【第二章 吸血鬼ロベルトと悩める青い日々】

第一話「吸血鬼、中学生と出会いたい」

 ロベルトとちひろの異種混合な共同生活が始まって数日。


 少しずつ、身の回りのことが自分の日常へと取り込まれていく感覚。全てが無意識で当たり前になったことで、二人はようやく屋敷の住人となった。そんな感じのある日の朝。


 ちひろの服装がいつもと違った。


 この場合のいつも、はちひろが屋敷で暮らす上で日常的に着ているメイド服を指す。二人にはもうそれがいつもの彼女なのである。


 最初は着用を命じられたメイド服に身構えていたものの、届いてみればロングスカートのしっかりした造り。所謂、コスプレのような感じのない自然な使用人の衣装というもので一安心だったちひろ。


 それでも現代ではおそらく普通に生活していて着ることはないメイド服を、恥ずかしがり屋な部分のあるちひろがすんなり着られるはずはなかった。


 とはいえ、そこは仕事と割りきって着用。その服装でメイドとしての仕事(料理以外)をこなすようになり、ロベルトの思い出の中にある光景はまさに蘇っていくようであった。


 だが、今日のちひろの服装はいつもと違っていた。


 きちんと使い方を覚えれば誰でも焼けるトーストに、調理の概念を必要としないサラダ。


 簡素ではあるが失敗はしない堅実なメニューがちひろによって提供され、そこでロベルトは問いかける。


「あれ、その服……確か学校に着ていくやつだよね? 今日から登校するの?」

「ええ。どうせ行くなら、いつまでも休んでるわけにはいかないしね」


 今日はメイド服ではなく、ブレザータイプの学校の制服を身に纏っているちひろ。自分の分の朝食を手にロベルトと向かい合うように座る。


 さて、この屋敷にはキッチン、そしてダイニングという一般家屋の常識が通用しなかった。


 調理場と呼称すべき、独立したかなりの広さを持った部屋が存在し、食事する場所も別個で存在している。


 それこそ貴族の棲み処。シェフが料理を運んでくるというよくある金持ちの家にあるシステムはそのまま、この屋敷でも過去に行われていたのだろうと思わされる家の構造。


 そして食事を取るこの食堂とも表現するべき場所。二人で使うにはあまりに大きすぎる巨大な長方形のテーブルが部屋の中心を占拠しており、彼らは余り気味なだだっ広い卓上を挟んで食事をしているのだ。


 このテーブルは住む際に購入したものであり、ロベルト曰く、すぐにこのくらいのテーブルじゃなければ駄目だったと思うようになる……らしい。


 さて、食事処の説明もそこそこに閑話休題。


「……それにしても、本当にいいの? 私はここで働いて生活していくんだから、別に学校を辞めろって言われれば文句は言わないよ?」


 ロベルトと暮らし始めて何回目だろうか……やはりちひろの遠慮は何事にも付きまとう。


 ちひろは事件がきっかけで学校をしばらく休んでいたのだ。精神的ショック……その名目は勿論間違いはなかったが、ロベルトとこれからの段取りもあった。


 もしかしたらプライベートな空間であるため、自宅に彼を一人にしたくなかったという個人的な思いもあったかも知れないが。


 だが、新しい生活を迎えるにあたって、ちひろは学校をどうするのか考える必要があった。


 そしてロベルト側の答えが、


「本当にちひろは謙虚だなぁ……。学校は行っておくべきだよ。ここで働けば永久就職は確かに固いけどね。今しかできないことはやっておくべき。学費はきちんと僕が負担するから、これは家主からの命令。ちゃんと通いなさい」


 腕組みをしてふんぞり返り、尊大な物言いで語るロベルト。


 本来ならばこのような命令的な言い回しを好まないロベルトではあるが、ちひろはこの家に来てからロベルトに遠慮ばかりしている。それが当然だというのは彼も分かっているので、こうして命じる形で了承させることに踏み切っている。


(まぁ、僕だって沢山のものを与えられ、助けられた。これは与えるという行為ではなく、純粋な恩返しなんだけどね)


 そのようにロベルトが考えていると、


「……分かった。お言葉に甘えるわよ。でも、いつかきっと何かの形で恩返しみたいなことはするから、それはきちんと受け取ってよね」


 自分の心の声に重なるちひろの申し出。それが何だかおかしくなってしまい、ロベルトは笑いだしてしまう。


 そんな彼の心理動向が読めず、面白くなさそうな表情で「なによ」と言うちひろ。


「恩返し、か……。同じタイミングで似たようなことを考えて。僕たち、案外と似ているところもあるのかもね」

「そうかしら? 私はロロみたいに優しくないと思うけどね。いや、甘くないって言ったらいいのかしら」


 ぶっきらぼうに、しかしどこか優しさを秘めた口調で返事をしつつトーストを齧るちひろ。


 そんな彼女の心の動向さえも察しているのか、ロベルトの表情にはやはり笑みが浮かんでしまう。


「それにしても学校。いいなぁ……。僕も行ってみたい」

「まぁ、ロロの外見だったら転校生ですって紹介されても違和感ないかもね。ただ外国人ってだけで目立つかもだけど。あと……」


 ちひろはトーストを齧るのを止め、ロベルトをまじまじと見つめる。


 外国人という風貌のもたらす一種の「得」を差し引いても余るほど、彼には精巧な造り物のような美しさがある。


「……クラスの女子達が黄色い声をあげそうで何か腹立たしいわね」

「ん? それはつまりモテるってこと?」

「そんな言葉まで覚えてるなんて……もう外見以外は完全に日本人ね」

「しかし、モテる場所に自分から赴くっていうのは僕の目的からすれば合理的ともいえる」


 探偵のような挙動で思案顔となるロベルトに、呆れと侮蔑が入り混じった視線を送るちひろ。


 また彼が唐突なことを考えているのではないかと感じ、嫌な予感がしたのだろう。


「そもそも、僕みたいな吸血鬼が好きな層っていうのはあるのかな? 受け入れてくれそうというか……そもそも憧れを抱いているとさえ言えるような人間の種類みたいなものはない?」

「吸血鬼が好きそうな人間の層って……何よそれ、そんなのあるわけ」


 そこで言葉を止め、今度はちひろが思案顔を浮かべる。


「……ん、あるの?」

「うん。まぁ、何ていうか勝手なイメージだけど中学生くらいの男の子ってそういうの好きなんじゃない? なんか中二病って言葉があるじゃない。きっとロロみたいなのと出会ったら目をキラキラ輝かせるわよ」


 ちひろの言葉に「なるほど」と頷きながら納得するロベルト。


 彼はこの屋敷に住み始めてからはネット回線を引き、パソコンで毎日のようにネットサーフィンを楽しんでいる。もう「中二病」程度の造語的な言葉に立ち止まったりはせず、会話として通じてしまうのだ。


「いいね。その路線で行こう」

「あ、あの……冗談よ?」

「中学生の男子を我が家に招き入れる。確かにあの年代の少年は個性というものにえらく悩む年代だと聞くし……そこに特徴の塊みたいな吸血鬼が現れる。うん、いけるね」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。中学生男子を家に招き入れたりしたら、見ようによっては犯罪よ? それにこの屋敷では労働が義務。だったら中学生を働かせるのは普通に考えてアウトでしょ」

「ふむ。そうと決まったら中学生の下校を待ち伏せてマントを羽織り待機。目の前に来た所でビラビラとマントを広げてみせ、吸血鬼の牙を誇示する。それでどうか」

「話聞いてんの? っていうか、それ普通に不審者だから!」


 一度、自分の中で盛り上がりを見せてしまえば他人が静止しても聞かないロベルトの厄介な部分が発揮し、ちひろは自分の「嫌な予感」が的中したことに落胆して嘆息する。


 とはいえ、その心境のまま彼を好きにさせるほど、ちひろは――甘くないのである。


(ロロがこんな風にして暴走するのは今に始まったことじゃないけど、今回のは野放しにしとくとマズいわね。ここはメイドとして主人は道を踏み外すのを何とか食い止めないと!)


 自分の中で思案して盛り上がるロベルトに対し、ちひろは普段出さないような大きな声で彼の名を呼ぶ。その怒号のような呼び掛けにロベルトは体をびくんと反応させ、ちひろと視線を結ぶ。


 彼の視線の先にいるのは腕組みをし、苛立ちを露にしているちひろ。思わずその迫力にロベルトは気圧され、表情をひきつらせる。


「は、はい……?」

「ロロ、ちゃんと話を聞きなさい!」

「……わ、分かりました」



 その後――体を萎縮して叱られながら何度も「すみません」を繰り返すロベルトと、漫画であれば釣り上がった目で表現されそうなほどの怒りを湛えたちひろのお説教、という構図が。


 それは新しい日常的風景となり、今日はある意味記念すべき一日かも知れない。


 そして、ロベルトが考えていた、主従関係ではなく対等な関係を、という理想は奇妙なバランスで成立しているのかも知れなかった。

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