【第三章 吸血鬼ロベルトと新しい家族達】

第一話「吸血鬼、サイン会に並ぶ」

 一樹がロベルトの家で生活するようになって1ヶ月が経った。


 ロベルトとはもちろんのこと、ちひろとも何だかんだで良い感じの先輩後輩の関係を形成しているようで、彼の家族を形成する目的はこの上なく順調だった。

 

 一樹の成長を促す場所でありながら、ちひろにとってももう一つの家族として居場所でありたい……そんなロベルトの真摯な思いが成就したかのような家族の形がそこにはあった。


 さて、そんな日々ではあったが今日のロベルトはいつもと違って落ち着きがない。


 ……いや、彼は落ち着きがない場面の方が多いかも知れない。とはいえ、興奮していなければ年相応に冷静な立ち振る舞いをするはずなのがロベルトである。


 ということはつまり、今日ロベルトは軽い興奮状態にあるのだった。

 そして、それは一樹も同様であった。


「あんた達、何でそんなに心ここにあらずって感じなのよ……」


 吸血鬼ものの小説を手にしながらもまったくページをめくる手が進んでおらず、時折天井を仰いではにやつくロベルト。


 そして、仕事を進める速度がいつもの五割増しくらいとなっており、その代償として失敗を引き連れているため、結局は手際の悪さを露呈している一樹。


 そんな二人の様子がおかしいことは、ちひろのように普段から彼らを見ている人間でなくても分かるし、あからさまといってもよかった。


 彼女の疑問に対する答えのつもりなのか、ソファーへ体を預けていたロベルトは首だけを動かしてちひろの方を向き……やはり、にやりと笑うのだった。


(え、何これ。私の主人、何か今日はやたらと気味が悪いんだけど……)


 ちひろは自分の求める回答はロベルトからは得られない。


 そのように考えた彼女は、広すぎるリビング内に設置されたテーブルの上、広げたパソコンでオーバーにキーボードを打鍵している一樹の方へ解決を求める。


 彼も様子がおかしい一人だからだ。


「一樹くん、ロベルトがあんなにおかしくなってるのはどうして? まぁ、元からちょっとおかしい人……じゃなくて吸血鬼ではあるけど」


 すると一樹はもったいぶるように「ふっふっふ」と笑い、続ける。


「今日は何と、あのマサキ先生が最寄りの電気街にある書店でサイン会をするんですよ。今日という日をどれだけ待ち望んだか……楽しみですよね、ロロさん」


 一樹がロベルトの方へ同意を求めるべく言葉を投げかける。


 それに対して、ロベルトは二ヤリとした笑みをやはり浮かべたままサムズアップで返答をする。


「……何でロロは何も言わないのよ。言葉も出ないほど感動的ってこと?」

「そりゃあそうですよ。僕だってさっきから仕事がちっとも進まないんですよ。ぶっちゃけて言えば、これはやってる振りです」

「駄目じゃない! 仕事はちゃんとしないと! あんまりだらけたことやってると、そのサイン会には行かせないわよ?」

「あ、す、すみません……。流石にそれはよくないですよね」


 上機嫌だった気分を少し抑えめにし、一樹は表情を曇らせて謝罪を口にする。


 とりあえず素直に自分の言うことを聞いてくれた一樹の態度に、一息ついたとばかりに嘆息するも、ちひろの居心地の悪さみたいなものは消えていなかった。


「そもそも、そのマサキ先生ってのはなにする人なのよ? サイン会ってことは芸能人?」

「作家ですよ。吸血鬼ものの小説を書いているライトノベル作家です。今、ロロさんが読んでるのもマサキ先生の本なんですよ。サイン会ってこともあって、読み返してるそうです」

「……へぇ、吸血鬼ものの小説をねぇ」


 ちひろは一樹の説明を踏まえてその場で腕組みをし、暫しの思考――の、後に口を開く。


「ロロ、あんた吸血鬼のくせにそんな本読んでるってもしかして……ナルシストなの?」


 ちひろの疑るような声に体をびくんと反応させ、ギシギシと軋む機械のように首を旋回させ、彼女と視線を結ぶロベルト。もうあのニヤケ面は表情として刻まれていなかった。


「い、いや……僕は吸血鬼文化を推し進めたといって過言ではないマサキ先生の素晴らしい作品から自分の立ち振る舞いというものをだね」

「正直に言いなさいよ。吸血鬼が活躍してたら自分が褒められてるみたいで嬉しいんでしょ?」

「……ちょっと、ちひろさん。それはボクも思ってたことではありますけど、はっきりは言わないようにしてたんですから駄目ですよ!」

「ふ、ふーん……いいもんね! 散々言ってくれてるみたいだけど、今日の僕は機嫌がいいからね。でも、あれだよ……ちひろ。あんまり好き勝手言ってるとマサキ先生のサイン会に君は連れて行ってあげないよ?」

「誰も連れて行ってくれって頼んでないわよ。私はお留守番」


 ちひろはそのように語りつつ、別の思考をしていた。


 今日までのロベルトの行動。興奮状態にあった時のアクティブさ。それは今日、そのサイン会でまた何らかの形で具現したとして……おかしくはないのではないか?


 だとしたら――。


「まぁ、私はわざわざサインを貰いに行く必要を感じてないわ。そもそも要らないけど……。でも、何となくだけど……わざわざ貰わなくてもいいようなことになりそうな気がしてるのよねー」


        ○


 電車で数駅を移動して最寄りの大きな電気街へとやってきたロベルトと一樹。


 ちなみに電車の乗り方は一樹と出会った日、その週末にちひろが教えてくれるというのがそもそもの話だった。


 しかし、一樹と出会ったことによって電気街への道案内は彼にちひろが一任。結局、彼女とロベルトが電車でどこかへ出かけることはなかった。


(……ちひろともこうして出かけてみたかったんだけどな。まぁ、機会があれば誘ってみよう。乗り気になってくれるかどうかは分からないけど)


 アニメキャラクターのイラストが巨大な看板となってあちらこちらに飾られている街並みはまさに日本文化の聖地といった様相。


 ロベルトが日本を検索した時にこういった街並みを知ることができれば、彼の中でのこの国に対する印象は全く違うものになっていただろうと思うほどに。


 ロベルトがここを訪れるのはもちろん、今回が初めてではない。


 本来ならばちひろと訪れるはずだった週末に一樹と一度来ており、その際のロベルトの興奮具合は大変だった。


 彼は日本に来た時点では吸血鬼を扱った小説やマンガを好んでいるに留まっていた。


 しかし、日常的にネットと接する環境を手にしてからは、ネット配信などで吸血鬼とは関係のないアニメを視聴する機会が彼にはあり、眠らない吸血鬼にとっては深夜アニメも不自由なく視聴できる。


 そういう理由もあって、完全にロベルトはオタク外国人と化していた。


 そのため、アニメの聖地というべきこの電気街は彼の興奮を限界まで引き上げた。暴力的なまでに有り余る財産でグッズを買い込んだために、自分の手では持ち帰れずに自宅へわざわざ郵送することなったほど。


 そして、その時に同行していた一樹が彼のストッパーにならなかったのもマズかった。


 本来ならばロベルトの暴走をあまり意味を成さないながらも静止してくれるちひろがいないばかりか、兼ねてより電気街で自分の欲望が向くままに楽しみたいという欲求を持っていた一樹が彼の興奮に同調してしまったために歯止めは完全に失われていた。


 要は二人共、暴走していたのである。


 そんな興奮状態はとりあえず電気街に到着した段階では発揮されていなかった。前回で発散した部分もあったのだろう。


 しかし、書店に辿り着いてサイン会の行列に並ぶこととなった段階で彼らは前回、ここを訪れた時の昂りを再び取り戻しつつあった。


 ……おそらく、ストッパーとは表現したがちひろがいても何の役にも立たなかったかも知れない。ただ、彼女が頭を抱えるだけの話だったと言える。


 さて、そんな作家――マサキのサイン会は大盛況だった。


 速筆家ということで出版ペースもかなり早く、前回の刊行から一か月ほどでの新刊。


 ファンの続きを楽しみにする心理に最速で答える素晴らしい作家であると言えるが、同時に吸血鬼の細かい心理描写も相俟って「先生は人間ではないのではないか」という噂も存在していた。


 列が少しずつ前進、その度にロベルトと一樹の興奮度は高まっていく。


 マサキに熱烈な想いを送るファンの声。作品の感想を口々に語る行列の中では初対面でありながら打ち解け、成立したグループさえ存在していた。


 そのような熱気に包まれ、興奮を携え――ようやくロベルトと一樹がマサキに対面する。


 作家、マサキは二人の予想に反して女性であった。セミロングほどの赤みがかった髪を後ろで一つに括っており、印象的な糸目とほがらかな表情。作家という職業から印象を受けるピリッとした人物像はかけ離れた雰囲気。


 それが、まず印象深い点であった。


 名前は考えてみれば男にしか用いられないものではないのかも知れないが、それでも先入観で男性作家だと思っていた二人はその驚きにすら感動した。


 しかし、感動するロベルトに対してマサキは――爆笑した。


「あっはっは。いいッスねー、そういうの。ウチの作品に出てきそうな恰好をした金髪外国人。自分、作者の前にそういう恰好で思い切ってきちゃう勇気好きッスねー」


 マサキはロベルトの服装――ゆったりとした黒のコートを中心に銀や赤といった色を選んだゴシックなファッション。最初は日本人の吸血鬼信仰に合わせると言いながら、今では自然なものとなっていたそれを好意的に受け入れた。


 とはいえ、明らかにマサキはロベルトを面白外国人扱いしている。


 ここはロベルトも不機嫌になる部分――ではあるのだが。


「そ、そうですかね……じゃあ、思い切って着てきてよかったです」


 照れたように後ろ頭を掻くロベルト。


 一方で、ロベルトが敬語を用いて語る姿に一樹はちょっとした衝撃を受けていた。


 自分の両親にも使っていたが状況が状況だったので仕方ないとして、マサキにもやはりこうしてきちんと敬意を払うのだ、ということに彼は感動。


(マサキ先生をきちんとリスペクトするロロさん凄い! ……でも、人生の超大先輩であるロロさんに敬語を使わせるマサキ先生はもっと凄い!)


 そのように一樹が思考している最中、マサキはロベルトの買った新刊にサインを書き込みながら、何となく間を持たせるような会話を繰り出していた。


「それにしても、こういう吸血鬼然とした人と会うとあの噂……本当なのかなって思っちゃうッスねー」

「噂? 何です、それ?」

「あぁ。この街に吸血鬼がいるって都市伝説ッスよ。何でも吸血されている人を見たっていう目撃情報があるらしくって……まぁ、にわかに信じがたい話なんスけどね。でも、吸血鬼ものの作家としてはちょっと気になるっていうか……。で、今回ここでサイン会できるのはラッキーだなって。噂の場所、結構近いみたいッスから」


 マサキは上機嫌にサインを本に書き込み、ロベルトに渡す。


 そんな本に刻まれたサインを見つめて、ロベルトは感動する――余裕はなく、すでに違う思考に脳内の容量すべてを占拠されていた。


(ちひろに行った吸血……あれは確かに屋外だった。ってことは目撃者がいたのか……まぁ、路地裏とはいえ密室でもないし当然か。……まぁ、それは噂で終わるだろうから問題ない。それよりも--)


 次はロベルトの後ろに並んでいる一樹がサインを貰う番――であるのだが、彼はその場から退くことなく、ただ自分の思考が行き着いた先でひたすらに感情を昂らせていた。


(これもまた――吸血鬼であることが導いた運命だったんだ! いいね、いいね。実に運命的だよ)


 この状況へ仮にちひろが居合わせたならきっと「だから、私は行く必要はないって言ったのよ」という返事をするかも知れない。それもそうである。


 ロベルトは運命を感じてしまえば止まらない。


 そして、そうなれば――ロベルトの中でマサキはどういう認識になるのか。ちひろは予見していたのだ。


 彼は今、チャンスを感じていた。だからこそ、ちひろの予想通りにロベルトはマサキに対し、申し出る。


「その吸血鬼の件、詳しくお話できますけど……サイン会終わり、予定はいかがなものです?」

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