第四話「吸血鬼、中学生の色々を知る」

 奇妙な縁でロベルトと巡り合った少年、高嶺一樹は学業において非凡と言って然るべき成績を収める秀才だった。有名進学校でトップの成績を修めるエリート。


 それゆえのジレンマ。

 年齢特有といって然るべき悩み。


 あらゆる要素が重なって抱いていた夢が叶うと知れば、人間は縋る思いで懇願する。


 そう。吸血鬼になりたい一樹の願望は、その優秀さを作る環境によって形成されたものだった。


 高嶺一樹は秀才である。

 だが、天才ではない。


 それは、天然ではなく人工といえば分かりやすいだろうか。彼が努力を怠って勉強をしなければ今の地位へ辿り着くことはなく、世間一般が考える天から与えられたものによって事を成してしまう天才と呼ばれる存在とは結果を同じくしながら性質を違える。


 そんな彼の未来は明るい。積み重ねた上に立っているからこそ、高い場所からならどんな景色だって望める。


 しかし――それこそが高嶺一樹の悩みだった。


 勉強に傾倒してきた日々。彼には学業に専念することを妨げる趣味もなければ、通う学校の生徒が似たようなベクトルを持つからか、非行に走る要因となるような友人と巡り合うこともなかった。


 それだけに勉強へ専念できる環境は整い――となれば、勉強するしかないとも言えた。


 それ以外に存在しない日常。少しの楽しみとして小説を読むことを覚えた一樹ではあるが、読書で一日を潰すようなことはしない。


 自分の将来のために惜しむことない投資をしてくれる両親の見守る表情を歪ませることないように、やるべきことは怠らない。


 だからこその秀才。


 彼は努力ができる人間であり、その結果を踏まえても脱力しない持続力を持った少年だった。だからこそ、結果を見れば彼のそれは天才の片鱗に肉薄する。非凡と言わずして何というのか。


 とはいえ、そこが問題なのだ。


 彼は努力によってその成績を維持している。それに苦痛はない。結果が出るということを彼は楽しみとして捉えることも知っているし、この積み重ねが将来に繋がることを分かっている。


 さらには両親が安定した未来のために、様々な可能性のためにそうさせてくれているのも分かっている。


 それらを疎ましく思ったことなどなく、寧ろ一樹は恵まれた環境に感謝しているくらいだった。


 さて、彼が大学を卒業した後はどうなるのだろうか?


 実は一樹の両親は彼を一流の企業に入れたい、と思っているわけではないのだ。彼個人を尊重し、やりたいことがあれば勉強してきた経歴が活かせない場所で生きることも認められるくらいに寛容な両親。


 だが、やりたいことを見つけられなければ結局、一流の企業というやつに就職することになってしまうのではないか。


 一樹はおそらく、その内定が取れる。


 そこで一樹は思う。

 それでいいのか、と--。


 贅沢な悩みだと、彼も思っている。


 先ほども言ったように一樹には勉強を脅かすほどの何かが存在しない。ならば、このままいけば絵に描いたようなエリートが出来上がる。


 とはいえ、その絵に描いたようなエリートは別に一樹自身を描いたものではない。


 つまり、そんな未来のどこに一樹の個性みたいなものがあるというのか?


 勉強を脅かす何かがないだけに彼はブレない。ブレないからこそ、そんな暇もないからこそ--彼は無個性だった。


 中学生によくある悩み。自分の個性が埋没することを恐れ、モノトーンの未来に恐怖する。バラ色のように思える未来も、彼の目にはモノトーンに見える。自分という色がなければ、それは色彩を欠いた世界。


 そういった個性に関する彼の悩みは――今日の懇願に帰結する。


 自分の抱えている悩みを吐露し、まずは反応を伺う一樹。吸血云々はとりあえず置いておき、胸中を吐き出すことで同じ視点に立ってもらおうという試み。


 視線を結ぶことも上手くできず、しかし何とか自分の言葉で伝えた一樹は先ほどまでと違う意味で顔を真っ赤にしていた。


 あまり他人と会話することに慣れていないのだ。


 しかも相手は年上……まぁ、その片方はそういう概念の生き物ではないが。


 とりあえず、話を聞いてまずはちひろが一言。


「ぶっちゃけ言って――贅沢ね」

「す、すみません!」


 ジトっとした目で嫌みったらしくちひろが指摘するものだから反射的に頭を下げて謝ってしまう一樹。


 彼女としても自分には悩むことのできない裕福な悩みであるだけに、ちょっと嫉妬に似た感情を抱いたのかも知れなかった。


 母子家庭であるゆえに、彼女は大学進学は諦めようという気持ちがあった。それを母親と話したことはなかったが。


 とはいえ、一樹に謝らせるつもりはなかったちひろは「ごめんごめん」と言って宥める。


「どんなことで悩もうと、それを他人に遠慮することはないわ。私も家族のこと、何かロロの過去と比べたりとかしちゃったし……」

「……家族って何かあったんですか?」

「な、何もないわよ、別に。というか、何かあると思ったら察して触れないの」

「す、すみません……」


 弟に対する躾のように言い聞かせる口調のちひろに対して、怯えたような表情でまたもや謝る一樹。


 気弱で、自分の意見を戦わせるというよりは謝ることで己を折ってしまう。ロベルトは彼のそういう挙動を見ていて「どちらかというと自分も同じタイプだ」と感じていた。


 吸血鬼であるからこそ弱いと、自分を評した彼の評価。


 まぁ、閑話休題。


「で、一樹くんの悩みは聞かせてもらったけど……吸血鬼にして欲しいって懇願とどう通ずるのかピンとこないね。君自身の悩みに関してはそれほどおかしいものでもないと思う。いくら給料がいいとか、他人に誇れるような大企業に勤めたって君の心が枯れるようならそこは一樹の居場所じゃないからね」


 思い切って話した自分の悩みが肯定されたこと。それは自分自身を受け入れてもらえたような感動にも匹敵し、一樹は思わず瞳から涙をこぼしそうになる。


 袖で慌てて拭い、一樹は「じゃあ、まず一つ聞かせて下さい」と言って吸血鬼への渇望の根底の入り口を語る。


「率直に聞きますけど……何かを始めるのに遅いなんてことはない。これを僕は色んな本、テレビ、人物から聞いてきました。吸血鬼のロロさんから見て、これは真実だと思いますか?」

「いや、始めるのに遅いはあるよ」


 ロベルトは迷うことなく、きっぱりと即答した。


「僕は吸血鬼だからね。何事もだらだらとやっていい部分はある。でも……それでも早い内に気付いておけばできたのかも知れないってことがいくつもあった。僕はね、昔人間と一緒に暮らしていたんだ。大勢の、それこそ家族みたいな集団の中で」

「人間と……ですか? ってまぁ、今もちひろさんと一緒に暮らしてるんですよね。驚くことじゃないですよね」

「そうだね。これは過去をもう一度再現したいっていう僕の欲求みたいなものかも知れないけど……そんな過去を共に生きた彼らに『してあげられたかも知れない』と思ういくつものことに孤独となってから気づいた。それが後悔なんだって知った日々を生きてきた」


 ロベルトは表情には薄っすらと笑みを浮かべながらもどこか寂しそうに語り、それを一樹は神秘的なもののように見つめた。


 一方でちひろは自分の過去に共感し、涙を流したロベルトの過去の片鱗が見える度、胸中で切なさのようなものがこみ上げる。


 欠ける寂しさ、受け入れたという強さ、それでも残る悲しみ。

 それを想像して、彼の脆い部分を見つめた気持ちになるからだった。


「つまりロロ、それは人間が永遠を生きる生き物じゃないからよね? だからこそ、どうしたって時の流れの中で後悔が生まれる。早く気付いていれば……そう思うことが、限りあるものと関わればどうしても生まれるってことよね?」

「まぁ、そうなるかな。だから始めるならそれは早い方がいい。気付いたらすぐにでも行動した方がいい。僕は吸血鬼でありながら焦って生きる変わり者だよ。……でも、それはね。人間の生きる速度に合わせたいから。そんな僕が答えるなら――物事を始めるのに遅いはあるよ」


 ロベルトの即時即決の生き方。

 感情に正直とさえ表現できるアクティブさの理由。


 それにさえ、過去の悲哀……そして吸血鬼のジレンマが絡みついていること。


 理由のないことなんてない。

 何事も、何かに影響されてそうなっている。


 今のロベルトを形成するものの片鱗は人間が想像するにはあまりにも膨大で、しかしあまりにも人間くさいたった一つのこと。


 後悔をしたくない。

 それだけのことだった。


「一樹、君の言いたいことは分かったよ。君はこのままじゃあ自分のやりたいことを見つけられない。勉強に時間を割いて、他の世界と向き合うことも、知らないことと出会う時間もない。そして、大人になって気付いて遅いと感じるくらいなら……永遠を生きる吸血鬼になって、時間の流れから解放されたい。そうすれば遅かったと言わなくて済む。きっとそういうことだろう?」


 ロベルトの言葉に一樹は見透かされたことによる羞恥心を感じたのか俯き、しかしごまかす理由はないのかこくりと頷いた。


 一樹が吸血鬼――そう、永遠を生きる存在に憧れる理由。


 人間誰しもが考える。この世界を生きるのに百年程度の時間は少なすぎるということ。だからこそ、本物の吸血鬼に邂逅した彼はなりふり構わずロベルトに懇願した。


 しかし――。


「でもね、僕は君を吸血鬼にはできない」

「……どうして、ですか?」

「吸血鬼になってしまっては命が輝かない。人生が彩を欠く。分かりやすく言えば――花は散るからこそ美しい、ということ」

「よく、分かりません……。じゃあ、逆にロロさんは命が輝いてないっていうんですか? 人生に色はないんですか?」

「僕に命なんて概念はないし、人生なんてものは歩んでいない。散らないものは醜いよ。……限りを失くすとね、随分と感動を失うんだよ。焦る気持ちでさえ、失くしそうになる。今日やりたいと思ったことを百年後にやることに遅いという感覚だって僕は持たないんだよ。学生ならそうだなぁ……期限のなく、提出義務のない宿題なんてやらないでしょ。必死になれるのは、死を迎えられる者だけなんだ」


 ロベルトの言葉で一樹が納得するのは難しいことかも知れなかった。


 永遠を生きて、何もかもができる全能感を手にしていながらどうしてそういう言葉を語れるのか。……でも、そんな存在でありながらそういう言葉を吐いてしまうということは、つまりそういうことなのだろう。


 今、一樹は必死に自分の個性のようなものに悩んでいる。


 それがロベルトにはある意味で、羨ましくて仕方ないのだ。義務感や、使命感に突き動かされて忙しくすることができる、一樹の「限り」を大事にしたい。


 全部は難しいかも知れない。


 しかし、少しずつ一樹はその言葉の意味を考え、理解していく。紐解かなければ意味に辿り着けない言葉かも知れないし、全てが彼の手の届く距離にはない感覚。


 それでも必死にロベルトの言葉を辿ることで、彼の命は輝くのかも知れないし、人生の彩りに出会うのかも知れない。


 それを思えばいつの間にか、一樹の願望は形を変えていた。


「なら……なら、せめて僕をちひろさんのようにこの屋敷の一員にしてくれませんか? 限りあるからこそ必死になれて、そうすることで自分の本当にやりたいことに出会えるなら……そうやってあがく場所はここがいいです!」


 きちんとロベルトの目を見つめ、はっきりと語った一樹。後ろめたさも、迷いもないまっすぐな瞳。人間らしく今を生きようする活力に溢れた、ロベルトの好きな目。


 優しい笑みをロベルトは「うん」と言って首肯する。


「勿論オーケーさ。寧ろ、最初からそうする気だった」

「本当ですか?」

「本当さ」

「ありがとうございま」

「――ちょっと待ちなさいよ」


 ロベルトの二つ返事に拍子抜けなものを感じながらも、自分の願望が通ったことに一樹が抱く歓喜、それはちひろの声に遮られる。


 腕組みをし、厳しい目で一樹を見つめるちひろ


「悪いけど、私はロベルトみたいに甘くないわよ。一樹くん、君はまだ中学生だからここの一員にすることは正直、難しいと思う。この屋敷では労働が義務だけど、中学生を雇うのは問題があるしね。……でも、それはちょっと形を変えれば成立することかも知れない。だから、まずはきちんと……両親に相談してきなさい!」

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