第五話「吸血鬼、自分の弱さと向き合う」
屋敷内に存在する数多の部屋に通ずる廊下。そこを歩いていけば視界の片側に各部屋へと通じる扉がひたすら並び、反対側には窓が時間帯によって様相を変える絵画のように整列している。
そんな窓の一つを開け、外界の風を感じながら片肘をついて遠くを見つめているちひろをロベルトは見つけ、歩み寄っていく。
足音で彼の存在を察知したのか、ちひろはロベルトの方を向いてどこか自虐的な笑みでその来訪を迎えた。
「あんたって本当に優しいのね……。いや、一人にしてくれないって意味では残酷なのかしら?」
「自分が優しいとも、残酷とも思って行動なんてしてないさ。ただ、ちひろと話がしたいから来たんだよ」
「そう……。ほんと、優しいんだから」
ちひろはその言葉でまた窓の向こうの景色へと視線を送る。
自分の感情をひたすらに露呈した先ほどまでの自分を恥じているのか、反省しているのか……ちひろは妙な気まずさを携えて、言葉を上手く連ねることができなかった。
なので、ロベルトは会話の入り口を手探りで求めていくことに。
「徹生。僕は結構、興味があったからか好奇の目で見ていたよ。一連の流れも、もしかするとそういうフィルターを通してみていた部分があったかも。だけど……君には嫌な役をさせたなって思うんだ」
「嫌な役ってまた、妙な表現をするのね。私はロロに何かの役目を仰せつかったつもりはないんだけどね。自分の意志で、責任で戦った……そのつもりよ」
ちひろは本心を伝えるべく、あまり嫌味にならないようにイントネーションへ気を配った。
その事自体が何となく伝わったため、ロベルトはちひろの配慮で胸が一杯になる思いだった。
「戦う、か……そうだよね。だとしたらやっぱり本来は僕の役目であったようにも思うんだよ。意見を戦わせること、それを出来る君だから……僕はついつい任せてしまう。それがよくないことだなって最近、思うんだよ」
「……ロロ、あんたそんな風に考えてたの? ちょっと意外かも」
「そうかな? これだけ生きてきた吸血鬼だって自分の未熟さを痛感することはある。……いや、寧ろ自分が成熟したって思うことなんてないかもね」
「未熟っていうからにはそういう自分になりたいって思うわけ? 誰かと言い争うことだってきちんと出来るような、そんな自分に?」
「……って言ったら、おかしいかな?」
照れたようにロベルトが後ろ頭を掻きつつ語ると、ちひろは刹那の沈黙をもってくすくすと笑いだす。
「そっか……だとしたら、ロロはきっと変わらないわ。良い意味で変わらないんだろうなって思うわ」
「えぇ……変わらないの? 良い意味で?」
「だって本質が優しさじゃない、それ。ロロの人間味……じゃなくて吸血鬼味とでもいうべきものが、色濃く出てるんだもの。だったら、変わらなくていいんじゃない?」
どこか小馬鹿にしたような口調でありながら、優しい微笑みが湛えられたちひろの表情。
――ロベルトは責任を感じていた。
徹生が家族というものを否定し、罵った際に彼の中で悔しいという気持ちがなかったわけではない。しかし、そこで言い返すという思考になかなかならないのがロベルトなのである。
受け入れるという彼の本質的なものはそういった部分でも発揮されており、徹生の言葉も一意見としてロベルトは許容してしまった。
そんな時、ちひろが徹生に対して攻勢に出た。
それを見ていたロベルトは彼女のそういった意見を戦わせる部分を凄いと感じつつも、心のどこかでは「あの行動は自分の取るべきものだったのではないか」と考え、責任を感じていたのだ。
だからこそ、ロベルトは彼女の所へこうして歩み寄り……ちひろが傷付いているようであれば自分が変わる努力を、その決心を結ぶ必要性を感じていた。
それがちひろのためであるのだから――やはり、彼は優しさに基づいている。誰かと争うという思考など、到底向いていない。
「それでいいのよ。ああいう場面で文句を言う時は私が前に出る。それでいい……いや、それくらいはさせてもらわないと。それはロロから言われる以前から、そもそも私の役目だったんじゃないかしら」
ちひろはロベルトの方へ体ごと向き直り、胸を張って堂々と語った。
それに対して彼は言いたいことが山ほどあった。貧乏くじを引いたような役目に自分から収まることないし、家主である自分がもっとしっかりとするほうが正しい形ではないのかと……そのように言いたかった。
ただ、ちひろは強がりを言っているのではなく、本当に自分の役割として自負していることもロベルトは感じていた。
寧ろ、奪わないで欲しいとも聞こえるほどに。
そこでロベルトは思い出す。
ちひろの人生を買うと言った時、彼女が「自分には何もない」と言ったこと。ロベルトはそのように思わなかったが、ちひろ自身には強くその自覚がある。
だからこそ、頼りない主人を支えるという役目……それを奪わないでくれと暗に言われているのだろう。
――ロベルトは弱い。
吸血鬼であるがゆえに何でも受け入れる。それは不死身によって「万が一になっても死にはしない」という安心感で恐怖心が欠落することにより起こる、彼特有の思考といえるもの。
だが、それとは別個に吸血鬼として相手に受け入れられたいがために、まず自分から受け入れる、という心理的な脆さも絡みついて彼の弱さは形成されている。
でも、家主としての自覚を強く求められれば彼は弱さを捨てる決断だって辞さない。
それを強がりではなく本心から拒むちひろの言葉に……ロベルトは納得したのだった。
ちひろは強い。
なら、彼女の強さに甘えるのも家族の形なのだ。それは弱い自分の恣意的な考えではなくて……彼女の望みであり、ちひろが存在意義とも言えるものにしつつある、奪ってはならないもの。
生きる支えを与えるとはいったが、そんなものでいいのか……そんな言葉も口を突いているが、自粛しておこうとロベルトは思った。
「困ったな。そんな風にもたれかかることを許されたら、僕はひたすらにちひろに甘えてしまいそうだよ……」
「安心しなさいよ。ロロに変わって私が揉め事にでもなれば率先して出ていく。それは私の役目だけど、ロロを甘やかさないのだって私の役目なんだから」
そう――舞鶴ちひろは甘くないのだ。
○
「それにしても、君の様子を見るつもりで。そして、出来れば励ますつもりでやってきたのに何か逆の結果になって恥ずかしいなぁ……」
「まぁ、そういう所がなんかロロらしいわよ。ビシっとかっこよく決めるよりは、そうやってどこかズレて微笑ましいほうがなんか安心するわ」
ロベルトとちひろは廊下の壁に背を預け、床にお尻を下ろしていた。
このひたすらに広い屋敷で何もそんな場所で座りこまなくてもいいではないかと二人は思うが、リビングに戻るにはちひろの中で心理的な整理がまだ完了していないし――何より、言ってみればこの屋敷で一番広い場所はこの廊下であるのかも知れないのである。
そんな場所にいておかしいことなど何一つないのである。
……面積を誰かが計ったわけではないので、何とも言えないが。
さて、ちひろとしてはロベルトに確認しておく必要がある一つの事項がある。
それに対する彼の回答が何であれ彼女は従うつもりであるが、きちんとロベルトの言葉でその事項に付随する考えのようなものを聞かせて欲しかったのだ。
「ねぇ……あの徹生さん。結局、採用するつもりでいるの?」
視線は眼前の扉、使われていない一室への入り口に注がれたまま、ちひろは隣で座るロベルトに問いかけた。
ちひろは足を曲げて体育座りのように。ロベルトは足を伸ばして座っているのは、男女の差もそうであるが、性格の表れでもあるようだった。
「もし、ちひろがアウトだっていうなら断ってもいいけどね。……でも、僕は合格だって思った。君と境遇が似ているようで、少し違ったりするし……伝わらないかも知れないけど、何となく僕とも似てるなって思うんだ。だから面白い人だなって」
「ロロとあの人のどこが似てんのよ……。口は悪いし、ガラも悪い。あと何より、性格が悪いわ。……ロロ、あんたはそのどれにも当てはまらないはずでしょ?」
「まぁ、流石に君からそんな評価は受けたことがないからね。当てはまらないとは思うけど……何だか、抱えているものに少し響くものがあるような気はするんだ。感覚的にであって、確証も何もないんだけどね」
ロベルトが苦笑しながら言うと、ちひろは「そっか」と溜め息混じりに語る。
「まぁ、私はあの人を受け入れるっていうなら、それで構わないわよ。色々と悪いってさっきは言ったけどね……でも、性根まで腐ってるとは思わないのよ。完全に終わってる人間じゃないって何となく感じちゃった。あの瞬間、ね……」
ちひろが尻すぼみに語った言葉が示す「あの瞬間」とは、彼女の怒りを買った言葉に対して、徹生が異常といえるほど感情的に謝罪を行った時を指していた。
徹生の食い気味で、懇願するような謝罪は明らかに異質だった。
彼の持ち物ではないのではないか、と思うほどに――でも。
「きっとあれが彼の本質だよね。他人に慣れてなくて、傷付けたことに対してどれだけの塩梅で謝罪を行えばいいか分からないから、あんな風に出力全開で謝ってしまう。他人と関わることに慣れてない人間って当然だけど、誰かを傷付けることにも慣れてないんだよ」
「……だから、傷付ける言葉を言った自覚を瞬間的に持てない。でも私が怒ったってことを把握した途端に……そうね、あの人『間違えた』って顔をしてたわ。あれで何か……そう、徹生さんの内側にまだ残ってるものがあるんだって感じちゃった」
「それで何となく怒りが冷めちゃったってわけか……でも、ああやって掴みかかったこと自体はちひろ――後悔してないよね?」
ロベルトの確信めいた問いかけにちひろは不敵な笑みを浮かべて「まぁね」と言った。
「ロロに人生を買うって言われた日、その時は混乱してよく分かんなかったけど……私はあの瞬間、きっと嬉しかったのよ。生きろって言われた時、そういうバトンを渡された気がして、死にたい気持ちがぶわーって吹き飛んだの。そうして手に入れた居場所をごっこ遊び呼ばわりは許せないから……戦っちゃった」
「そっか……。大丈夫だよ。徹生がいつか、君に対して正しい熱量で今日のことを謝る日がきっと来る。そうなるように僕も願ってるしね」
「……だといいわね、本当に」
顔を見合わせて同じように微笑み、ロベルトとちひろは賑やかになっていく屋敷の未来を思った。
そして立ち上がり、リビングに戻った時に浮かべる表情と添える言葉でも考えながら、新しい家族の元へと歩んでいくのである。
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