第五話「吸血鬼、中学生の両親と対峙する」
「ちひろ、なんかゲームは一日一時間とか言って子供に立ちはだかるお母さんみたいだね」
一樹に対して厳しい態度を見せたちひろに、ロベルトは揶揄する口調で言った。
そこは彼女も何か思い当たる部分があったのか唇をギュッと噛み、羞恥をひた隠しにして「うるさいわよ」といって顔を背ける。
……まぁ、お約束のように赤面はしているのだが。
とはいえ、ちひろは筋が通らないことが好きではない人間である。一樹が親に隠れてロベルトの元で過ごす、ということになって後に事態が発覚……そのような結果になるなら正々堂々と告白する。そして大手を振ってやってくる彼を迎え入れたい。
そのようにちひろは思っているのだろう。
しかし、一樹はちひろの言葉に表情を曇らせた。
彼の中で両親に反対され、自分の要求は通らないという推測があったのだろう。
将来に関しては寛容な両親でも、茫漠とした自分の欲求に関してはどうなのだろうか、と。やりたいことを見つけたい。その可能性を偶然出会った吸血鬼に感じた……そんな胸中を理解してもらえるのか?
そう思うだけに、ロベルトが自分の悩みを正当なものとして受け取ってくれたのは嬉しかった。彼の中に存在している先入観の裏返しとも言えた。
……まぁ、ロベルトの家で過ごすことを両親にどう説明するのだという問題はある。それを一樹の中だけで答えを出して、許可を取りつけてこいというのは少し無責任。
ちひろはそれを分かっているので、背中を押すだけで留まるつもりはなかった。
「そんなに固くなる必要はないわ。甘くないとは言ったけど、私だって鬼じゃない。必要だっていうなら一緒に君のご両親に会って話をしてあげる」
「本当ですか?」
少し希望を見出せる言葉をもらえたからか一樹の表情は明るくなり、前向きになった意思を認めたちひろは優しく笑んで「もちろん」と首肯した。
「でも、切り出すのは一樹くんよ? だけど、ご両親も自分の息子がどんなやつの下で世話になろうとしているのかは気になるだろうし……私達から挨拶には行くべきだわ」
「わ、私達って……僕も一樹の家に行くの?」
「そりゃあ当然でしょう。大事な息子さんを預かる人間がどんなやつか……いや、人間ではないわね。吸血鬼がどんなやつなのか、ちゃんと知ってもらわないと」
手を引いてあげられる部分はきちんと導いてあげる。そのような責任もちひろは取るべきと自負した上での提案だったが……その会話の中で疑問が生まれる。
「でも、ロロさんが吸血鬼ってこと……説明すべきなんですかね? 僕の両親はロロさんが吸血鬼だって知って、すんなりと受け入れてはくれない気もするんです」
「……まぁ、吸血鬼ってことを証明したら最後、もう二度と一樹くんをロベルトには近付けさせない。そんな可能性もあるでしょうね」
「なら、流石に吸血鬼って部分を告白するかどうかは秘密でいいんじゃないかな。僕が吸血鬼であることは問題にならないはずでしょ? 僕自身の人格が問われるなら、黙っていてもいいと思う」
この部分をちひろがどう捉えるかがロベルトは気になっていた。
筋を通したがるちひろであれば「駄目よ。それも包み隠さず理解してもらってこそだわ」などと言うのではないか。
……そのように思ったロベルトだったが、
「まぁ、そこで吸血鬼の存在を告白して受け入れられなかったら、ロロが困るわね。受け入れてもらえない人に吸血鬼の存在が知られるってかなりマズいわよね?」
吸血鬼としての立場も考慮して考えてくれている彼女の言葉に、ひとまず安堵する。
「受け入れてくれない人は秘密を共有してくれない可能性があるからね。一樹の両親をそういう人間だと言ってるわけじゃないんだけどね。どうしても慎重になる必要があるんだよ」
「それは分かります。じゃあ、吸血鬼であることは伏せてロロさんが持つ環境で学ぶことがある。そんな風に両親へ切り出せばいいですかね?」
「そうね。そんな感じでいきましょうよ。やれるかしら、一樹くん?」
「……やります! 確かに両親に黙ってっていうのは無理があるし……それに色んなことちゃんとしたいって思いました。ちひろさん、ありがとうございます!」
「あら、素直でいい子ねー」
小動物でも可愛がるみたいに一樹の頭を撫で回すちひろ。
うっとおしそうに、そしてどこか恥ずかしそうにする一樹と、それさえ面白がるちひろは端から見れば姉と弟。
もしかしたら欠けたものを一樹に見い出しているのか。そんな風にもロベルトは思った。
「……で、いつ行けばいいのかしらね?」
「僕だけで予定は組めませんからね。お二人の都合によると思いますけど……」
「え? そりゃあもちろん、今から行くでしょ」
流石というべきか、ロベルトは即答。
ちひろは瞬時に「あぁ、始まった」と彼のスイッチのようなものがオンになったことを悟った。
彼の快活なまでの即決に目を丸くして驚いていた一樹だが、ロベルトの「いいよね?」という言葉に、先ほど受け取ったものを思い返す。
思い立ったが吉日――。
一樹の力強い「はい!」という言葉で急遽、高嶺家をロベルトが訪問することとなった。
○
「っていうか、一樹の家ってここなの?」
三人が一樹の家を目指して歩み始める――ということはなく、屋敷の玄関を出た瞬間に目的地には到着していた。
「いや、僕も驚いてます。ロロさんの自宅みたいな屋敷ってそんなにないような気がしてましたけど……」
「まぁ、そりゃあ一樹くんは気絶して運ばれてきたんだから出るまで、この屋敷がどこに建ってるか分からないわよね。……しかし、この国ってほんとに狭いのねー」
ロベルトの屋敷、その目の前にある一軒の家屋。朝、顔を合わせれば挨拶する程度には見知った仲となった夫婦が住む場所。
そんな日常のワンシーンに度々、登場していた家屋の表札には「高嶺」と刻まれていたのだ。
つまりは――。
「あら、ロベルトさんにちひろちゃん。……って、一樹も一緒にどうしたの?」
インターホンを鳴らして出てきた女性。
息子がある身でありながらも未だに若さの名残を強く残す、住宅街に住む気品ある奥さんという感じの人物。その人が、二人にとって顔見知りであり、そして――、一樹の母親であることは言うまでもなかった。
○
一樹が軽い事情を説明することで中に通してもらったロベルトとちひろ。一樹の父親もすでに仕事から帰宅していたようで、話をするには好都合であった。
ダイニングのテーブルを挟んで一樹の両親と話をすることとなる三人。
実は祖父母までを含めた家族であるらしく、六人掛けの机を三対二。
一樹を挟んで両親と向かい合うように座る。
あんなに一樹には大きいことを言っていたにも関わらず他人の家、そして両親を前にして緊張して表情が強張るちひろ。
その状態をさらに誇張したような一樹と、緊迫感のようなものを欠片も有しておらず、行儀悪く屋内を見渡して他人の家屋に感動するロベルト。
ちひろがメイド服であることも含めて、かなり異質な光景だった。
「いやぁ、まさかロベルトさんとウチの一樹が知り合いだったとは……驚きました。一樹はあまり誰かと積極的に関わる子じゃないのでね。何がきっかけだったんでしょうか」
温和でゆっくりとした語り口調。寛容そうな内面さえ感じさせる、一樹の父親がとりあえずという感じで転がっている話題を拾った。
「本当にたまたまですよ。一樹くんが高嶺さんのお子さんだと知って、驚いていますよ。世の中って本当に狭いものですねぇ」
いつもより少し声高なトーンで話し、しっかりと敬語を用いる。加えて、先ほどまでと違って気安く他人の息子を呼び捨てにしない、しっかりとした対応。
ちひろはロベルトもやればこのようにきちんとした大人の応対ができるのだと心の中で感動していた。
寧ろ、子供のように好奇心を振りかざしている普段を思えば、随分と自分の前では気を抜いてるという気もしなくはない。
それが悪いとは言わないけど、とちひろは思う。
一樹の母親が湯呑みに入れたお茶を各々に差し出し、ロベルトは会釈してそれを迎え入れた。そして、ふざけた日本作法を見せることもなくロベルトはそれを啜る。
(……きっと最近になって正しい作法を覚えたのよね。私の前で珈琲入ったマグカップを三回きっちりと回したのは、分かりにくいボケとかじゃないのよね?)
彼を横目で見つめ、本題とは関係のないことばかり考えているちひろ。
一樹の父親の温和な空気も手伝って、緊張が解けたのかも知れなかった。
しかし、相変わらずなのは一樹である。
両親に対して自分の意見を述べることは今までなかったことで……だからこそ、それによって二人を失望させるのではないか。少し冷静に考えれば行き過ぎた妄想ではあるが、脳内は天井がないぶんどこまでも思考は飛躍する。
そんな一樹の胸の高鳴りが、ロベルトには伝わってくるように感じていた。
(こうして意見を戦わせること。自分が今まで避けてきたことに向き合わせること。それらに背中を押し、手さえ引いてしまう……ちひろは本当に凄いなぁ。僕にはちょっとこういうことってできないかも)
ロベルトはだからこそ、上手く行って欲しいと思っていた。
それは一樹のためでなく、自分のためにも。
そして、自分のため……それは純粋に家族が欲しいという意味ではなく、彼を迎えいれることで成長があると思ったのだ。誰かを成長させるという、学びをロベルトは自分に期待していた。
そんな意味にもなる場所を自分が作れるか、という試練に直面してるのだから……彼は内心で燃えているのかも知れなかった。
一樹が意を決して口を開く。
ロベルトとちひろはそれぞれに祈るような思いで彼を見守り、心の中でそっと背中を押す。
出会ってまだ丸一日も経っていない一樹に早くも二人は、今更切ることのできない繋がりのようなものを……もう見出しているのだから。
「お父さん、お母さん。その……………………お願いがありますっ!」
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