第四話「吸血鬼、彼の内面を見つめる」

 徹生への吸血鬼の開示。それに伴う証明はマサキと同じ手段で行われた。


 別室に移動し、ちひろと一樹の目が触れない場所という配慮。しかし、ここでロベルトは今まで証明とした時の効果が薄かったためか、徹生に吸血鬼の牙を見せるというステップをすっ飛ばしてしまっていた。


 段階を踏んでいない吸血鬼の開示は徹生にとって視覚的拷問以外の何物でもない結果となってしまい、屋敷内には彼の悲鳴が響き渡ることとなった。


 リビングに戻り、ソファーに腰かけるとぜいぜい肩で息をする徹生。


「ったく、何てもんを見せやがんだよ……」

「ごめんごめん。料理人だったらそれなりに平気かなと思ってね」

「そういう問題じゃねーだろ……。まぁ、とりあえずロベルトっつーんだっけ? あんたが吸血鬼だってのは分かったよ」


 意外にもロベルトが吸血鬼であることには混乱せず、すんなりと納得した徹生。


 何故、彼がそのようにあっさり許容したのかロベルトは気になったが、その興味に先行して徹生が続ける。


「そんでもって、俺の仕事はここにいる奴らの飯を一日三食作ること。それでいいのか?」

「もちろんさ。逆に君はこの屋敷で料理人をやってくれるのかい?」


 徹生はやはりというべきか慎重さをここでも発揮し、腕組みをして思案顔を浮かべる。


 それは彼にとってこの屋敷で生活するかどうかを決めるための判断であるのかも知れなかったし、他に問うべきことはないのかの確認をしているとも言えた。


 しかし、やがて彼の中で心は決まったのか両手で軽く自分の膝を叩いて「やるよ」と言った。


「俺だって他に仕事のアテがあるわけじゃないからな。正直、住み込みって部分も他の求人と比べて助かる要素なんだよ。自分の店潰したので結構負担があったんでな……そういう部分で金銭的に浮くのはありがたいな」

「なら決まりだね。徹生、君もこれで我が屋敷の家族の一員だよ」


 ロベルトは心から徹生の入居を歓迎している意思表示であるかのように明るくそのように優しく笑む。


 しかし――その言葉に徹生は眉を顰め、冷たいトーンで「何だそりゃ」と言った。


 その言葉でロベルトからは笑みが消え、空気がざわついたものへと一変する。瞬間的な室内環境の激変。


 いや--変わったのは空気だけなのか?


(吸血鬼の開示から口調が砕けたのは打ち解けてきたってこと?

いや、それ以前からこの男には見え隠れする本来の語り口調みたいなものがあったわね)


 あの一言で徹生にあまり良い感情を抱いていなかったちひろは、監視するような視線を彼に送る。


「ちょっと待ってくれ。それはまた飛躍した表現じゃねーか? 職場に勤める人間を仲間って表現するのは分かるけどよ……家族っていうのはちょっと違わないか?」


 面倒くさそうに、けだるさを含んだもの言いで語る徹生の言葉。どこか絡むような印象を受け、挑発的でもあった。


「そうかい? でも僕はこの屋敷で暮らす人間はそのようであって欲しいって思ってるんだよ。血縁関係がなくたって家族のような深い繋がりで結ばれている。そんな人達の住む場所にしたいんだ」

「なるほどね……そういうコンセプトだっていうなら早く言って欲しかったな。まぁ、だからといって料理人を引き受けた件を今更、とは言わねぇよ。でもな、俺はその家族っていう枠組みからは外して考えて欲しいもんだな」


 徹生が呆れや失望にも似た感情を抱いていること、それが乱暴な語気から伝わるようであった。


 ロベルトはその時、胸中に興味のようなものを抱き、好奇の目で彼を見つめていた。


 しかし、一樹は徹生の態度に怯えのような挙動を僅かに露呈させ、ちひろは不愉快そうな表情を深めながらも静観。マサキは無表情ながらも内心では上機嫌であった。


 そのような各々の胸中を抱え、どこかピリっとした空気が流れるリビング。徹生は自分の言葉に不足を感じたのか、付け足しを語り始める。


「最初、大きい屋敷で金持ちの主人が使用人を使って暮らしてる。そう思ってここに来た。で、実際はその主人が吸血鬼だった……だからって何も変わりゃしねぇ。そういう家の歯車の一つになるんだって思ってたけどさ……もっとそういう血の通った感じなのか? どうしても密接に繋がらなきゃならないのか? それを要求して飲める人間を求めてんなら……それをあの貼り紙には書いとくべきだ」

「うーん。いや、そういうわけでもない。まぁ、誰でもいいというわけではなかった。でも料理人であれば拒否する理由はなかったから僕は君を受け入れると言った。そして、今……君がそういう家族のような繋がりを拒否するとして、それでもここで料理人をやってくれるなら採用とした言葉は変わらないよ」

「……何だよ? つまり、俺がここにいれば変わっていく。そんなことでも期待してんのか?」


 嘲笑が混じった徹生の言葉にロベルトはニコニコと笑むことで返事をし、それに呼応して繋がりを拒む料理人の表情には明確な敵意のようなものが浮かんだ。


「俺はそんな輪の中で孤立することを恐れたりはしない。だから必要とされるんなら料理人としてここで働く。でも、家族ってのはねぇよ。俺はその言葉が一番嫌いなんだ。肉親だろうが平気で裏切るし、切り捨てもする。知ってんだよ、俺は。繋がりだなんて……くだらねぇよ。無意味だ。糞くらえだ。そんなしょーもない家族ごっこなんて」


 ――反吐が出るね、と徹生は吐き捨てるように言うつもりであった。


 しかし、その言葉は遮られることになる。


 ロベルト、一樹、マサキがそれぞれ驚きを露わにして見つめていた光景の先には、徹生の胸倉を乱暴に掴んで激情に狂った面持ちで睨みつけるちひろの姿があったからだ。


「……なら、あんたの居場所なんてここにはないわ。さっさと出ていきなさい」


         ○


 ――舞鶴ちひろと相澤徹生は奇しくも、よく似ていた。


 徹生は全ての家族を失っていた。そして、それはちひろにも共通しているが、彼の場合はその家族全てがおそらく存命であるということ。


 ちひろの場合はおそらく亡くなっている、という部分で真逆の推測が立ちながらも、現状は同じく家族を失っている。


 そんな共通性が存在していた。


 徹生の場合は家庭環境に恵まれなかったことによる家族の喪失であった。


 共働きであるゆえに擦れ違いからか、夫婦仲が冷めていった徹生の両親。愛すると誓い結ばれながらも結局は憎み合い、絶えない喧嘩を繰り返して離婚。そんなありふれた物語を踏まえて二人はあっさりと他人に。


 その光景は徹生にとって家族……いや、それ以前に人同士の繋がりというものを見失う悪しき教育のようなものであった。


 徹生は語りながら、それを「ありふれている」と自虐的に表現した。


 そんな徹生には弟がいた。両親を含めた四人家族でありながら、実際には共働きなこともあって家では二人で過ごすことが多かった。この期間が徹生に料理と向き合わせ、将来を決める要因でもあった。


 徹生にとって料理とは弟のため、から始まっているのだ。


 彼の中で家族の認識は弟に全て注がれていた。だからこそ、その時の徹生は人間への不信を育てながらも、まだ家族というものに希望と信頼を抱いていた。


 だが、離婚に際してそもそも共働きするような家計であった彼の家は幸福的な解決ができなかった。


 親権は両親それぞれが一人ずつ持つことになり、徹生は年齢的に手のかからないという理由で収入が少ない母親の方へ。弟はこれから必要なお金のことも考えて父親に引き取られた。


 それを徹生は財産でも分与するかのように兄弟を引き裂いた大人の身勝手と捉えており、兄弟が引き裂かれないことを配慮した思考など二人の間には何一つ提示されなかったこと……ここで彼の人間不信はほとんどの教育課程を終えた。


 それから徹生は母親と共に暮らし始め、父親……そして弟とは疎遠となった。


 徹生と母親の二人暮らし。

 母親は徹生を連れて実家へ帰省する選択肢を取らなかった。


 それは頼れる家族さえ存在しない母親が暗に存在しており、興味がなかったために彼は深く事実を知ろうとはしなかった。


 が、自分を生んだ人間があまり多くの信頼を勝ち取っていない人間なのだと感じ、冷たい視線で見つめていた。


 そして、同時に自分もそのようになるかも知れないという予感を抱き、自分に流れる血を恨んだ。


 奇しくもそれは鋭い指摘で、徹生の母親は彼を引き取り育て始めて一年……あっさりと前触れなく蒸発した。


「ごめんなさい」と記された書き置きだけを残して、以来――徹生は母親と会うこともなく、それゆえに連絡先も分からなくなった父親……そして弟にも会っていない。


 彼は母親に女手一つ、という環境に身を置き、そこはちひろと共通していながらも……彼女のように立派に育てられることはなかった。


 境遇的に筋を通すことにこだわり、しっかりした部分は共通していながらもどこか他者に排他的である徹生の姿勢は、そういう差異による産物かも知れない。


 ……さて、これらはちひろが徹生に掴みかかってからロベルトが仲裁に入った後、明らかになった徹生の過去。


 そもそもちひろの怒りの源流は彼女が抱える境遇と、徹生の価値観が悪相性だったことにある。家族を失い、しかし新しくロベルトに受け入れてもらえた彼女にとって、この屋敷は大事な場所となっている。


 なので、ちひろの事情を本人から許可された上で徹生に聞かせた。すると、そこに若干の共通性を感じた彼が「一方的に教えられるだけでは不平等だから」と語り始めたことによって明らかになった経歴。


 しかし、それよりも先行して奇妙な光景が存在していた。


 徹生は掴みかかってきたちひろに対して悪態をつくのかと思いきや――驚くほどあっさりと、いや寧ろ食い気味といっていいほど瞬間的に謝罪を口にしたのだ。


 本心からの謝罪。


 言葉に「自分は間違えた」という自覚のこもった、懇願するような謝罪……それがちひろの怒りを拍子抜けにし、ロベルトの仲裁が何とか意味のあるものになれた理由でもあった。


 そんな徹生の引っかかりを感じる行動原理にマサキは微笑ましそうにし、ロベルトは抱いていた好奇心が次の段階へ進むのを感じていた。


 ――というわけで、各々の事情も加味しての喧嘩両成敗。


 現在向き合うように座っているのはちひろと徹生。彼女が座っていた場所にはどこか内心で浮ついたものを宿しているロベルト。


 隣で張り詰めた空気が終局を迎えたことに安堵を感じている一樹の頭へ優しく手を触れさせながら、二人を見守る。


 徹生には屋敷を訪れた時のような硬質な表情が刻まれていた。


「その……何だ、軽率なことを言って悪かった。俺がどう思ってようとそれは勝手かもしれないけどさ。でも好きなように言っていい理由にはならない。本当にすまなかった」


 先ほどの謝罪は反射によるもので、理性的となるとあまり素直に言葉を紡げない様子の徹生。


 対するちひろは徹生の言葉を受け止め、ソファーの腕置きに片肘をついて顔を背けながらも「別にいいわよ」と言い、続ける。


「あんたがどういう境遇で生きてきたかは分かったし、……家族みたいなものを言葉としても聞きたくないって思っちゃうっていう、それは何となく理解できなくはない。それに……私はお母さんにきちんと育てられたけど、あんたはそうじゃない。その分だけ、あんたは何ていうか……捻くれる資格がある気がした」

「何を言ってんだよ。それを言うならお前だって母親と妹がその……事件でもしかしたら亡くなってるかもしれないってんだろ? だったらその方が辛い過去じゃねーかよ。俺なんか、勝手に失望してるだけで……探せば会えるかもしれねーんだから」


 奇しくもちひろは一度戒めた「自分と他人の悲しみを比べる」という行いをやってしまっていた。しかし、それは相手を慮ってのことであり、自虐的な意味合いはない純粋な他者への感情ではあった。


 そのはずだったのだが……。


「そんなわけないじゃない! あんたは会おうって気持ちにもなれないだけ終わりに行き着いちゃってるじゃない! 私なんかまだ会いたいと思えるだけ救われてるわ。それに事件はまだ不確定要素が多くて二人が生きてる可能性はゼロじゃない。その分だけ私の方が希望があるのよ。辛いのはあんただって」

「そんなわけあるか。そういう不確定要素が一番苦しいんじゃねーか。俺は会わないって自分の中で納得してるから乗り越えてんだよ。終わってるだけに救われてる。お前よりも!」

「はぁ? あんたの過去の方が悲惨に決まってんでしょ」

「いや、お前の方が悲しいに決まってるっつーの」

「ちょ、ちょっと待つッスよ! 君たちは何を争ってるんスか!」


 最終的に、暴言に等しく相手の悲しみを認める言葉を投げつけあう奇異な光景にストップをかけたのはマサキであった。


 彼女はこういった人間の絡み合いを観察するのが、職業柄という言葉を取り除いても好きではあるのだが、流石に大人としての責務が先行したという感じなのであろう。


 本意とは違う部分に向かいかけていた自分の言葉に羞恥心を感じたのか片手で頭を抱え「俺、ここ来て数十分で何やってんだ」と呟く徹生。


 対してちひろは、居ても立ってもいられなくなって立ち上がって「仕事してくる」と言い残して部屋を出てしまった。


 何とも言えない空気が室内に横たわり、誰も口を開くことができなかった。


 しかし、そんな空間の中でロベルトは妙に充足感に満ちた感情をやはり胸中で宿しており、それは二人の言い争いをもって最高潮に達したのだった。


 ロベルトは立ち上がり「うーん」と伸びをする。

 心底、気持ちのよさそうな表情と共に。


「うん、いいね。若いって素晴らしいよ。そして、これもまた運命的……僕は君のことが気に入ったよ、徹生。僕としては変わらず料理人として採用だから、君さえよければここで暮らして欲しいよ、やっぱり。個人的には合格、満点だよ。そういうわけで考えておいてね」


 その言葉を置き去りにしてロベルトはちひろのところへ行くべく、リビングから出ていった。

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