第六話「吸血鬼、出番なし!」

 ――また失敗した。


 ロベルトとちひろが出ていったリビングにて、そんな風に徹生は考えながらソファーにぐったりと体を預けていた。


 誰とも関わらない人生を送ってきたために、他人に配慮して喋るということができない。


 なら気を張って、淡々と必要なことだけを話すようにして最低限の交流だけ持てばいい。


 そのように思っても、上手く自分を騙せない。

 演じきれない。

 自分はそもそも、そんなに器用な人間じゃない。


「だから道化にもなれず、まともに演目もこなせず孤独を飼い殺している。徹生はそんな自分が嫌いだった。変えたいと思っていた。でも人との繋がりに絶望した彼は、希望を抱くことすらままならないのである」

「勝手に俺の胸中察したみたいに語ってんじゃねーよ。それも職業病か?」

「まぁ、そんなとこッスかね。飯炊き当番くん、見ていてなかなかに飽きないんでこうして構いたくなっちゃうんッスよ」

「……一応聞くけど何だよ、その飯炊き当番くんって」

「君のあだ名ッスけど?」


 聞いた自分が馬鹿だったとばかりに、先ほどにも増して体に脱力感が伴う徹生。ふーっと息を吐き出して、冷静に現状を考えてみる。


 徹生はとりあえず、この屋敷で料理人として働くことが決定。その許可が家主であるロベルトから言い渡された。あれだけ彼の理想を、思惑を口汚く罵ったというのに……ロベルトはあっさりと徹生を受け入れた。


 自分の失態を許容して尚、受け入れてしまうロベルト。それを思えば、何故か徹生は負けたような気持ちになってしまうのである。


「……なぁ、あんたもここで暮らしてるのか?」


 ぐったりとソファーに体を預けた体制となっている徹生は、顔だけを僅かにマサキの方へと傾け、問いかけた。


「いや、まだと言うべきッスかねー。実は飯炊き当番くんがここを訪れる一時間ほど前に自分もこの屋敷に初めて来たんスよ」

「へぇ……じゃあ、同期じゃねーかよ」

「同期? ってことは飯炊き当番くんはやっぱりここで働くつもりなんスか?」

「……何だよ、いけねーのかよ?」

「いや……駄目とは言わないッスけど、ここは飯炊き当番くんの苦手な家族愛を重んじる場所。素直に違う職場見つけた方がいいって普通は考えるんじゃないんスかね?」


 徹生はマサキの指摘に「まぁ、あんたの言うことは正しい」と肯定はするものの、半身を勢いよく起こして続ける。


「もっといえば、俺は自営業って形が一番相応しい人間だった。どこか違う職場を見つけるよりも、もう一度自分の店を持てるように動くべきって方が正しいと言える」

「えぇ? そうッスかね?」


 マサキが小難しい顔を浮かべて首を傾げる挙動、それを徹生は意外そうに見つめる。


「どうしてそんな反応になる。俺はどう考えたって協調性のない人間だ。一人でやる方が性に合ってる。あんたの言葉を借りれば、普通はそう考えるんじゃないのか?」

「いえ、自分は普通じゃないものでそうは考えないッスね。逆に、逆にと思考していくんで……飯炊き当番くんの言動やらを見ていてずーっと疑問だったんスよ」

「……何が疑問なんだよ?」


 徹生が答えるように促すと、マサキは「えー、これ言っちゃっていいんスかねー」と勿体ぶりながらも結局は口を開く。


「飯炊き当番君はそもそもどうしてここへ来た時、今みたいな口調で話してなかったのか。それは自分の素が空気の読めないどうしようもない人格だから、淡々としていることでそれを隠そうとした。そういうことじゃないッスか」

「……俺のこういう性格って空気が読めないって言うのか?」

「そういう風に自覚ないところとか特に。……でも、孤独でいいやって考える飯炊き当番くんの立場からすれば、せっかく一人なのにどうして他人に気を遣うような真似をしてるのかなーって思うわけッスよ。そこでマサキ先生は考えました」


 マサキは人差し指を突き立て、徹生へ言い聞かせるように語る。


「考えて……どうだってんだよ?」

「つまりは、この相澤徹生という男は人の心を宿した怪物みたいなものなのだ。人間と交流を図りたいと心の底では考えているけれど、上手くできずに繋がりを潰してしまうくらいなら孤独でいい。嫌われるくらいなら一人でいる方がいい。そーんな感じではないのかなーっと」

「……………………はぁ?」


 マサキの饒舌に語った人物様相を聞き入れた徹生は口をポカンと開けて、ただ一言そのように漏らす以上のリアクションを繰り出せなかった。


 もしもこれが推理小説の犯人であれば「見事な想像力だ。小説家にでもなるといい」と言いそうなくらい、徹生からすればこじつけだと感じたわけだが、生憎にもマサキは本当に小説家である。


 ……とはいえ、深層心理を紐解けば徹生の胸中はマサキの語っていることからそこまで外れていない。


 悪循環的に、人間関係を不得手としているから経験が積めず、経験が浅いからこそ誰かを傷付けるようなことを思わず口にしてしまう。


 他人を慮ることが上手くできないからこそ、謝る時は過剰にもなってしまう。


 ただ、事細かに自分のことを把握できていないからこそ徹生は不器用であり、これまでも苦労してきた。


 つまり、マサキの繊細に心の機微を見抜いたり、表現する技術を思えばこの両者――全くの真逆。


 そんな徹生が類似しているのが誰かといえばちひろ――でもあるのだが、実は先ほど語った内容が当てはまる、ロベルトにも類似する部分があったりする。


 もし本人がこの場に居合わせたなら、先ほどの推測をロベルトは赤面して聞いていたかも知れない。


 ……とはいえ、そんな事情で指摘してなるほどとならないほどに重症であるために徹生は苦労してきた。


 だから、納得するはずがないのである。


「ピンともこねぇなぁ……。まぁ、俺が気を遣ったように喋る癖ってのも単なる処世術としか捉えてなかったし」


 徹生の納得を得られず、面白くなさそうな表情を浮かべるマサキは腕組みをして首を左右へ振り子時計のように傾げ、やがて思い至った思考に納得したのか古典的に手をポンと叩く。


「じゃあもう一つ質問していいッスか?」

「さっきの問答もまだ俺は納得してねぇし、消化できてねーんだけど……まぁいいや。何だよ?」

「ロベルトくんが吸血鬼であることを知って、驚かなかったのはどうしてッスか? ……いや、驚いてはいたッスね。情けなく悲鳴あげてたし」

「情けなくはない」


 いや、実際に徹生の悲鳴は情けないものであった。


「驚いてはいた。……でも、異常なほどに納得が早かったッスよね? いや、寧ろ吸血鬼の実在を確認したことなんて飯炊き当番君の中では些末事のようですらあったッスね」

「そうか? 俺は自分の中でそれなりに驚いて……でも、まぁそういうこともあんのかなって思っただけ。意外と単純に出来てんじゃねのーか、俺って人間は」


 徹生は嘘をついてるという風でもなくあっけらかんと答える。


 この部分に関してはロベルトもタイミングさえあえば彼に問いかけていたくらいには、不自然に映る光景ではあった。


 とはいえ、またしても満足いく答えが得られなかったマサキ。心底、面白くなさそうな表情で口をへの字に曲げてしまう。


「……いやぁ、違うッスねー。自分が考えてたのとは違う。面白くないッス!」

「俺はお前を楽しませるためここにいるんじゃねーよ」

「まぁ、待つッス。ここはちゃんと飯炊き当番くんの視点で物事を考えないと」

「……ほう。聞こうじゃねーか」

「飯炊き当番くんはロベルトくんがメイドちゃんや執事ちゃんを侍らせてティーンズなハーレムを形成していることに嫉妬してたわけじゃないッスか?」

「してねぇわ」


 即答だった。


「まぁ、そこは冗談ッスからね。……とはいえ、明らかな共同生活を成立させていた。それがただの雇用主という主従関係なら分かる話。ただ、彼が吸血鬼だと知ってしまったら? 吸血鬼という人外でも人間ときちんと分かりあえるという構図を見てしまった……それは飯炊き当番くんからしてみれば、本物の吸血鬼発見よりも重大なことじゃないッスか?」


 マサキの語り連ねた言葉に対して徹生が最初に繰り出したリアクションは乾いた笑いで、彼女はようやく彼が本当にピンときていないことを悟った。


「あんたは確かに小説家だよ。ほんっと……他人の考えてることをよくもまぁ、そんな筋書きみたいに用意できるもんだ」

「いやぁ。あんまり間違ってないと思うんスけどねー」


 そのように語りながらもマサキは内心で徹生に対して自分の予想が仮に当たっていたとして、それを納得させることは不可能だと感じていた。


 彼自身にとって、人との繋がりに関わる感情、感想、思考は進んで触れたくないもののはず。


 見て見ぬふりを十数年と繰り返してきた彼の心理構造は合理化し、胸中に浮かんだ不都合なものを無意識下で処理するようになっているかも知れないとマサキは考えたのだ。


 条件反射、といっていいシステムが彼の中に出来上がっているのだとすればそれこそを――トラウマ、と呼ぶのではないか?


 そのように思い、マサキはここから語ることはあくまで推測として独り言のつもりで徹生に聞かせようと心持ちを変えた。


「そうなると納得がいくんすよ。飯炊き当番くんが家族という言葉へ過敏に反応してしまった理由。それは吸血鬼であるロベルトくんがあっさりと自分のできなかったことを成し遂げ、失ったものを手にしている。それが面白くなかった」

「何だよ、俺があの吸血鬼に嫉妬してたっていうのか?」

「もしそうだとしたら、飯炊き当番くんは人の心を宿した怪物だっていう話っすよ。自分と同じ人外が人と暮らせることに嫉妬できるならば……それは希望を抱けるとも言えるッス。寧ろ、そう感じたから飯炊き当番くんはここでやっていく決心をしてるんじゃないんスかね?」


 マサキの言葉は徹生にとってまさに推理小説の犯人が口にする「それ」と同じ心境になるようなものだった。


 とはいえ、彼の心境にも少しずつ変化が訪れていた。


 徹生は呆れを通り越したのか、それとも一周回ったのか……眉を顰めて苛立ちのようなものを露わにし始めた。そして、それは声にも帯びて言葉となって飛び出していく。


「あんた、つまり……俺がこの人間不信みたいなもんを克服する可能性があるって言ってんのか? この場所にいることで」

「まぁ、そんなに怒らずに……ちょこーっとでいいんで、考えてもみるッスよ。吸血鬼でさえ人間と家族を形成できる……それは人間同士で上手くいかなかった飯炊き当番くんのご両親より難しいことをしている。そんなの見せられたら正直――絆ってものを納得させられちゃわないッスか?」


 マサキはその特徴とも言える糸目を開き、そのぎょろっとした瞳で徹生と視線を結ぶ。


 瞬間、徹生の背筋にゾクっと悪寒が駆け抜けて、それが彼の怒りをいくらか中和した。


 そんなクールダウンを迎えた徹生が真摯に彼女の言葉に付き合うと、それは存外に彼の中でウケたらしく、「あっはっは」と声高に今度は笑い始める。


「……俺が自分の人間不信を克服したいと考えてるとか、希望や嫉妬を抱いてるとかそんなことはやっぱ自覚ねーし認められるわけない。でもさ……あんたが言った納得する可能性ってのは否定できねーかも知れないな。確かに、吸血鬼でさえ上手く行くんであれば或いは……そんな風に思えれば、それは希望だ。俺がそれに足り得る場面に居合わせてどう感じるか。それだったら興味があるよ」


 徹生はそのように語り連ねて、どこか満足げに肩を落として長く息を吐き出した。


 そんな彼の反応にしたり顔を浮かべて上機嫌なマサキ。


「じゃあ、自分は飯炊き当番くんの人間不信が治って、この屋敷の家族である自覚を持つことに賭けるんで……勝った時には何かしてもらうッスかねー」

「何で勝ち負けになってんだよ……。まぁ、そういうもんを見届けるって意味ではここで働く意義はあんのかな」


 マサキがどこまでを考えて徹生に言葉を投げかけたのかは分からなかったが、本人としても屋敷で暮らす意義のようなものを見出したようで彼女は何となく一仕事終えたような気持ちになっていた。


 徹生を懐柔するような意図がどこまであったのか。

 それを逆にマサキは無自覚にやっていた部分もあったのだ。


 そんなわけで晴れ晴れとした気持ちになったマサキは徹生――とは逆の隣に座っている一樹になれなれしく肩を組んで絡む。


 ……そう、ずっと一樹はこの場にいたのである。


「というわけで執事ちゃん、申し訳なかったッスねー。怖いお兄さんが正式に住むことになったッスけど、こんな風に自分がいれば何とでもなるから安心していいッスよ」

「え、あ、はい!」


 ぎこちない返事をする一樹は、年上の女性に密着されることへの困惑で頭の中をぐるぐると掻きまわされたような感覚に陥っていた。


 両親以外の大人達――そのような環境に残されてしまった一樹は緊張で言葉を発することができなくなっていた。


 とはいえ、徹生のように大人になっても悩みや苦しみを抱えながら、それでも生きていること。そして、マサキのように誰かの気持ちを少しだけ動かしてしまう言葉を紡げること。


 そのどれもが彼にとっては刺激的で……少し勉強したような気持ちになったのも事実ではある。

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