいられない状況において、一樹の尊敬を集めていた二人はどうにも面白くない様子であった。


 ちなみにそんな羨望の眼差しや称賛の声を欲しいままにしている徹生、現在の服装は真っ白なコックが身に纏う調理着。


 自前であるらしく、ロベルトが今までメイドと執事の衣装を用意してきただけに、今回は流石は専門職という感じであった。


 そんな服装を見て疑問に思ったロベルトが徹生が経営していた店が何の料理店だったかを問いかけたところ、フランス料理のお店だったとのこと。


 フランスという言葉に軽いトラウマのようなものが刻まれているちひろは耳を赤くしており、その意味を理解しているロベルトだけが内心でほくそ笑んでいた。


 --というわけでプロの料理が振る舞われ、それを心ゆくまで堪能した屋敷住人の面々は少々行儀が悪いながらも、椅子にもたれて食後の満足感に浸って脱力していた。


 徹生だけが全員分の皿を下げ、後片付けをすべく調理場の方へと戻る。


 そんな場面でマサキが不意に「あ、そういえば」と言ってロベルトに問いかける。


「自分もここでお世話になろうかなっていう方向で心が決まりつつあるんス。作家はまぁどこでも仕事できるんで身軽ではあるんスけど……自分はこの屋敷で何の役職をもらえばいいんスか?」


 マサキの前向きな検討が行き着いた先を聞かされて内心でガッツポーズなロベルトではあるが……確かにそうなのである。


 ロベルトはマサキ相手にのみ敬語を用いるほどに彼女を尊敬している。


 それは吸血鬼の好印象を流布した貢献を思って敬意を払っているからなのだが……そんな彼女に屋敷で何かの役職についてもらうことを考えていなかったのだ。


 とはいえ――じゃあ何かしてもらうのかと考えれば恐れ多い、といった感じで決められもしない状況。


 腕組みをしてロベルトは首を傾げ「うーん」と唸る。


「マサキ先生は我が家でひたすら本業に専念してもらって、僕の本棚を埋めてもらう……それでいいと思っていました」

「……何かその言い方、えらく格好いいわね。実際はただのファン心理を述べたまけでしかないのに」

「とはいえ、マサキ先生がこの屋敷で仕事をして本業に差し支えるというのは困るような気がしますよね。多分、ロロさんもそこが気になってるんじゃあ……」

「それはそうだよ、一樹。僕らはマサキ先生と同じ屋根の下で暮らす家族である以前にファンなんだからね」

「えぇ……家族であるより前にファンなんスか? 逆ってわけにはいかないッスかね? ……流石にみんな役職についてるのに自分だけ好き勝手ってわけには」


 マサキは自由奔放で好奇心に任せて行動する感情主体な人間ではあるが、そういったコミュニティでのバランスを無視して好き勝手ができるほど破綻もしていない。


 大人として、社会人として――ある程度の面目は欲しいという感じだった。


「やっぱりマサキさんには私と同じくメイドをやってもらいましょうよ」

「何でそんなにちひろはマサキ先生をメイドにしたがるのさ?」

「いや、だって私だけ屋敷で服装浮いてない? 一樹くんの燕尾服ってそこまで非現実的じゃないし、徹生さんはコックの恰好。中二病的な吸血鬼ファッションやってるロロに目を瞑れば、私の恰好って結構浮いてる気がするのよ」

「浮いてるってことは分かったけど、ついでみたいに僕を傷付けたのはどうしてなの……」

「でもメイドの領分である重労働はちひろさん一人のパワーで間に合ってますよね?」

「褒めてないわよね、それ」

「どちらかというとボクと同じデスクワークがいいのでは?」

「とはいえ、そういう事務的なことも一樹だけで間に合ってるからなぁ。ウチは会社でもないし、そこまで机に向かってやることは多くない……」


 そのように考えながらロベルトは屋敷を見取り図的に思い浮かべ、何か仕事を振る箇所はないかと思考する。


 とはいえ、まだ用途も決まっていない部屋ばかり。いくつかは名目を決めた部屋はあるが準備中--と、そこでロベルトはひらめきを得たのだった。


「あ、そうだ。書庫整理っていうのはどうです? 言ってみれば司書みたいな感じでウチの書庫を管理してもらうんですよ」

「ん? ……司書ッスか?」

「……あ、あんたもしかして、あの膨大な量の本をマサキさんに整理させる気なの?」

「ロロさん……それは他の誰の仕事よりも重労働じゃないですか?」

「んー? なんかよく分かんないッスけど、本を扱うなら自分の作家って職業的にピッタリじゃないッスか? すごく安直な気もするッスけど?」

「じゃあ決まりだね!」


 ロベルトの言葉に一樹とちひろがマサキのこの先を思い苦笑いをうかべ、二人の病院に彼女は首を傾げて疑問符を頭上に浮かべる。


 そして数分後――案内された一室、ロベルトの暴力的な資産運用で購入した、日本に存在する全種類ではないのかという量のライトノベル、漫画を本棚に収めていく作業を前にして、流石のマサキも飄々とした態度ではいられなかった。


        ○


 さらに翌日--月曜日となり、学生組であるちひろと一樹が学校へ行くのをマサキと徹生、ロベルトが見送る。


 ちひろは住んでいるのだから当然として、一樹が学校へ行く前に一旦挨拶のため屋敷までやってくるのは彼としてもこの場所が、もう一つの家族であると自覚している証かも知れなかった。


 昨日、日曜日ということで明日の学校に対して憂鬱な気分を抱えていたちひろと一樹。


 彼らの気持ちに共感しながらも、そういった義務感から解放された大人の自由を振りかざすマサキと徹生は二人に対して「学生は大変だなぁー」などと煽るようなセリフを口にして、今日という平日を屋敷でゆっくりしていられることを自慢した。


 しかしどうだろうか……二人が学校へ行くのを見送ったマサキと徹生は互いに顔を見合わせて嘆息。


 どうやら二人のように義務感で学校へ通っていた日々を思い出し、自由でなかったとしてもあの年代ほど楽しいものはなかった……そのように感じ、大人の自分にちょっとした嫌悪感を抱いていたのかも知れない。


 この点、あまり誰かと関わることを好んでいなかった徹生にも学生時代を恋しく思う何かがあったのかとロベルトは思ったが、その辺りの話題を掘り下げると彼の中で一応は燻っている「学校に行きたい」という思いが加速しそうでやめておいた。


 そこから徹生は三人で食べる昼食、そして夕食の準備をするために調理場へ向かう。食材を確認して献立を決めてから買い出しに行ったりと、いくら自由を手にした大人であっても仕事はある。暇ではないのだ。


 一方でマサキは本業で忙しくするかと思いきや、一応与えられた仕事ということでロベルトが準備だけ進めてほったらかしの書庫にて司書としての仕事に取り組もうとする。


 そんな部屋は屋敷の中でもかなりの面積を持った部屋で、以前は何に使われていたのかは想像もつかない。


 そこに人の身長より遥かに高い本棚(横へスライドする梯子付き)が等感覚に並べられている。そして、棚同士の隙間となる床にはロベルトがネットで大量購入したライトノベル、漫画がダンボールのまま山積みになっていた。


 つまりはこのダンボールをまずは整理しないと本棚の間に生まれるはずの通路さえ存在しない状況なのである。


 そんな光景に肩を落としつつ、一つずつダンボールを動かし始めるマサキ。


 そのようにして大人組の日常も動いていた。


 ちなみにロベルトは、今日到着予定となっている二人の個室に置く家具の搬入に立ち会ったりと、一応は家主らしい仕事をする予定であった。


 そして――それら各々、片付いた昼下がり。


 リビングにて徹生とマサキ、ロベルトが一堂に介していた。


 特にマサキと鉄生の二人がそれぞれ、今日という日に行った新しい環境でのまだ慣れない仕事に疲労感を感じてぐったりとしており、一樹が見れば大人というものへの理想を大きく穢してしまう可能性さえあった。


 徹生は学生組が帰宅すれば重い腰を上げて夕食の仕込みを始めるだろうし、マサキも流石に本業をほったらかしというわけにはいかないかも知れない。


 ロベルトは流石に二人の個室を用意し終えたので、あとは自室でネットサーフィンだと思われる。


 ――と、まぁそのようにして束の間の休息としてリビングに集まっていた時のことだった。


 リビングに設置されたテレビを何となく見ていた三人。


 すると情報番組で、ロベルトの屋敷がある街周辺で昨夜、事件があったらしく報道があった。それは結果的に最悪の事態を迎えはせずに終わったが、人が襲われたというニュース。


 夜、暗がりを一人で帰宅しようと歩いていた女性が何者に突然襲われた――が、その場には第三者がおり、犯人はその存在に気付くと慌てて逃走。


 結果として、女性の命に別状はなかった。しかし、犯人の行動があまりに不可解で結局のところ、その犯人が何をしたかったのかは分からない。


(犯人の動機が不明瞭な事件か……何だか、ちひろの事件を思い出すな)


 ロベルトは妙な共通性を感じていた。


 ちひろの事件。それは大量の血液が路上に散乱し、車椅子が転倒している遺体のない現場。車に牽かれたとは考え難く事件性は濃厚。


 血液型は結局、ちひろの妹--いのりと彼女らの母親のもので間違いないらしく、存命も出血量から絶望的。生きているとしても誘拐のような犯人からアプローチもないため、意図が読み取れない事件。


 それが今回の比較的ソフトといえる一件と重なるのは何故なのか……しかし、ロベルトは何とも言いがたい胸騒ぎを感じていた。


 とはいえ、それだけの事件として認識されて終わるニュースのはずだった。


 だが、アナウンサーの『被害者女性は軽傷。首筋には、


 獣に噛まれたような痕が二つ残っており、警察は引き続き捜査を進めています--』


 という言葉で三人は戦慄する。

 いや--三人ではなかった。


 食い入るようにニュースを見つめていたため気がつかなかったが、いつの間にか帰宅していたちひろと一樹も扉を開けたその場所でニュースの一報を聞き、表情を失い硬直していた。


 ちひろがその場で力なく、手に持っていたカバンを落とす。


 そして視線が、一か所に集まる。


 それは勿論、ニュースで報じられた痕跡をつけられる唯一の存在--永遠の時を生きる吸血鬼、ロベルトに対してであった。


 視線は犯人を咎めるようなものではなく、あくまでマズいニュースが流れたということで彼の動向に注目しているようなものではあった。


 今回の事件と、ちひろの事件は関係がない。そのように誰もが思うが、今回の事件には吸血鬼が関与している可能性がある。そして、同じ街で起きた事件。ちひろの事件の特徴は「血」だった。


 ならば或いは、と--瞬間的には考えてしまう。


 だからこそ徹生は奥歯をぐっと噛みしめながら、奇妙な空気の流れるリビングの中にあって思う。


(おいおい……吸血鬼と人間の共生、そんな希望を見せてくれるんじゃなかったのかよ。俺はきっと……内心では期待してたんだ。自分も想像がつかないような劇的な何かが、俺を変えちまうんじゃないかって! ……なのに、これじゃあ)


 その続きを徹生が思考することはなかった。

 無意識のシャットアウト。


 順風満帆であった。そしてそれをロベルトは上手くいきすぎて怖いと表現したが奇しくも--四人の家族が集い、始まった新しい生活は唐突に報じられたニュースによって思いもよらぬ方向へと舵を取り始めた。


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